第四章:Vibration -命の震え
1. 『エデン』への潜入
聖華市の中心部にそびえ立つ、巨大なガラスドーム『植物園エデン』。 開花記念式典を数時間後に控え、ドーム内は遺伝子操作で強制的に開花させられた『あだ花』たちの、吐き気を催すほど甘い香気に満ちていた。色彩は完璧だが、そこには風も受粉を待つ虫の羽音もない。それは生命の輝きというより、防腐剤を塗りたくられた死体の美しさに近かった。
アカリは警察のIDを捨て、カイと共に裏口の搬入路から潜入した。
「バイオスが少しでも私たちの心拍数や発汗から『敵意』を検知すれば、即座にこのドーム全体に感情去勢ガスが散布される。……心さえ、静かに保つ必要があるわ。」
「案ずるな。レンの曲が、俺たちの盾になる」
カイが端末を操作すると、ドーム内のスピーカー から 超低周波のビートが微かに漏れ出した。バイオスのセンサーがその「不協和音」を処理しようとしてリソースを奪われ、二人の存在を「背景ノイズ」として見失う。
ドームの中央、世界で唯一「死なない花」を展示している中央広場。
そこには、無数のケーブルに繋がれた一人の男がいた。
「……レン!」
カイの声が、静寂を切り裂く。
拘束具に固定されたレンは、意識を失ったまま、脳波を直接巨大なオーディオシステムに同期させられていた。
2. フラワー・アーキテクトの正体
「遅かったな、久世カイ。いや――失われた言葉を探す亡霊よ」
広場の影から、一人の男が姿を現した。エーデルワイス社の元技術顧問であり、アカリの母を担当していた医師でもある男、サカキだ。
「この街は完璧な均衡の上にある。だが、その代償として『不確実な情動』は切り捨てられた。幸福という名のプログラムに従うだけの住人たち……。これは美しくメンテナンスされただけの、巨大な墓場だ」
サカキは狂気を帯びた瞳で、血管のように張り巡らされた無数のケーブルが、レンの体温を奪い、デジタル信号へと変換していく様子を、愛おしそうに指差した。
「だから、私は実験を始めた。最も純粋な絶望を知るアーティストに、死のバイブレーションを奏でさせる。全市民の聴覚デバイスに、レンの脳波から生成した『究極の悲劇』を送り込む。その衝撃だけが、凍りつくサイレンスを溶かすことができるのだ」
「お前のやっていることは救済じゃない。ただの、精神の虐殺だ」
カイの合成音声が、怒りに震える。
3. 直接対決:バイブス対ロジック
「論理を越えた魂のバイブス……。レンの歌詞にある通りだ。だが、私のシステムは、そのバイブスすらも支配下に入れた」
サカキがスイッチを入れると、ドーム全体に重厚なピアノの旋律が響き渡った。だが、それはカイの知っている旋律ではない。レンの魂の叫びを『不協和音』として解析・再構築した、神経を逆撫でする電子的悲鳴。鼓膜をナイフで抉るような高周波が空気を歪ませ、アカリの鼻から、一筋の血が伝い落ちた。
アカリが膝をつき、耳を押さえる。
「……嫌、聴きたくない……お母さん……助けて……」
彼女の意識が、バイオスの強制的な感情操作によって闇に引きずり込まれようとしていた。
「問いかけるぜ、その命の震え!」
カイは叫んだ。合成音声のスピーカーを最大出力にし、レンのビートに自身の心音を同期させる。
「他人に伝えるために、どれだけ自分をDigできる? 信じるとは何だ? 愛されるとは何だ? ……サカキ、お前の言葉には『自分』がいない。ただのシステムへの逆恨みだ!」
カイはスカーフを剥ぎ取った。そこには、10年前の事件で負った、無惨な火傷の痕が生々しく残っている。彼は合成音声の端末を床に叩きつけた。
「アカリ、耳を澄ませろ。機械の音じゃない……俺たちの、鼓動を!」
カイは声を失った喉を、狂おしいほどに震わせた。 焼けた声帯が悲鳴を上げ、喉の奥から鉄の味が広がる。音の形を成さない、しかし大気を、地を、そして人の核を激しく揺さぶる魂の『振動(Vibration)』。その純粋なエネルギーの奔流が、サカキの構築した冷徹なロジックを、そしてドームの静寂を物理的に粉砕し始めた。
ドームのガラスが、共鳴によって細かく震え出した。
真実の華を咲かせるための、命のカウントダウンが加速していく。




