第3話 アル=セリオン指導者学院
魔王国の王都、その中心から少し外れた高台に、
魔王立アル=セリオン指導者学院はあった。
魔王国の王族と貴族の子弟のみが通う、特別な学院である。
剣と魔法、歴史と統治、言葉と沈黙。
未来の指導者を育てるための場所だと、そう説明されていた。
ノクティア=ヴェリタス・アル=セリオン——
まだ「ティア」と呼ばれることの方が多かった頃、
彼女もそこに通っていた。
年は、まだ幼い。
銀髪は短く切り揃えられ、耳は小さく尖り、
白い肌はダークエルフとしては異質なほど目立った。
そして何より、近寄れなかった。
教室に入ると、空気が変わる。
ざわめきが止まり、誰かが息を呑み、椅子を引く音が遠ざかる。
「……来たぞ」
「近づくなよ」
「溶けるって、本当らしいぞ」
小さな声は、十分に大きかった。
ティアは聞こえていないふりをして、
今日も一人、自分の席に向かう。
席は、いつも端だ。
誰も隣に座れないから、自然とそうなる。
教える側——指導官たちもまた、彼女と距離を取った。
叱ることも、褒めることも、簡単ではない。
様々な意味で、近づけば危険だからだ。
結果として、ティアは「放置」された。
理解できないことがあっても、質問できない。
理解していることがあっても、評価されない。
それは、いじめよりも静かで、長く続く痛みだった。
ティアの弟と妹も、同じ学院にいた。
「……姉上」
廊下で声をかけられ、振り返ると、弟が立っていた。
その目には、尊敬も親しみもなかった。
「もっと距離を取ってください。皆が、危険ですから」
それは、正しい言葉だった。
だからこそ、ティアは何も言えなかった。
ある日、机の上に置かれていたはずの本が、床に落ちていた。
ページが破れ、端が焦げている。
ティアがそれを拾おうと屈んだ瞬間、誰かの足が視界に入った。
「闇属性の落ちこぼれが。貴重な本に触るなよ。汚れる」
言葉は軽かった。それを投げた者は、笑っていた。
ティアは、何も言い返さなかった。言い返せば、光が溢れる。
そうすれば、ここでは必ず、誰かが傷つく。
その日の帰り道だった。
学院の裏手、小さな中庭で、
ティアは立ち止まり、しゃがみ込んだ。
膝を抱え、顔を埋める。
声は出さなかった。でも、涙は止まらなかった。
——どうして、私はここにいるのだろう。
——どうして私は、生まれてきたのだろう。
胸の奥が、ひどく痛かった。
「……ティアお嬢様」
低く、静かな声。
顔を上げると、少し離れた場所に従者が立っていた。
ヴァンパイア・ロード。彼だけが、彼女に近づける。
彼は距離を保たない。もうそれで、溶けることもない。
積年のティアとの接触によって、
完全なる光耐性を持った不死者になっていた。
「……泣いては、いけないの?」
ティアが、ぽつりと聞いた。
従者は、すぐには答えなかった。
少し考えてから、首を振る。
「泣いても構いません」
「泣くことと、負けることは違います」
その言葉は、静かだった。慰めでも、励ましでもない。
ただの事実として、正しく述べられた。
ティアは、もう一度顔を伏せた。
今度は、声を殺さなかった。
従者は、何も言わない。手も伸ばさない。
ただ、そこに立っている。
しばらくして、ティアは顔を上げた。
涙で濡れた目が、従者を見る。
「……私は、強い?」
唐突な問いだった。
しかし従者は、即答する。
「はい。ティアお嬢様こそ、最強であられます」
「でも……ひとりだよ?」
「違います。私がずっと、おそばにおります」
従者は、ゆっくりと言葉を選ぶ。
「お嬢様は、いずれ、この世界を統べるお方です」
ティアは、その意味が理解できなかった。
けれど不思議と胸の痛みが少しだけ和らいだ。
立ち上がり、服の裾を整える。
「……明日も、学校に行かなきゃだめ?」
「はい。きちんと学んでください」
ティアは頬を膨らませ、それから、
諦めたように息を吐いた。
「……じゃあ、そうする」
従者の口元が、ほんのわずかに緩んだ。
「それが、最も強い選択です」
後に世界を揺らす決意の、最初の形だった。
強い選択。
幼いティアは、まだ知らない。
この孤独が、この涙が、
彼女を真の王にすることを。
お読みいただき、ありがとうございます。




