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第5話 ある美容院の待合室。

 わたしは、美容院の匂いが好きだ。


 好きな本を読んで待っていると、まるで自分が現実から切り離されて、別の世界にいる気がする。


 待合室で本のページをめくっていると、目の前に若夫婦が座った。奥さんは、きっと、わたしと同じくらい。たぶん、22,3歳くらいかな? 旦那さんは身振り手振りで、一生懸命に話している。


 「でさ、これはただのロボットアニメじゃなくて、なんていうの? 思いやりの哀愁? とになく人生の縮図なんだよ」


 奥さんの方は、興味なさそうに雑誌の見開きを眺めている。


 (奥さん、明らかにイヤがってるじゃん。そのアニメで思いやりと哀愁を学んだなら、それくらい察してあげなよ)


 わたしの視線などお構いなしに、旦那さんの声のボリュームが上がった。


 「マジで人生観変わるから。騙されたと思って見てよ。んー、そうだなぁ。総集編のヤツ」


 (騙されてまで、興味ないものを見たくないでしょ。普通……)


 すると、奥さんは面倒そうに聞き返した。


 「旦那君のそれって、終わるのに何時間くらいかかるの?」


 奥さんのその言葉に、旦那さんは何故か笑顔になった。


 「んっ、前後編あわせて、6時間くらいかな。なっ、俺にお前の時間をくれよ」


 (6時間? この人、まじかぁ。時間をくれよ、とかカッコよく言ってもダメだから。縮図というなら、むしろ、この会話にアナタの人格が凝縮されてるし。奥さん、こんなのとは別れた方がいいですよぉー?)


 わたしは視線を本に戻す。

 2人の会話はまだ続いているが、わたしはまた別世界に旅立つ事にした。


 他人に自分の好きなものを薦める場合、よく、価値観を共有したいだとか、こんなに良い物を知らないのはもったいない(機会損失)、なんて言う人がいる。


 でも、わたしは。

 少なくとも、目の前にいる夫婦を見てもそうは思わなかった。


 旦那さんが薦めていたのは、自分が好きなものを相手に認めさせたいという承認欲求そのものだ。


 だから、相手の負担に気づかずに押し付ける。要は、自分のためであって、相手のためなどではない。


 そんな中で、無理矢理に見せられても面白いと思うはずがないし、なまじ見た事によって「これはつまらない」と認識してしまう。


 そうすれば、奥さんは今後、そのアニメに興味を持たないだろう。むしろ、見せられることこそ、機会の損失なのだ。



 わたしは、好きなものを人に薦めるのが悪いとは思わない。でも、それは、押し付けであってはならない。相手が求めた時に。つまり、適切なタイミングで、適切な程度に行われるべきだと思う。

 

 これは、わたしの勝手な予想だけれど、もし奥さんが本当にそのアニメに興味を持って、旦那さん……旦那クンよりも詳しくなってしまったら。……きっと、旦那クンはヘソを曲げるのだろう。



 そういえば、昔、よくうちの両親もこんな話をしていたなぁ。


 うちは、母は他界していて、父もまだ50代の若さで、脳梗塞で要介護になってしまった。1人では何もできないから、四六時中、わたしが一緒にいないといけない。


 今日はヘルパーさんに頼んだけれど、父はわたし以外の介護を嫌がるから、基本は、わたし1人でみている。


 仕事も辞めて1人で看ている。


 父は、引退前は会社を経営していて株などの不労所得があるから、経済的な不自由は少ない。


 でも、わたしには父のお世話があるし、恋人を作ったりは、ちょっと無理そうだ。父にはずっと元気でいて欲しいけれど、大変なことが多いし、これがずっと続くのは……辛い。


 だからきっと。 

 さっきのは、幸せ夫婦へのそねみなのだ。




 「お待たせしました」


 わたしの順番になったらしい。


 わたしの担当は、わたしよりも2,3歳年上のお兄さんだ。髪型は、耳にギリギリかかるくらいの韓国マッシュでダークアッシュの髪色をしている。


 髪に触れてくれる度に、良い匂いがする。



 「いつもの感じでいいですか?」

  

