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恋のトラウマは始まりを告げる  作者: 栢瀬 柚花


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ダブルデート


 由美の正拳突き事件から半月後、ダブルデートの日になった。

 行き先は動物園で、あたしと由美が弁当担当、匠海さんがデートスケジュール担当、憲彦が行き方や運賃を調べる担当に割り振られた。

 

 友人以上、恋人未満というあたしと憲彦の事を考えてなのか、由美はずっとあたしと腕を組んでいた。

 

「これってダブルデートなんだよね?」

 念のため確認したが「そうだよ」と返されるだけだった。

 

 完全に男女別行動になってるけど、これはダブルデートとしてアリなのか……?

 

 疑問を持ちつつ、動物園を回った。

「モルモットとうさぎの触れ合いコーナーあるよ。入る?」

 憲彦から言われ、全員で体験した。

 匠海さんは意外にも小動物が苦手なようで、決して膝上には乗せなかった。

「いや……なんか潰してしまいそうで……。うさぎ以下の大きさの動物は全部ダメなんだ……」

「知らなかった……」

 由美も初耳らしく、凄く驚いていた。

 意外にも憲彦は手慣れていて、膝上でうさぎは酷くリラックスしていた。


 ヤギや馬の餌やりも、憲彦は難なくやって見せていた。

 あたしも由美と手をかじられるんじゃないかとビクビクしていたが、

「怯えるから向こうも警戒するんだよ。逃げずにじっとしてれば平気だから」

 とアドバイスしてくれた。


 フィッシュドクターの足浸けはくすぐったかった。由美と匠海さんは2人で楽しんでいたので、自然とあたしと憲彦が一緒に座ることになる。

「匠海さんと何話したの?」

「色々。男同士の話かな」

「男同士?」

「そう。匠海さんは正田さんの事をよく知ってるな。あと依織の事も正田さんの友人として気にかけて、見てくれてる。それに凄く感謝したんだ」

 言われたが、思いつくエピソードはエレベーターの一件くらいだった。

「なんだかたくさん話せたみたいね」

「そうだな。俺も見習う所があると思えた」

 何やら意味深な発言だったので、それ以上深くは聞かなかった。

「憲彦、動物と触れ合うの好きなんだ。さっきの触れ合いコーナーの時も餌やりも、平気そうだったもんね」

「昔からね、動物は好きだから」


 思えば、憲彦の幼い頃の話はあまり聞いてこなかった。以前付き合っていた時は、過去よりも“今”の話が多かった。


「犬とか金魚は飼ってた。本当なら今も犬は飼いたいんだけど。一人暮らしじゃ十分に世話できないからな、可哀想だ。依織は?何か動物飼ってた?」

「うちは猫がいただけ」

「ああ、たまに服に毛が付いてたもんな」

「えっ?そうだった?」

「黒っぽい服だと目立ったから。白系の猫?」

「……そう。黒と白の斑。白色の方が多かった」

「お、当たってた」


 憲彦は本当に、当時の些細な事もよく覚えている。 

 あたしが忘れてることさえも。

 

「あたしのこと、よく見ててくれたんだ……」

「好きな子だからね……。今でも見てるよ。前髪切ったなとか、出社するスーツが清楚な時と華やかな時がある。今日はお得意様のところに行くのか、外勤かな、とか……色々考えてる」

 そうだったの?

「―――ちょっと引いた?」

「いや……。そこまで見られてるとは思ってなかったから、驚いてる」 

 そう言うと、ホッとした顔になった。 

「建築家はクライアントとも話すから、自然と身についた観察眼ではあるんだ。依織が不快な気持ちになったら悪いから、今まで言わなかった。あとさ、たまに調子悪そうな朝があるだろ?少し青白い顔してたり、声に元気なかったりする」


 きっと生理中の日だろうな、と心当たりがあった。


「辛いなら無理せず休んだ方がいいよ?」

「……うん。でも薬でなんとかなってるから平気。……ありがとね、心配してくれて」


 あたしが思っている以上に、憲彦は見ててくれるんだ……。

 隠し事は出来そうにないかも……。



 動物園から出ると、近くの公園でお弁当を食べた。

 よく晴れて気持ちいい天気の中、飲み物とお弁当、少しのお菓子を広げる。

「由美の手料理は凄く貴重だから、目に焼き付けとこ」

 匠海さんはそう言ってじっくり中身を見ていた。

「普段は俺しか作らないもんな」

「そんな事ないでしょ……。朝ごはんくらい作るよ」

「パン焼いてジャム塗るだけじゃん」

 同棲している2人は、遠慮なしに言い合っている。


 そう言う所は素直に羨ましいと思えた。信頼があってこその会話だ。


「依織の弁当は相変わらずカラフルだよな」

 憲彦は中身を見てしみじみと言った。

「昔もそうだったけど、今の方が華やかさがある」

「そんな事は……」

「自分で作ると、こうはいかないんだよな。なんでだろ?」

 唐揚げを一口で頬張ると「今回のは醤油ベースだ」

 とスバリ当てられた。

 

 そして隅に卵焼きがあるのを見て、小さく微笑んだ。

 パクっと口に入れると「この味だ……」嬉しそうに呟く。

 

「やっぱり依織の卵焼きが一番美味い」

 

