第二章:Mental Suicide - 精神の自殺
1. 旋律に潜む脆弱性
地下室の冷気の中で、カイの指先が虚空を舞う。
モニターには、レンから届いた楽曲『FAKE FLOWER / REAL LIFE』の波形が、まるで脈打つ内臓のように赤く表示されていた。
「聴け、日向捜査官。これが『悪の華』の正体だ」
カイがフェーダーを上げると、重厚なピアノの旋律から中音域が削ぎ落とされ、耳障りな高周波だけが抽出された。アカリは眉をひそめ、耳を塞ぎそうになる。
「何……これ。ただのノイズにしか聞こえないけれど」
「バイオス(感情最適化AI)のフィルターが、市民の耳に届かないよう自動でカットしている帯域だ。不快、不安、怒り――システムが『有害』と定義した感情の周波数。だが、レンはこのノイズの中に、都市管理システムの脆弱性を突くパケットを埋め込んでいる」
カイが特定の波形を拡大すると、そこには規則的なスパイクが刻まれていた。
『鼓動が刻むCode』――。
「このコードが発動すると、指定されたエリアのバイオスが一時的に麻痺する。……現場から音が消えていたのは、犯人が音を消したんじゃない。バイオスが『処理不能な真実の音』を検知して、システムごとフリーズしたんだ。犯人は、システムそのものを凶器に変えている」
2. 第二のあだ花
解析の最中、アカリの端末に緊急アラートが届いた。
第二の事件。現場は、聖華市が誇る「完全自動メンタルケア・センター」の屋上庭園だった。
被害者は、若者に絶大な支持を得ていた「ポジティブ・インフルエンサー」の青年。
彼は、AIが算出した「最も幸福を感じる角度」でベンチに座り、やはり口いっぱいに泥と雑草を詰め込まれていた。
「……彼も、昨日までは『世界は輝きに満ちている』と配信していたわ」
現場に到着したアカリは、青年の虚ろな瞳を見つめる。
彼の網膜には、死の直前までバイオスが投影していたであろう、美しい幻影の残像が焼き付いているようだった。
「知識も、物質も、積み上げたCultureも、魂を抜きにしちゃ、ただの豪華な墓場だ」
カイの声が、アカリの脳裏に蘇る。
被害者たちは、システムによって「不快」を奪われ、同時に「生の実感」さえも失っていたのではないか。彼らの人生は、開花を急がされただけの「あだ花」だったのではないか。
「日向さん、これを見てください」
現場を検証していた鑑識ドローンが、青年の遺体のそばに落ちていた一枚のメモを拾い上げる。そこには、手書きの歪な文字でこう記されていた。
『これじゃ精神の自殺 加速するカウントダウン』
3. バイブスの共鳴
「犯人は、レンの曲を知っている」
地下室に戻ったアカリは、カイにメモの画像を突きつけた。
カイは合成音声ではなく、かすれた、しかし確かな熱を持った吐息を漏らした。
「……いや。犯人はレンの曲を知っているんじゃない。レンの曲を『利用』しているんだ。この曲は、絶望を歌っているんじゃない。絶望から目覚めるために作られた。だが、犯人はこの曲を、都市を終わらせるためのレクイエムに書き換えようとしている」
カイは再び、レンの歌声を再生した。
『問いかけるぜ その命の震え(バイブレーション)』
「日向捜査官。あんたの母親……施設の『最適化処置』を受けていると言ったな。その母親の、本当の声を聞きたいと思ったことはないか?」
「それは……」
アカリは言葉を詰まらせた。システムの管理下にある母は、いつも穏やかで、娘の名前さえも微笑みながら忘れていく。それが救いだと信じてきた。
「真実を語る舌は、凍りつくサイレンス。……俺たちは、凍りついたこの街を溶かさなきゃならない。言葉が再び、脈打ち始めるまでな」
カイの背後のモニターで、レンの波形が激しく跳ねた。
次のターゲットを示す座標が、音の深淵から浮かび上がろうとしていた。




