9.匂い
セレフィ、魔力欠乏で倒れる!
の、その後。
目が覚めたのは学校の医務室だった。
天井がゆるやかに回っている気がする。身体中がダルくて頭痛がしていた。なんだこれ。風邪ひいたときとは全然違う。
ぼやぁっとした視界に白い天井がまず目に入り、淡い金髪がこちらを窺っているのが分かった。
あ、この色知ってる。綺麗な金糸は光を発するみたいで、艶やかでさらさらなんだ。高貴な空気を纏いながら綺麗な金髪を流して歩く姿を、魔法学校の生徒は憧れと畏敬の眼差しで目で追っている。
彼が魔力過多で発熱すると、その金色の髪が汗で額に張り付いてしまう。どうにかできないかといつもそわそわする。私は余分な魔力を取り込むことはできるけど、彼の熱を下げることはできない。普通の人の発熱になら回復魔法が使えるのに、この人に回復をかけると魔力過多の症状が出てしまう。歯がゆい。
歪んだ視界の中で、ロイヤルブルーの瞳が心配そうに瞬いていた。いつもだったら、にこやかに穏やかに、自信ありげに輝いているはずなんだけど。
どうしたんだろう。何かあったかな。
あの青い瞳は、穏やな色しながら無茶ぶりしてきたり、さわやかに微笑みながらきつい命令を下したりしてくる、危険な瞳だ。だけどささいな失敗に声を上げて笑ってくれたり、楽しげにクラスの話とか聞いてくれたりもする。そうすると、とてつもなく嬉しくなってしまう。私のモチベーションにつながる瞳だ。
こんなに不安そうな色は見たことがない。
ルドルフ殿下を理解するって、もともと難しいから。傲慢と寛容と純粋と冷徹が、同じ質量で存在している人だ。今何を考えてらっしゃるか理解しづらくて、でも殿下は我々に先を読んで行動することを望まれている。伴侶になるマリアガさんは、とても大変な思いをするだろう。
ごちゃごちゃの思考を巡らしながら、そういえば今何時かなと思った。そろそろ魔力取り込みに殿下のところへ行かないと。遅れたりすると、またにこやかなお仕置が……
「で、ででででで殿下っ!」
「起き上がらないで」
飛び起きようとした私の肩をルドルフ殿下が優しくベッドに戻した。動いたせいでグラりと視界が回る。おまけに吐き気がする。どうやら私は今、起き上がることすらできないらしい。
気が付けば片手は殿下の手と繋がれていて、殿下の魔力が流れ込んできていた。いつも通りの殿下の魔力だが、なんだか新鮮に感じる。
魔力が身体に補充されていく感覚。気持ちいい……。
「あ、セレフィさんは起きましたね」
医務室の養護教諭の、ナタリー先生が覗き込んできた。翠の髪をした眼鏡美人だが、ものすごく冷静で淡白な先生だ。ルドルフ殿下を前にして畏れ入らないくらい。
今日は学校休みなのに先生がここにいるってことは、呼び出されたのかな。先生って大変だ。
「気分は悪くないですか」
「……気持ち悪いです。目眩もすごいです。視界がぼやけてます。先生、私もうダメかも」
「魔力欠乏の影響ですね。魔法使いの卵ならみんな経験してますよ。
魔力が回復して馴染んだら治ります。図太いセレフィさんがこの程度でくたばるわけないでしょう」
「先生、病人には優しくしよう?」
「病人と言うほどの症状ではありませんよ。
ところで、あなたの相棒たちがあなたが起きるまで待っていると言って聞かないんです。みんな軽いケガ程度で済みましたから、今はダンジョン担当の教諭から説教食らいながら待ってます。教室にいますから、呼んできても構いませんね」
「……あいつら」
「魔力欠乏で倒れたセレフィさんを心配してるんですよ。今回倒れたのはあなただけですし。あなたに限ってはそんなことが起きると思っていなかったから」
「ああ、そっか」
「まったく、休日にダンジョンなんて潜らないでほしかったですね。
ではセレフィさん。ルドルフ殿下の魔力が馴染むまで動かないこと。水分を多めに摂ること」
「はあい」
「殿下、引き続きセレフィさんに魔力供与をお願いします」
「はい」
王族とは思えないほど素直な返事をする殿下に頷いて、ナタリー先生は医務室を出ていった。
ロイヤルブルーの目が扉が閉まるのを確認すると、すぐに殿下が私の茶色の前髪を払った。そのまま枕の脇に肘をついて、覆いかぶさってきた。額と額をくっつける、おでこペタンの魔力供与だ。
いきなり額からドクドクと魔力が流れ込んでくる。すごい量の魔力がやってきてる。てのひらとは比べ物にならない量だ。気持ちいい。
ほわあんと、殿下の温かい魔力に浸っている私に反して、すごく近い距離のルドルフ殿下は、とても不機嫌そうだった。あれえ?
