第6話 あるマッチングアプリの出会い。
実家で古いスマホを見つけた。
何年も使っていなかったので充電は切れていたが、なんだか懐かしくて。俺は、充電して中の写真を見てみることにした。
自分でも忘れているような写真が多くて、ビックリしながら進めていくと、一枚の写真を見つけた。
そこには。
風船をもった女の子が写っていた。
丸顔で色白の女の子。
パッチリ二重の目を細めて、すごく楽しそうにしている。
彼女は、写真の中で笑っていた。
「なぁ、あれから随分経つけれど。君とのこと、まだ夢にみるよ」
もう、何年も前の話だ。
彼女と出会ったのは、俺が社会人になってすぐの頃だった。当時の俺は、会社でも私生活でも嫌な事ばかり続いて、ウンザリしていた。
ダメ押しは、彼女に浮気されて別れたことだった。幸か不幸か、彼女が男とホテルから出てくるのを目撃してしまったのだ。
腹が立つよりも、「もう恋愛はどうでもいいや」って思った。
何もかもが嫌になっていた。
だから、裏切ったり裏切られたりもイヤだし、面倒くさい恋愛抜きで遊べる相手が欲しいと思った。
それで、たまたま見つけたマッチングアプリに登録してみた。でも、そこでも、手間をかけて下心を偽装する気すら起きなくて。
プロフィールはそこそこにして。
直球で要望を書き込んだ。
「辛いことが続いてしまって、息抜きがしたいです。恋愛抜きで、身体の関係を楽しめる相手を探しています」
……たしか、こんな感じだったと思う。
結局はこれが、俺のマッチングアプリでの最初で最後の投稿になった訳だが。今思い返しても、どうかと思う。
「……まぁ、こんなのにメッセージ来るわけないよ」
そう思って半ば諦めていた。
案の定、広告以外の通知は来なくて、そのうち、俺はアプリの存在すら忘れていた。
すると、2ヶ月くらい経った頃、1通のメッセージが届いた。
「登録みました。玲音っていいます。あの、ボクも色々あって。少しお話してみませんか?」
え。ボク?
……男?
名前は女の子っぽいけれど。
っていうか、俺のあの要望にメッセージをくれる時点で、マトモな人のハズがない。
壺とか売りつけられるのかも。
……俺には不信感しかなかった。
でも、暇だったので、とりあえず返信してみることにした。
何度かやり取りをすると、玲音は、意外にも、ちゃんとした返信をくれる人であることが分かった。
授業の間やバイトの後に、しっかりした返信をくれる。俺が何を送ってもスタンプ一つしか送ってこない妹とは大違いだ。
どうやら、玲音はマッチングアプリを使うのは初めてで、大学生をしているらしい。たまたま俺の投稿が目についてメッセージをくれたと言うことだった。
……いや、初めての人が、たまたまアレに目を留めちゃダメでしょ。
好きな漫画や映画等の趣味もすごく合う。やり取りをしている限り、むしろ、普通の女友達より、ずっと良い子だと思った。
そして、実物の玲音に興味が湧いた。
半分は怖いもの見たさだったと思う。
「会ってみませんか?」
どちらから言ったか覚えていないが、女の子と会うことになった。
「あの……ボクのこと分かりますか?」
約束の場所で待っていると、声を掛けられた。振り返ると、身長は150くらいで、色白な女の子がいた。丸顔に大きな二重で、すごく素直そうだ。肩に掛かる艶々な黒髪に、お嬢様っぽい白いワンピースも良く似合っている。
ボクっ娘とは思えない。
正直、好みの外見だった。
「え、えっと。どうしようか……」
俺がそう言うと、玲音はオドオドした様子で答えた。
「会う前に言ってた通りで大丈夫だよ。……ボク、覚悟できてる……」
そして、会って30分後にはホテルにいた。
さっきまで「ヤバかったら逃げよう」くらいに思っていたのに、現実の俺は、初めて会った可愛い女の子とホテルにいる。
あまりに非日常的な展開に、頭から血が吹き出しそうだった。
メッセージでやり取りはしていたけれど、初対面だし、お酒すら入っていない。
しかも、こんな場所。
気まずい。
場がもたない。
……何を話していいか分からない。
すると、玲音の方から手を握ってきた。
意外に大胆だなと思ったら、彼女の手は震えていた。
その手を見たら、気が引けてしまった。
「俺、緊張して汗かいちゃったからシャワーいいですか? 君の方は緊張してるみたいし、今日はゲームでもして帰ろうか」
女の子は頷いた。
(可愛い子と話せただけで十分。今日はこのまま帰ろう)
シャワーを浴びて戻ると、テーブルに開いた缶酎ハイが一本置いてあった。振ると中の液体がチャプチャプした。まだ半分くらいは残っている。
だが、玲音の目は据わっていた。
半分で?
