由美の一撃
連休が終わると仕事がある日常にもどった。
あたしは出勤するとすぐに弟切さんのもとへ行き、憲彦の事を報告した。
「それ、仕事中にする話じゃないでしょ!」
勤務中の私語として怒られたのかと思ったが、そうじゃなかった。
「もっとじっくり時間かけて聞く話じゃない!昼休憩、一緒に食べないと!」
あたしは初めて弟切さんと昼食を共にした。
「それで、とりあえず友人以上、恋人未満の関係に落ち着いた、と」
「はい」
うーんと弟切さんは考えこんだ。
「高校時代よりはマシな人間になったみたいね、下山。少しは誠意を感じるわ。でも簡単に何もかもを許しちゃダメよ。ちゃんと言葉通り、信頼を積み重ねられるかが大事なんだから」
「はい……。今のところ、勝手に触れない、部屋に入らないは守ってくれてます」
「そう……。だんだんと下山に慣れてきたら、少しはワガママも言いなさいよ。行きたい所とかやりたいこと、言葉にしなさいね」
そこまでできるだろうか……。
「表面上の自分を見せてもダメ。ありのままの自分を見せられる相手じゃなきゃ、恋人として成り立たないのよ?」
「……それはそうかも、ですね――」
「時間かかるかもしれないけど、信頼してもいいかもと思えたなら今度はワガママを言いなさい。受け入れてくれるか知らなきゃ」
「はい……」
もうすっかり母親か姉のような存在になりつつある弟切さんのアドバイスは重かった。
帰り際、由美から声をかけられた。
「依織、今日の昼休み一緒にランチできなかったじゃん!」
「ごめん、先約がいたから……」
「男?!」
すかさず尋ねられたが「弟切さん」と答えるとかなり驚かれた。
「昼休みまで指導受けてるの……?それはパワハラでは?」
あたしは慌てて「違うよ」と首を振った。
「あたしから頼んだの。仕事の話じゃないし」
「え?じゃあなんの話?」
「……人生相談かな」
「何?転職とか?!もう?」
「いや、そうじゃなくて……。恋愛相談…………」
「えっーー!?!」
社内の1階ロビーに響き渡る大声だった。
「由美!!しっー!」
はっと口に手を当てた由美は、周囲に「すいません……」と小声で謝った。
周囲の視線は痛いくらいだったので、あたし達はそそくさと退社した。
「もうっ!なんで言ってくれなかったの?!」
急遽立ち寄った居酒屋で、あたしは散々由美にそう言われた。
「ごめんって……。色々あったから、誰彼構わず話したくなくて……」
そう言って、あたしはこれまでの憲彦との一連の遍歴を話して聞かせた。
最初はただの恋バナと思って聞いていた由美も、話を聞くにつれて険しい表情になり、最後には憲彦にキレていた。
「あたし、殴りに行っていいかな?」
手の指をポキポキ鳴らしながら、由美が怖い顔をしてそう言った。
「実は空手やっててさ。黒帯なの」
「…マジで?」
「マジ。憲彦に一発入れてもいいよ」
目が怖い。
「いや、やめてあげて……。一応好きな人だし……」
「次に泣かされたらあたしに言ってね。容赦なく叩き込むから。急所に」
「う、うん……。ありがと」
本気の由美はいつもの形相とは違って、格闘家の顔をしていた。
人は見た目によらない。
心からそう思った。
この日、由美はお酒を飲まずずっとノンアルで耐え、あたしのマンションまでやって来た。どうしても憲彦の顔を拝むのだと聞かなかった。
「本当に殴らないでね?」
「分かってるよ」
何度も念を押して、あたしは渋々マンションの憲彦の部屋のドアをノックした。
数秒で憲彦は出てきて「依織」と嬉しそうに笑ったのもつかの間、由美に胸を突かれてのけぞった。
突然のことに驚いた憲彦は、見事に尻もちをついて廊下に倒れる。
「由美?!」
あたしは由美に「約束が違うって!」と詰め寄ったが、
「受身取ったな……」
と格闘家の顔で舌打ちした。
受身?