 憲彦の表情と呟きを見て、あたしは頬が緩むのを我慢し、口元を引き締めた。

 由美と匠海さんがいる前で、照れ笑いするのは恥ずかしい。

 

 ダブルデートのどさくさにまぎれて卵焼きを作ったのは少し素直じゃないと、我ながら思う。

 

 ここまで喜んでくれるなら、ちゃんと2人きりの時に作ればよかった。そうすれば、もっと大きく喜んでくれたかもしれない。あたしも素直に笑えただろう。


 ―――次は部屋に持っていこう。


 そう考えている自分がいた。


「依織。喜びが溢れて、顔が変なことになってるよ?」

 由美に指摘された。

「えっ!そ、そう………?」  

 思わずあたしは顔を手で覆った。

 少し顔が熱い。我慢しきれず、ニヤけていたのかもしれない。

 そして、憲彦ともバッチリ目が合う。

 

 憲彦は何も言わなかったが、凄く優しく微笑んであたしを見ていた。

 包み込むような笑顔に思わず見惚れ、心奪われてしまう。


 昔と違う笑い方。大人だから、大口開けてガハハとは笑ってない。

 でも目だけは変わってない。

 2人きりの時に見せる、嬉しそうにあたしを見ている目。

 あの時から笑っている顔が好きだった。


 それが酷く嬉しくて懐かしく、胸が締め付けられた。

 憲彦の笑顔はあたしの記憶を呼び起こす。

 遠い高校時代の、温かくて楽しかった最高の日々。

 一緒に宿題をした日。初めて手を繋いで緊張した日。教室の前で待ち合わせた時の顔。遊園地に行ってずぶ濡れになって笑い合った顔。一緒に下校した日。花火の音を聞きながらキスした日。お弁当を美味しそうに頬張ってた顔。

 

 咲いては消える花のように思い起こされる日々。

 その一つ一つは決して長くは咲かなかったが、一輪一輪は美しく輝いた。 

 色んな憲彦との思い出が心を一杯にして、埋め尽くした。高校時代の自分に再会したような気分だった。

 

「依織?」


 知らぬ間に、あたしは泣いていた。

  

 今と変わらず、憲彦を好きだった自分。

 人生で一番楽しくて、最高の恋をしていた頃の自分。

 大好きな人の傍で心穏やかに笑っていただけの、幸せな自分。 

 ずっとあたしを支えてくれていた大切な記憶。

 

 その時の気持ちと同じものが、確かに今のあたしの中にあった。


 そう自覚すると途端に涙腺が緩み、あたしはボロボロと泣いた。


 急なことに、3人とも大いに驚いて慌てた。

「い、依織?!」

「どうしたの?」

「えっ?なんで?!」


 憲彦はあたしの傍に寄ってきたが、背中をさすろうとして躊躇し、声だけ掛けてきた。

 こんな時でも約束を守ってくれる。

 あたしに勝手に触れないという約束を。

 

「依織?……俺、何かした?」

 あたしは首を振った。

 鞄から取り出したハンカチで目元を拭いたが、止めどなく流れる涙は頬を伝った。

 

「違う……。ごめん、急に――。凄く………懐かしくて……」


 嗚咽の合間に声を出したが、今の気持ちを上手く表現出来なかった。


「高校の時の…憲彦との思い出が一気に蘇ってきて……。懐かしくて嬉しくてあったかくて……………」

 

 愛しくて。


 その言葉だけを呑み込んだ。

 

「色々思い出しただけなの。……嫌な思いしたわけじゃないから―――驚かせてごめんなさい」 


 涙を止めるのに必死なあたしは、3人がどんな顔をしているのか分からない。

 居ても立ってもいられず、あたしは立ち上がる。少し離れた場所で一人、息を整えようとした。


 木陰まで来ると、じっと木の幹を見るともなく見つめた。まだ胸の中に喜びと温かさが残っている。簡単には小さくなってくれそうにない。

 

 草を踏む音がして、誰かが近づいてした。隣に立って話しかけてくる。

 由美だった。

「依織……」

 憲彦よりも同姓の由美の方がいいと判断したのだろう。

 

「どうしたの?」

「ちょっと……。昔、憲彦にお弁当作ってた時のこと思い出して……。さっき美味しいって言ってくれた顔が――当時と同じだったから……嬉しくて…………。あの時のあったかい気持ちとか楽しかった頃を思い出したら……凄く……懐かしくなった……」

 

 なんとか説明したが、きっと半分も伝わってなかったと思う。

 でも由美はあたしの心を汲んで、読み取ってくれた。

 

「無理に泣きやまなくていいよ……」

 

 柔らかい手が背中を擦ってくれる。

 

「思い出した気持ちをじっくり感じていいから。依織の大切な恋の原点の記憶でしょ?宝物じゃない」


 大切な宝物。

 そう言われ、また涙が溢れた。


 もう話す事が出来なくて、あたしは黙って頷いた。

 

 そう。宝物だったのだ。

 好きな人の傍で幸せに笑っていた、人生で最高の自分の記憶。

 ずっとずっとあの頃に戻りたかった。 

 もう二度と恋をしないあたしには、訪れない気持ちだと思っていた。

 

 でも同じモノが、今のあたしの中にある。

 確かな熱と喜びをもって。

 それが凄く嬉しい。愛おしい。


 

 由美はあたしに肩を寄せ、背中を擦り続けてくれた。

 あたしは思う存分に泣いた。 

  

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