弱すぎでしょ。
玲音は俺に気づくと抱きついてきた。
「ボク、勇気が出なくてお酒たくさん飲んじゃった……」
いや、沢山って。
1/2本ですが?
「いや、怖かったら無理しなくても」
俺がそう言うと、玲音は首を横に振った。
「ダメ。約束したし……、それじゃ悪いし……」
変に律儀な子だな。
玲音は、俺の返事を待たずに馬乗りになってきて、甘えるように言った。
「……可愛がって……にゃん」
どうやら腹を決めたらしい。
「それにしても、「にゃん」ってなに?」
すると、玲音は顔を真っ赤にした。
「だって、小悪魔特集ってのに、男の子は「にゃん」って言われると、その気になるって書いてあったし……」
「ふははっ」
どうやら、この子は小悪魔になるために予習をしてきたらしい。
この子、アホだ。
アホの子がここにいる。
でも、好ましいと思った。
俺は飲みかけの缶チューハイを手に取り、一気に飲み干した。
……………………。
…………。
さっきまで他人だった女の子は、今、俺の腕枕でスヤスヤと寝ている。
(……やばい。結局、ヤッてしまった……)
でも、玲音の寝顔は幸せそうだった。
「ま、いいか」
そう思うことにした。
それから、玲音は頻繁に連絡をくれるようになった。会話の内容は、女友達以上恋人未満という感じ。
俺には、それが逆に新鮮だった。
しばらくは、お互いに暇な時に会って、エッチして泊まって解散。そんな感じだった。
そのうち、翌朝の朝食を一緒にするようになった。またしばらくすると、昼ごはんも一緒にするようになった。そのあとは、夜まで一緒にいるようになった。
数ヶ月すると、玲音が好きなイベント等に誘われるようになった。関係が関係なので、立ち入ったことは聞かないようにしていたが、玲音は、忘れた頃にポツポツと自分の話をしてくれる。
どうやら彼女は、獣医学部に通う大学生で、動物が大好きらしい。休日はバイト三昧。
俺と出会った時は、彼氏にひどい捨て方をされて、寂しかったらしい。知り合って時間が経つと、玲音の性格は、さらに甘えん坊になった。
家庭環境が複雑らしく、お父さんとはうまくいっていないみたいだったが、代わりにと、弟さんを紹介してくれた。
(家族の紹介って、セフレにするものなのか?)
一年も経つと、うちらは普通にデートするようになっていた。
(これ、普通の恋人と変わらなくない?)
玲音は、俺に好意をもってくれているとは思うのだけれど、「好き」とは言ってこない。
でも、会うと必ずエッチをする。
(これって、やっぱ、どんなに仲が良くても、カテゴリーはセフレってことだよね?)
