第20話 正しさの代表
王都の朝は、いつも整っている。
鐘の音は時を誤らず、石畳は前夜の雨を残さず、
白い旗は一様に風を受ける。
そこには混乱も、激情も、偶然もない。
正しさが、管理されている。
第一王子アルベルト=レグナス・アウレリウスは、
東塔の回廊を歩いていた。
護衛は最小限。剣は帯びない。
代わりに手にしているのは、革張りの薄い書類挟みだった。
回廊の先、朝の光を受ける執務室で、彼は立ち止まる。
窓から見えるのは、訓練場。
よく手入れされた甲冑を身に纏う騎士たちが、
同じ動作を、同じ速度で繰り返している。
「いい朝だな」
アルベルトは、その光景を好んだ。
秩序が可視化されているからだ。
彼は“正しさ”の存在を疑わない。
世界は論理で組み上がっていると信じている。
扉がノックされる。
「入れ」
入ってきたのは、宰相補佐官の老人だった。
深く一礼し、報告を始める。
「例の魔王長女の一行が、冒険者と衝突したとのことです」
アルベルトは眉一つ動かさない。
「被害は」
「今回も、死者は出ておりません。装備の没収と、金銭の徴収」
「冒険者側は……また、回復を施された上で、退かされたと」
「合理的だ」
即答だった。
老人が一瞬、言葉に詰まる。
「……王子殿下?」
「死者を出さず、戦闘能力を奪い、再発を抑止する」
「感情的な復讐でも、無意味な慈悲でもない」
「王族が行うべき、最小限の暴力だ」
アルベルトは椅子に腰掛け、書類挟みを開いた。
「問題は、彼女がそれを“王の裁量”として行った点だ」
老人は、慎重に言葉を選ぶ。
「民の間では、彼女を支持する声と、彼女への不安が半々です」
「光の魔王、という呼称も——」
「呼称は放っておけ」
アルベルトは淡々と言った。
「民は名前を欲しがる。理解できないものに、箱を与えたがるものだ」
彼は書類に目を落とす。
夜会事件、退学の理由、去り際の演説内容、教会資料の閲覧履歴——。
「彼女は、感情で動いていない」
それは、評価だった。
「だからこそ、危険なのだ」
老人が息を呑む。
「正しさは、個人が握るには重すぎる」
「正しさは王家が管理し、法が運用し、教会が意味付ける」
「それが、王国の仕組みだ」
アルベルトは顔を上げ、窓の外を見る。
「彼女は、その”あるべき工程”を飛ばしている」
沈黙。
「処罰なさるのですか?」
老人の問いは、恐る恐るだった。
アルベルトは首を横に振る。
「いいや。刺客は送らざるを得ない」
「が、おそらくは無駄だろう。彼女は、強い」
少し考えてから、彼は付け加えた。
「今は観測だ。彼女が“正しさ”をどこまで背負うかを見たい」
彼は静かに続ける。
「民を守ると言いながら、民から憎まれる覚悟があるか」
「秩序を語りながら、秩序の外に立つ覚悟があるか」
その目には、敵意も軽蔑もなかった。
ただ、冷静な興味があるだけだった。
「あちらの継承権争いについては……」
「触れるな」
声は低く、しかし鋭い。
「彼女は、道具にするには危険すぎる」
「それは、第二王女の件で、はっきりしている」
老人は深く頭を下げた。
「承知いたしました」
扉が閉まる。
アルベルトは、自分が正しいと知っている。
幼い頃から、そう教えられてきた。
数で判断し、法で裁き、感情を切り捨てること。
それができる者だけが、王になれる。
だが、彼女は違う。
彼女は正しさを“選ぶ”のではなく“引き受ける”。
アルベルトは、無意識に机の上の紙を一枚、裏返した。
そこには、学院での演説の一節が書き写されている。
『お前たちの正しさとは、せいぜい』
『多数派の顔をしているだけの偽物である』
アルベルトは、それを否定できない。
だが、肯定もしない。
「……だからこそ、王は一人でいいのだ」
呟きは、誰にも届かない。
アルベルト=レグナス・アウレリウスは立ち上がり、窓を閉めた。
光は遮られ、室内は均一な明るさになる。
正しさは、いつもこのくらいでいい。
そう信じて、彼は次の書類を開いた。
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