第10話 討伐依頼
それは、偶然ではなかった。
だが、それが"早い段階"で見つかったのは、偶然だった。
王都の冒険者ギルド。
掲示板の前で、シオン=アカネは足を止めた。
学院の用事が終わった後、時間があるときだけ、
簡単な依頼を受ける。それが、金に困る彼女の日課だった。
掃除。護衛。素材回収。簡単な魔物討伐。
低ランクの、目立たない仕事ばかり。
だが、その日、掲示板の一角に貼られた羊皮紙が、
彼女の視線を釘付けにした。
——討伐依頼。緊急。
内容は、簡潔だった。
対象:魔王長女ノクティア・アル=セリオン
特徴:長い銀髪、碧眼、ダークエルフ女性
脅威度:未確定だが王国にとって危険
場所:王立アウレリウス魔術師範学院内
報酬:1,600万ギルダ
生死不問、迅速な対応を求む。
シオンは、呼吸が一瞬、止まるのを感じた。
冗談では、ない。報酬も、破格だ。
依頼主の記名はない。だが、依頼形式は正式なものだ。
冒険者ギルドの公式な判子も押されている。
あり得ない。魔王国と王国の間で取り決められた、
非公式ながらも明確な合意。その上での、転校だ。
それを無視して、王国の冒険者ギルドが、
魔王長女の討伐を依頼するなどと。
意味することは、一つしかない。
裏で、誰かが動いている。普通ではない権力が。
シオンは、依頼書を剥がした。
周囲の視線を気にしない。
気にしている時間は、なかった。
「……ティア様」
学院の裏庭。レイン=ノクスと共にいたティアに、
シオンは依頼書を差し出した。
ティアは、目を通し、すぐに理解した。
「討伐って……私、そんなに危険かな?」
言葉に、感情は乗らない。
だが、その静けさこそが、異常だった。
レインの表情が、わずかに変わる。
「王国が、これを認めたと?」
「はい。冒険者ギルドの正式様式です」
沈黙。
ティアは、考える。
魔王国で起きていたことが、ここまで伸びてきた。
「……弟か、妹でしょう」
呟きは、確信に近かった。
レインが続ける。
「王国上層部の、誰かも噛んでいますね」
でなければ、この紙は冒険者ギルドに貼られない。
その日のうちに、アウレリウス王女殿下にも連絡が入った。
彼女はすぐ、ティアに、面会を求めた。
「違います!」
王女殿下は、ほとんど叫ぶように言った。
「これは、私の意思ではありません!」
「誓って、違います!」
その目に、嘘はなかった。ティアには、それが分かる。
「……わかっております」
「殿下の元・ご婚約者様も、利用されたのでしょう」
ティアの言葉に、王女殿下は、ほっと息を吐いた。
だが、同時に、その顔に影が落ちる。
「……私の周囲に、誰かいます」
声が、低くなる。
「父王の名を使い、私の立場を利用して動いている者が」
弟か。妹か。あるいは、まだ知らぬ誰かか。
王女殿下は、動いた。
父王に直訴し、冒険者ギルドへの圧力を試みる。
「撤回してください。王国の信用を損ないます!」
訴えは、正しい。だが——通らなかった。
理由は、常に曖昧だった。
「調査中だ」「慎重に進めている」「今は動かせない」
時間だけが、過ぎていく。
討伐依頼は、掲示板から消えない。
むしろ、写しが広く回り始めていた。
王女殿下の、まだ幼さを残す唇から、血が流れる。
「私が……御国の継承権争いに、利用されています……」
ティアは、首を振った。
「エミリア=ハイデルグ・アウレリウス王女殿下」
「あなたのその高潔さに、感服いたします」
個人ではない。感情でもない。
問題の所在は、構造にある。
「エミリアとお呼びください」
「ノクティア=ヴェリタス・アル=セリオン第一王女殿下」
「このようなこと、あってはなりません」
その夜。
学院の自室で、ティアは、机に向かっていた。
自慢の写本は、開かれていない。
代わりに、あの討伐依頼書が置かれている。
「……生死不問。殺しても、いい」
「いやー、私も大物になったものね!」
正直に言って、ティアは少しだけ嬉しい気持ちでいる。
レインが、そんなティアの背後に立つ。
「さて。どうなさいますか?」
「まあ、お嬢様を殺せる者など、いないでしょうが」
静かな声。
ティアは、首を振った。
「私は、こういうのは……怖くないの」
「ただ、私を庇おうとする人が、心配です」
誰かが、利用される。危険なのは、自分ではない。
まずエミリア王女殿下。
その元・婚約者も、こうなることなど知らされていない。
そして——シオン=アカリ。彼女が最も危険に近いかもしれない。
レインは、大丈夫だ。むしろ、彼を狙う相手が可哀想なくらい。
少し考えて、ティアは言い切った。
「大切な人を、守ります」
「その方法は、わかっています」
迷いはない。
その言葉には、王女でも、魔王の長女でもない、
一人の、ただ一人の少女の声が混じる。
討伐依頼は、撤回されることはないだろう。
これは、学院の問題ではない。国の問題でもない。
世界の構造の問題だ。
お読みいただき、ありがとうございます。
もう少しで、第1章の完結です。




