第16話 語られる聖女
王都に比べれば、この街はずっと小さい。
城壁は低く、通りも細い。
だが、必要なものは、すべて揃っていた。
宿屋、酒場、冒険者ギルド、武具屋、薬屋、そして教会。
旅人が滞在し、金が回り、情報が集まる。
普通の街であること。それが、何より重要だった。
「……手配書は、出回ってないみたいですね」
偵察のため、街を一巡して帰ってきた、シオンが言った。
冒険者ギルドの掲示板には、魔物討伐や護衛依頼が並ぶだけ。
ノクティア=ヴェリタス・アル=セリオンの名は、どこにもない。
ティアは、わずかに息を吐いた。
「よかった……」
それぞれが別々に、街の調査に出向く。
全員が、中央広場の噴水に戻ってきたのは夕方近くだった。
「一般冒険者向けには」
「ティア様の討伐依頼は、取り下げられています」
声を潜める。
「ただし」
一拍。
「一部の上級冒険者たちにだけ」
「個別で依頼が回っているみたいです」
正式な掲示ではない。水面下。
つまり——失敗はなかったことにされる。
ティアは、目を伏せた。
「これからずっと、狙われ、襲われるということですね」
「まあ、魔王の長女ですからね。そこは、仕方ないです」
宿屋には、何の問題もなく入れた。
宿主は、旅人としての三人を、
それ以上でも以下でもない目で見た。
食事も、部屋も、普通。
追われている実感が、逆に、現実味を失わせる。
「……嵐の前、ですかね」
シオンが、ぽつりと言った。
「ええ」
ティアは、否定しない。
夕食後、レインは武具屋に行っていた。
戻ってきたとき、なんだか上機嫌だった。
「良い短剣がありました」
布に包まれた刃を、軽く掲げる。
「軽く、癖がなく——血を吸わない」
シオンは、思わず突っ込む。
「……最後、いります?」
「重要です」
真顔だった。
ティアは、少しだけ笑った。
こういう日常が、まだ、残っている。
翌朝。
三人は、街の中心にある教会へ向かった。
石造りの、質素な建物。
王都の大聖堂に比べれば、飾り気はない。
だが、人は、多かった。
祈る者。話を聞く者。導きを求める者。
ティアは、その様子を静かに観察する。
司祭の説話が、始まる。
「——聖女とは」
穏やかな声。
「神に選ばれし、光の器であり」
「迷える人々を導き、闇を退ける、絶対の善である」
言葉は、美しい。分かりやすい。疑う余地がない。
——しかし、人の話ではない。
ティアは、眉をひそめた。
そこに期待されるのは、揺れない偶像だ。
「聖女は、迷いません」
司祭は、続ける。
「苦しみません。怒りません」
シオンが、わずかに肩をすくめる。
レインは、無言で目を細めた。
ティアは、確信する。
——ここには、聖女の“歴史”はない。
あるのは、人々から期待される"外枠"だけ。
説話が終わり、人々が散っていく。
教会の中は、再び静かになった。
ティアは、小さく呟く。
「迷わない、苦しまない、怒らない……」
あるべき姿のまま、そこに固定されている。
そこには、人としての自由がない。
「探すべきは」
レインが言う。
「語られていない部分です」
「ええ。そうね」
ティアは、頷いた。
「記録。古い文書。禁じられた解釈」
歴史とは、むしろ語られなかったものの集積だ。
教会を出ると、街は、いつも通りだった。
人は笑い、商いは続き、祈りは日常に溶けている。
誰も知らない。
ここに立つ少女が、聖女と同じ属性を持ち、
まったく別の道を歩もうとしていることを。
シオンが言う。
「……面倒ですね」
ティアは、それに静かに答えた。
「ええ。だからこそ、楽しいのです」
聖女の歴史は、まだ、その姿を見せない。
だが——歪みだけは、はっきりと見え始めていた。
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