「殿下、機嫌悪いです?」
「良くはないな」
「私は殿下の魔力でおでこが気持ちいいです。もっも早くやってくれたらよかったのに」
「……さすがに人前で、これはできないから」
「ですよねー」
「ナタリー先生早く席外せと、ずっと念じてた」
「祈りは通じましたね」
「セレフィ」
ルドルフ殿下はペチペチと私の頬を叩いてきた。ロイヤルブルーの目はイラついているように見えた。
「ナタリー先生は君が魔力欠乏を起こしたと診断してすぐに、人をやって私を呼びつけた。君への魔力供与に関して私ほどの適任者はいないから」
「……とはいえ、殿下を呼びつけるとは先生も大胆な」
「私を呼ばなかったら君は昏睡状態から覚めなかったんじゃないか」
「すいません……」
「おまけにダンジョンの一部とはいえ、形が変わるほどの魔法を放つとは」
……………………は?
「強大な魔物を倒すためとはいえ、やり過ぎだ。ダンジョンの二階層の奥は、セレフィと悪役令嬢の二人が合作した火炎魔法で、焼き尽くされた。今はきれいな筒状になってるよ」
「うえええ!」
「君の愉快な仲間たちは、上級魔物フリージングウルフ討伐のため、仕方の無い措置だったと証言しているが」
「そうですそうです! 逃げ道もなくて勝ち目もなくて」
「それにしても、ね。君の魔法にあぶられた箇所は、貴重な魔法素材の植物も死滅したらしいぞ」
「ぎゃあ!」
「そこまで燃やし尽くすこともなかろうに」
「だってマジでヤバかったから、殿下のくれた杖で出力最大にするしかないと思って」
「あの杖の、本気か。相手が悪かったとはいえ……」
私とマリアガさんが倒した、あいつ。
あいつは最下層五階層で六年生のパーティを瀕死の状態にさせたこともある、魔法学校ダンジョンの最強の魔物だったらしい。しかも、生徒では手に負えないと判断され、討伐のため教員が組んだパーティの前には一切姿を見せない、という狡猾ぶり。六年生の間ではフリージングウルフの姿を見かけたらすぐに撤退するようにと通達が回っていたそうだ。
そんな最強の魔物が、なんで二階層にいたんだよ……。
「フリージングウルフを倒した功績に免じて、説教のみで処分は不問とされたらしいが。セレフィ、二階層でいったい何してた?」
「えー。えーと、それは……」
「私には言えないようなこと?」
「そ、そんな、別に。いかがわしいことは一切全く、これっぽっちもしておりませんがっ」
「ふうん」
ルドルフ殿下は額を外して私と距離を取った。やけにぎらりとしたロイヤルブルーの瞳が一瞬私を捕らえ、そのまま視界から消えた。殿下の顔がそのまま私の肩口に移動し、頭を預けてきた。
殿下の重みが私の肩口にかかっている。片手は私の身体を抱き寄せていて。
殿下。
あの、これ、ちょっと。きわどくないですか。布団越しですけど抱きしめられてる気がするし。
魔力供与でもないのに、綺麗なお顔が私に触れちゃっておりますけど。
私の首筋に殿下の温かい息がかかった。ひいやあああ。
「セレフィ」
「……殿下、あの、近過ぎ……」
「セレフィから、肉の焼けた匂いがする」
「あ」
「魔法で魔物を焼き尽くした臭いじゃないよね」
「あー……」
「狼の嗅覚って、人間の百倍以上あるんだって。上位魔物ならもっと鋭いかも」
「……えーと。もしかしたら。
私たちが二階層で行っていた、とあるお肉関係の行事により、匂いでフリージングウルフを釣ってしまった、とか」
「いい匂いしてたんだろう、魔物焼肉」
バレてたー!!!
てか、匂いで焼肉ってバレたー!
そりゃそうか、焼肉の煙あれだけ浴びてれば、全身焼肉臭だわな。
魔物焼肉パーティの連中も、先生に焼肉してたこと匂いでバレたのか? それで、説教されてるのか?
ダンジョンで焼肉してたことは許し難いが、ヤバい魔物倒したから停学は不問に処す……とか?
ルドルフ殿下がますます私にくっついてきた。私の首筋に綺麗な殿下のお顔がピッタリと。
お戯れはやめましょう、殿下! もう匂い嗅ぐ必要ないですし! 私の首筋に口とかくっついちゃいますし!
もう片方の手で優しく髪をなでるとか、臣下にしたらダメなやつだと思うんです!