驚いて憲彦を見ると、「どちら様?」と平気そうに立ち上がっていた。
「依織の会社の同期、正田由美です。昔、依織を盛大に裏切った元カレの憲彦さん、はじめまして」
「由美……その挨拶が先だって……」
あたしは色々と言いたい事が多すぎて、目眩がした。
「ああ……職場の………。色々と話を聞いたんですね……」
「ええ。今日全部」
「あのー……とりあえず中に入りますか?」
「ええ。お邪魔します」
由美はズカズカと中に入った。
あたしは憲彦と顔を見合わせると「大丈夫だった?」尋ねたが、
「平気。気にしなくていいよ」
と言われる。
部屋に入ると、由美はピッタリとあたしに寄り添って座った。憲彦を親の仇の形相で見ている。
「それで?依織とは真剣に付き合うつもりがあるんですか?」
開口一番にそうそう尋ねた。
「ええ、もちろん」
雰囲気に負けて正座した憲彦は答える。
「今は依織からの信頼を得る時間だと思ってるので、付き合うのはもっと先の話ですけど」
「裏切った本人がもう一度信頼を得るのがどれだけ大変か、分かってます?」
「それは、もちろん。でも依織の事を追いかける事も出来なかったあの頃を思うと、今はかなりマシだと思ってます」
由美はじっと憲彦を見た。
「依織は俺をもう一度見てくれた。それに感謝したいし、誠心誠意、依織の心に応えたい。
だからといって無理に引き止めようとは思わない。もし依織が他に想う人ができたなら、俺は身を引く。このマンションを出ていくことになっても止めない。全部、依織が思うようにすればいい。ストーカーのように執着するつもりはないんだ。でも……出来るなら恋愛関係になりたい」
そこで憲彦はあたしを見た。
「もう絶対に裏切らない証明を、これからしていくから。言葉じゃなくて行動で示していく」
憲彦はちゃんとあたしと向き合ってくれようとしている。
それが伝わる顔だった。
由美は嘆息すると、
「あたしも見届ける証人になるんで。あなたの言葉に嘘偽りがないか、ちゃんと見せてもらいます」
そう宣言した。
そして続けて「ダブルデートしましょう」と言った。
「あたしの彼氏にも話をしておくんで、4人の都合が合う日を選びましょう」
「いいですよ。依織は?」
「えぅっ?い、いいよ……」
思わず変な声が出た。
「匠海に依織の過去の事、話しちゃうけどいい?詳しくは言わないようにはするけど、ある程度の事情は説明しないとだから……」
憲彦への口調とは打って変わって、あたしに優しくそう言った。
「それは、まぁ……いいよ」
「なら、またスケジュール組もう。あと、弟切さんにもあたしを紹介して」
「えっ、弟切さんにも?!」
「そうだよ!弟切さんとは仲良くなれる気がしてきた!」
飲みに参加する人が増えた……。
「明日話しとく……」
「うん、よろしく!」
あたしの手をギュッと握った由美の手は、女子にしては硬かった。本当に格闘家やってるんだと実感した。
「じゃ、また明日ねぇ!」
由美はあたしだけににこやかな笑顔を向けて帰っていった。
「しごく分かりやすい態度の子だったな…….今までにないタイプの女子だったわ……」
エレベーターの方へ消えた後ろ姿を見つめ、憲彦は感想を漏らした。
「あたしもああいうタイプとは思ってなかった……。空手やってたの初めて知ったし……。黒帯らしいよ」
「あぁ、どおりで突きが重いわけだ」
そこで、先ほど由美がこぼしたセリフを思い出す。
「憲彦も何か運動やってたの?」
「少しね……。大学でキックボクシングやってた」
まさかの格闘技だった。
「以外すぎる……」
「ストレス発散だったんだよ。いい気分転換になってた」
だから受身も上手いのか……。
「そう言えば、突かれた所平気?」
「平気平気。本気じゃなかったみたいだし。黒帯選手の本気なら、後ろに吹っ飛んでるよ」
それはそうだろう。
「でも、依織にはいい同期がいるんだな」
あたしは憲彦を見た。
「心配してここまで来てくれる、いい友人だね」
「――そうだね」
……あんなに殺意ある目をするのは知らなかったけど。
翌日、由美と弟切さんは意気投合し、『依織の恋を見守る会』を設立していた。
会社でのランチはこの3人で固定されることになった。




