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光属性の魔王  作者: 八海クエ
第2章 旅立ち
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第23話 言い訳の値段

 集落を離れてから、しばらくのあいだ、誰も口を開かなかった。


 街道は整っている。空は明るい。

 荷馬車がすれ違い、旅人が挨拶を交わす。


 それが、なんだか苦しかった。


「……助けられるのに、助けないのは」


 シオンが、ようやく言葉にした。だが、語尾が消える。

 怒りでもなく、恨みでもなく、ただ形にならない。


 レインは歩きながら、淡々と言った。


「制度としては、正解なのでしょう」


 感情を挟まない、正しさの形をした言葉。

 シオンは唇を噛んだ。


 ティアは、前を向いたまま歩いていた。

 背中は揺れていない。迷っているようにも見えない。


 その背中を見て、シオンは言葉を飲み込む。

 ティアが何も感じていないはずがないと、知っているからだ。


 夕方、街道沿いにある小さな宿に入った。

 出された湯は熱く、食事は薄味だった。


 夜。


 灯りが落ちたあとも、ティアは机に向かっていた。

 書を広げているわけではない。ただ、何もない木目を見つめている。


「ティア様」


 シオンが呼びかけると、ティアは少しだけ視線を動かした。


「……なに」


「さっきの、集落の子……」


 ティアは答えなかった。

 代わりに、窓の外を見た。


 風の音だけがある。

 穏やかな、いつもの王国の風だ。


「正しさを進める中では、拾われない声がある」

「……分かってたつもりでした」


 シオンは言った。

 拳を握ったまま、続ける。


「でも、目の前で見せられると、耐えられません」


 ティアは、ゆっくりと瞬きをした。


「……耐えなくていいのです」


「え?」


「耐えられるのは、慣れたときでしょう」

「でも慣れることは、自分であることとは違う」


 ティアも、揺れていた。


 シオンは、何か言おうとして、言えなかった。


 そのとき、階段を駆け上がる足音がした。

 宿の主人の声。続いて、聞き慣れない男の息遣い。


 扉が叩かれる。


「旅の方々……夜分、すみません。教会の使いだそうで」


 ティアが立ち上がり、扉を開ける。


 外には、粗末な外套を着た若い司祭がいた。

 息を切らし、何度も頭を下げる。


「突然すみません」

「……昼に、集落から知らせが入りました」


 ティアの目が、わずかに細くなる。

 司祭は、興奮気味に続けた。


「子どもが……目を覚ましました」

「熱が引き、呼吸が整い、いまは水も飲めています」

「母親が、どうしても礼を言いたいと……」

「それで、”美しいエルフの少女”を、追ってきました」


 喜びの報告。

 だが、ティアは笑わなかった。


「何のことですか?」


 司祭が固まる。

 シオンが息を呑む。


「奇跡です。あなたが——」


「よかったですね。でも私ではありません」


 ティアは、笑顔で即答した。


「きっと、神様の気まぐれでしょう」


 司祭は理解できない風の顔をした。

 善意を働いた者が、その善意を否定しているように聞こえた。


 ティアは言葉を続けた。

 まるで、自分に言い聞かせるように。


「制度は、正しいです」

「全体を救うには、順番があり、配分を考えねばなりません」


 レインは、壁際で腕を組み、目を閉じている。


「でも、私は——」


 ティアはそこで止めた。

 続きを、言わなかった。


 言えば、正当化になる。

 言えば、言い訳が正しさに変わってしまう。


 ティアは一度、息を吸う。


「……だから、値段をつけるのです」


 司祭が、目を瞬く。


「値段……?」


 ティアは頷いた。


「50万ギルダ……」

「教会に請求してもよろしいでしょうか?」


 声は静かだった。

 なのに、刃物のように自分へ向いている。


「教会に、そのような金はございません」

「あの集落に暮らす者にも、そのような金は……」


 シオンが、苦しそうに眉を寄せた。


「ティア様……それは」


「わかってます。言い訳ね」


 ティアは言った。

 自分を見逃さない声で。


「私は、情に流されて、例外を作りました」

「それを、堂々と正当化することはできません」


 司祭は、何も言えなかった。

 礼を言いに来たはずなのに、言葉が滑り落ちていく。


 ティアは視線を上げ、司祭をまっすぐ見た。


「取引しましょう」

「お金の代わりに、教会の資料を見せてください」

「私には、50万ギルダの価値があります」


 司祭が目を見開く。

 それから、震える声で言った。


「……救ってしまった。そういうことですね?」


「そう……ですね」


 ティアは短く頷いた。

 司祭は、小さな笑顔を見せた。


「わかりました」

「明日一日だけ、教会の書庫への立ち入りを許可します」


 ティアも、少しだけ口元を緩めた。


「もう、お帰りください。夜道は、危険です」

「教会へは、明日の朝、伺います」


 司祭が去ったあと、部屋に沈黙が落ちる。


 シオンは、耐えるように言った。


「どうして……」


 ティアは答えた。


「王でありたいから」


 自制と、誇り。

 自分の感情に、王の名で枷をかける。


 似た者がいる。

 例外を認めないであろう、正しさの代表。


 ティアはその名を口にしなかった。

 その男は、ティアと同じ種類の背筋の硬さを持っている。


 レインが、窓の外を見たまま言う。


「……ティア様は、自分自身をも赦さないのですね」


 それは責める言葉ではなかった。

 祈る言葉でもない。


「赦したら、次もまた赦すでしょ」


 ティアは淡々と言った。


「それは、制度の否定」

「赦したら——拾われる声も、拾われない声も、ぜんぶ落ちる」


 守るために、冷たくなる。

 救うために、言い訳を必要とする。


 その矛盾を抱えたまま、ティアは椅子に座り直した。


 机の上には、何もない。

 それでも彼女は、そこに確かに見ていた。


 自分が払った、言い訳の値段を。



お読みいただき、ありがとうございます。

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