第2話 従者
大陸暦1273年。
この年、大陸史・正史には二行の記述が残されている。
——魔王国アル=セリオン王家に、長女誕生。
——名、ノクティア=ヴェリタス・アル=セリオン。
それだけだ。
王位継承権第一位の長女誕生にしては、あまりに簡素である。
祝祭の記録もなければ、吉兆の記述もない。
理由は明白だった。
その子は、生まれながらにして——近寄れなかったのだ。
大陸史に名を残す多くの王は、
産声とともに祝福され、神託を受け、星の配置を語られた。
だがノクティアの誕生に立ち会えた者は、極めて少ない。
彼女が息を吸うと、光が、現れたから。
闇属性の者が触れれば肉が削げ、魔力もろとも浄化され、
存在そのものが薄れていくような光。
代々、偉大な魔王が生まれてきた王家の産室は、
闇属性の者には危険すぎる場所となった。
記録官は、入口で筆を止めた。侍女は倒れ、医師は退いた。
母でさえ、長女をまともに抱くことができなかった。
大陸史・注釈には、こう書かれている。
——産室に入った者、二名。
一人は、魔王。
だが彼でさえ、自らの長女を抱けなかった。
もう一人は、名を伏せられた存在。
後に「不死の戦士」と呼ばれたヴァンパイア・ロード。
彼は、自分の身体を溶かしながら、その赤子を抱いた。
皮膚は裂け、骨が露わになり、それでも彼女をあやした。
再生が間に合わなければ、彼はその場で消えていた。
おそらく彼は、間に合わなくとも良いと考えていた。
その瞬間、光がわずかに和らいだと、
後年、記録官は証言している。
赤子は泣かなかった。
ただ、水に空の青を一滴垂らしたような、
薄青い瞳で世界を観察していた。
大陸史・注釈は、ここで言葉を選ぶ。
——この日より、魔王国は沈黙した。
祝宴は開かれず、使者も走らなかった。
他国に「災厄」と誤解されることを恐れたからではない。
違う。
この娘の父である魔王は、理解していたのだ。
この子は、武力によって王になる存在ではない。
恐怖によって魔王国を支配する存在でもない。
世界そのものを、魔王の定義を含め、問い直す存在になる。
だから、祝えなかった。
その後も正史は、静かだ。
——第一王女、魔王立アル=セリオン指導者学校・初等部。
——護衛の従者、ただ一名のみ接触。
——第一王女、王立アウレリウス魔術師範学院に転校。
だが後世の史家は、ここにも注釈を加えている。
——彼女は孤立していたのではない。
——世界が、彼女に追いついていなかっただけだ。
ノクティア=ヴェリタス・アル=セリオン。
後に「絶王」と呼ばれる少女は、確かにこの日、生まれた。
祝福もなく。祈りもなく。
ただ、理解されることを求めぬ存在として。
そして、大陸暦1287年。
転校先、王立アウレリウス魔術師範学院、追放時の演説をもって、
世界はようやく彼女の声を聞くことになる。
史家は、いつも遅れていい加減な解釈だけを垂れ残す。
書き残すべきことを選別している時点で、
それは解釈に過ぎないのだ。
彼女を抱き上げた従者の名が歴史に登場するのは、
十九代魔王の長女誕生から、実に十八年後のことになる。
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