俺も玲音のことは気に入っていたけれど、変に近づきすぎたら今の関係が壊れてしまいそうで、何も出来なかった。
そんなある日、一緒にテーマパークに遊びに行った。美味しいものを沢山食べて、手を繋いでアトラクションに並んで。
夜のパレードに目を輝かせる玲音の横顔を眺めて。
2人で並んでパレードをみていると、玲音が俺の左の薬指を掴んだ。女の子の右手の人差し指と親指で輪っかにして……ギュッって。
パレードが終わると、玲音に小箱を渡された。
「お誕生日だったよね? えと、恥ずかしいから、お家で開けて♡」
何故か、目の前で開けてはいけないらしい。
玲音は、俺の肩に頭を乗せてきた。
誰もいなくなるまで、2人でライトアップされたお城を眺めていた。
その日は、玲音とエッチをしなかった。
しなかったのは、後にも先にも、その日だけだったと思う。
その代わりに、ご飯の後に、初めて2人でバーに行った。玲音はご機嫌で、ずいぶん飲んでいた。
帰り際、駅のホームで手を振る彼女に言った。
「プレゼントありがとう。飲み過ぎだから、気をつけて帰りなよ」
それが玲音との最後の会話だった。
それから玲音と連絡が取れなくなってしまって、しばらくしてから、玲音の弟さんから連絡がきた。
「姉さん、どうしても無理な理由ができちゃって。もう会えないんです。……すみません」
弟さんは泣いていた。
病気なのか事故なのか。
それとも他の深刻な理由なのか。
理由は分からない。だけれど、玲音の性格からして、きっと、彼女にはどうにもできない状況なのだろうと思った。
……諦めるしかない。
そういう束縛のない関係を望んだのは、他でもない俺自身なのだ。だから、これは自業自得。
俺は何度も自分にそう言い聞かせて。
諦めた。
でも、本当にあっけなく。
玲音は、霧のように俺の前から居なくなってしまった。
涙が止まらなくて。
俺は、自分が思っていた以上に彼女のことを好きだったと気づいた。
……………………。
…………。
「このスマホ、ボロボロだなぁ」
あれから、俺にも色々なことがあったけれど、玲音との思い出は鮮明に覚えている。
そういえば、あの時の小箱。
結局、開けていないんだ。
あの後、俺は怖くて。
小箱を開けることができなかった。
小箱を探すと、スマホのすぐ近くに置いてあった。
俺はリボンを解いて小箱を開ける。
すると、箱には、財布が入っていた。
そういえば、玲音と会ってた頃。
俺の財布、ボロボロだったもんなぁ。
……あの子、俺のことを見ていてくれたんだ。
よくなめされた革の黒い財布。
素人の俺にも、上質な逸品だと分かった。
きっと、大学生には高価な財布だ。
バイト三昧って、もしかして、俺のためだったのかな。
財布を持ち上げると、下にメッセージカードが敷いてあった。
(見るべきか? 彼女の最後のメッセージ……見るべきだよね)
俺は唾を飲み込んだ。
カードを開くと、彼女の字でメッセージが書いてあった。
「ちゃんと家で開けてる? 迷ったんだけど、恥ずかしいから、メッセージにしました。ルール違反してゴメンネ。ずっと言えなかったけれど、いま、ボクは困ってます……君のこと好きになっちゃったみたい」
ったく。
いまさら遅いよ。
おかげで俺は言いそびれちゃったじゃん。
……うちらは相思相愛だったのか。
もっと早く、お互いの気持ちを確かめ合えていたら。俺に勇気があったら。
君と付き合って、結婚して……そんな未来もあったのかな。
……でも、このメッセージで確信してしまった。会えなくなったのは、本当にどうしようもない理由だったのだろう。
また会いたいよ。
それから半年くらいして、また玲音の顔が見たくなって古いスマホを起動した。
すると、マッチングアプリに通知が来ていることに気づいた。
(あれから何もしてないのになんで?)
今度こそ、本格的に壺を売りつけられるのかも知れない。
俺は、恐る恐る通知を開いた。
すると、メッセージが来ていた。
3ヶ月前の日付だ。
俺はメッセージを開いた。
「……ボクです」
その一節に、俺の胸は高鳴った。
続きの文字を追う。
「……まだ募集中ですか? もう会えないと思って、辛くて君の連絡先とか全部、消しちゃったの。気づいてくれるかな……。あのね。ボクね。君と今度は……恋愛いっぱいの関係でやり直したいです」