 「あ、はい……」


 この美容師さんの第一印象は「うわっ、チャラそう……」だった。


 でも、話してみると落ち着いていて、すごく気遣いをしてくれる。


 この美容院に来ているのは、この店の雰囲気が大好きだからだけれど、もう一つの目的は、この美容師さんとの他愛もない話。


 今の生活だと、同年代の男性どころか、父以外と話すこともほとんどないし、すごく気分転換になるのだ。


 髪にくしをいれながら、美容師さんは言った。


 「お父さんの体調は大丈夫ですか?」


 「あ、はい。でも、1人でお世話するのは、色々大変ですね」


 「……うん。僕も経験あるから」


 「えっ、意外です」


 「こう見えても、面倒見はいいんですよ〜? うち両親がいなくて祖母と住んでたんですけれど、祖母が寝たきりになってしまって。介護をしていたんです」


 この人、わたしと同じだったのか。


 「それで、どうなったんですか?」


 「色々あって高校は辞める事になって、美容師になりました。……ははっ」


 「そうですか。1人でお世話は、辛くなかったですか?」


 「まぁ、そう……ですね。頼れる人もいなかったし。ここだけの話、祖母に、すごく憎らしいこと言われたりもして、『早く死んじゃえ』って何度も思った。でも、後から振り返れば、かけがえのない時間でした」


 へぇ……。

 この人、綺麗事を言わないんだ。


 父といて、こっちは一生懸命に尽くしているのに、なじられのは、相当にこたえる。父も身体が思うように動かせなくてイライラするのは分かるけれど……それでも泣きたくなる。認知が進んで、日に日に人格が変わっていくのを見続けるのも怖いし。


 二十代のわたしでも辛いのに。

 この人は、高校生で逃げ出さなかったのか。


 「どうしました?」


 美容師さんが心配してくれて声をかけてくれた。わたしは泣いてしまっていた。


 急いで涙を拭った。

 ……気づかれちゃったかな?


 「いえ、なんでもないです」


 彼は言葉を続けた。


 「あ、でもね。心残りがあるんです」


 「それって?」


 「ある時、祖母がね。僕に髪を切って欲しいって。でも、僕は不器用で。全然、うまくできなかった。前髪ガタガタで。それが祖母の最後の髪型になっちゃった。……それはちょっと心残りかな。それで、美容師を目指したってのもあるんです」


 「……きっと、おばあちゃん嬉しかったんじゃないのかな」


 美容師さんは笑った。


 「そうだといいな。貴女もよく頑張りました」


 美容師さんは、わたしの頭を撫でるようにして、髪の束を摘んだ。


 わたしは泣いてしまった。

 涙がポロポロでて止まらない。


 変な人と思われたかな。

 もう、このお店に来れなくなっちゃう。 

 

 すると、美容師さんが言った。


 「あっ、僕、好きなアニメがあって」


 えっ。

 すごい変化球がきた。


 「ぐすっ……アニメみるんですね。ちょっと意外かも」


 美容師さんは、口元を綻ばせ、少しだけ安心したような表情になった。


 「そうですか? 最近のはスゴイんですよ。ロボットアニメなんですけれど、人生の縮図というか……」


 あれっ。

 どこかで聞いたような話しだぞ。


 「へぇ……」


 さて、この人の縮図はどんななのだろう。


 「でね、もし、いつか。貴女に時間ができたら、一緒に観たいなって」


 えっ。それって……。

 わたし、告白されてる?


 「でも、父もいるし」


 「あ、今ってことじゃないんです。何年か先でもいいんです。なんなら、他の映画とかでも」


 「それじゃあ、美容師さんが好きなのじゃなくなっちゃうじゃないですか」


 「なんでも良いって訳じゃないんです。他のっていうのは、貴女が好きなのを観たいっていうか、いや、でも、違うのでも良いっていうか」


 「ふふっ。美容師さん。何、言ってるか分かりませんよ?」


 こんなに落ち着きのない美容師さんを見るのは、初めてだ。


 彼は、わたしの頭に手を置いたまま忘れているらしい。頭に置かれた手から、じんわりと彼の体温が伝わってくる。昔、飼っていたワンコが、時々、舌をしまい忘れていたのを思い出した。


 「いや、だから。要は、貴女と一緒に居たいんです」


 そっか。

 これが彼の人生の縮図なのか。


 大胆かも知れないけれど、わたしは彼の手首に自分の手を添えた。


 「何年も待てないかも。おばちゃんになっちゃう」


 「そんなことない。ずっと綺麗だし。って……それって、OKってことですか?」


 「……はい。わたしの方こそ、よろしくお願いします」


 「やったぁ!!」


 美容師さんは、人目もはばからずに拳を握った。


 「でも、お店の中なのに大丈夫……ですか?」


 「あっ……」


 彼はキョロキョロすると、気まずそうに頭を掻いた。


 すると、わたしたちの様子を見ていた両サイドのお客さんが拍手してくれた。隣の美容師さんにも広がって。


 そのうち、店長さんも出てきて彼に、小さなガッツポーズをした。


 「ようやく伝えられたな」


 そう言って彼の肩を叩いて去っていった。


 なんだか分からないけれど、待合室の人たちも拍手をしてくれた。


 あっ。

 さっきの若夫婦も拍手してくれている。


 ……なんだか恥ずかしい。

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