「……くだらないことに命をかけた、セレフィが許せないんだ」
「も、申し訳ございません……」
「私のそばから、セレフィがいなくなると思ったら」
「殿下の魔力過多症の治療できる人間がいなくなりますね。殿下のお身体のためにも、私は死ねませんよね」
「私は感情を揺さぶられるのは好きじゃない。セレフィが関わるといつも揺らぐ」
「すいません。ホント、すいません」
「今後、私のそばを離れないようにしておくべきか。
首輪をつけて紐でつないでおくか。鉄格子で囲い込んでおくか」
「ペットの犬か、犯罪者への仕打ちですから、それ」
「私を一人置いて、死ぬなんて許さない」
ルドルフ殿下はふいに私と目を合わせてきた。ロイヤルブルーの目は真剣で、とても澄んだ色をしていた。
綺麗。だけど、真剣さが、少し怖い。
「セレフィは私のものなんだと、セレフィ自身に刻み込んでおくしかないよね」
「じゅ、十分理解しております、殿下」
「まだ、甘いよ」
「いやいや。私は殿下の忠実な……」
「黙って」
そのあと、おそらく三秒くらい。
ルドルフ殿下は綺麗な形の唇を、私の唇に押し付けてきた。柔らかくぷるりとした感触が、私の唇を塞いでいる。
私は今までで一番近くで、ルドルフ殿下を感じていた。
熱い。殿下の唇が、熱い。
なんで。どうして。
なんでこんなこと……
長い三秒が過ぎて、殿下は私の頭を一撫でして立ち上がった。
顔からは不機嫌さやイラつきなどは消えて、満たされた表情が殿下を彩っていた。ルドルフ殿下が、今日イチで美しい。
廊下からがやがやと話し声が聞こえ、医務室に焼肉メンバーが入ってきた。
真っ先に声を上げたのは、マリアガさんだ。
「まあああ、ルドルフ殿下じゃございませんの! ごきげん麗しゅう!
……え? あら? どうしてセレフィといらっしゃいますの?」
「ごきげんよう、マリアガルテ嬢。私はこれで失礼する。
ナタリー先生、もう大丈夫かと思います」
「ありがとうございました、殿下。殿下もすっきりした顔をされてますね」
「余計な魔力がなくなりましたから」
ルドルフ殿下はベッドで呆けている私に目を向けた。
麗しの殿下はイタズラに成功した子供の顔で、形のいい唇を指でつついて見せた。確実にあらかじめ想定していた、確信犯だった。
「セレフィ、またね」
ルドルフ殿下は神々しい笑みを残して、医務室を出て行った。
それを一礼して見送った焼肉メンバーの一人が、私に目を移し……
「おい、セレフィ。鼻血出てるぞ」
「うー」
「ナタリー先生、この布巾もらうよ。あと鼻の詰め物ちょうだい」
「セレフィ、鼻の上のとこ、ぎゅってつまめ」
「あら、セレフィさん。熱まで出てきたのかしら。顔真っ赤よ」
……ルドルフ殿下。
おい、殿下。
つーか、殿下。
おいこら、あのな。
こういうことはまず、説明からだろが。
……唇を通して、魔力供与の実験するなら、先に言ってよ!
唇から衝撃的な量の魔力がやってきたわ。
三秒がめちゃくちゃ長かった。この鼻血だって急な魔力供与の影響でしょうよ。
されてる行為と圧倒的魔力量で、頭がパンクしそうだったんだけど。
おまけにまたね、ってなんだ。またやんのかよ。ふざけんな。
イタズラにしても、ほどがあるよ。
ものすごく久しぶりに、あの金髪いつかシバく、って思ったよ。
……殿下め。
直接は絶対言えないけど、大声出していいなら、今すぐわめきたい。
よく分からんイラつきをこんな形で返してくるな!
私のファーストなアレも返せ!
殿下は思い付きで面白そうだと思っただけだろうけど、こちとら乙女だ! 気ィ使え!
至高の身分の上司が横暴だ! 殿下の護衛さんたちと力を合わせて、被害者の会を結成するぞ!
……だけど、不安そうな顔して私を見てた殿下も思い出して。一人ぼっちにされた子供みたいな顔が浮かんできて。
すごく心配させたことは、私にだってわかる。感情を揺さぶられるのが嫌い、って言ってた殿下の感情を乱してしまった。大いにかき乱してしまった。
だから、今回の件はこれで手打ち、ってことで、いいですね?
マリアガさんが「なんでルドルフ殿下がセレフィなんかに高貴な魔力を与えてますの!」と叫んでいるのを、男子たちがなだめていた。男子寮住まいの人間は、私が男子寮に出入りしている事情を知っている。ルドルフ殿下の魔力過多症のケアは、私の仕事だ。「セレフィは殿下の特効薬なだけだから」「便利で手軽な、解熱鎮痛剤みたいな」って説明している。おーい、聞こえてんぞ。
そういえばマリアガさん、男子たちと普通に話せるようになってるな。
男子たちも悪役令嬢っぽさを気にすることなく、マリアガさんとしゃべっている。
これは、なかなかの進化じゃない?
悪役令嬢の改造は、着々とすすんでますよ。ルドルフ殿下。
◇ ◇ ◇
魔法学校ダンジョンに禁止項目が追加された。
『ダンジョン内では焚き火その他をしないこと』
ダンジョン魔物焼肉は、魔法学校の珍事件として長く伝えられる事になった。
レジェンドになった、私たち。
……黒い歴史を刻んでしまった。
焼肉パーティからの、反省&お仕置きでした。殿下が、美味しい場面を総取りしていくよ。
評価★★★★★、ブックマーク、リアクション、感想など頂けると、作者のモチベが上がります。大丈夫、モチベ過多症の症状は出たことないです。安心して、どしどしどうぞ。




