第4話 寄木細工の玉手箱。
「あづい……」
真夏のある日、俺は実家の押し入れで片付けをしていた。大学が休みなので、お盆の間、実家に帰ってきている。
すると、思わぬ物が出てきた。
寄木細工の秘密箱。
「……これ、まだあったのか」
埃を払った。すると、木を寄せ合わせて組み上げた精巧で美しい柄が浮かび上がった。
……懐かしい。
この秘密箱には、思い出がある。
父からこれを貰ったのは、小学校低学年の頃だった。秘密箱というだけあって仕掛けがあり、開けるには、パズルのように決まった手順で箱の四面を動かし、ロックを解除しなければならない。
スライド回数は箱のグレードによって様々だが、これは49回ギミックを動かすことでロックを解除できる。手作りの伝統工芸品だけあって、価格はそれなりに高い。
うちは貧乏だったから。まだ20代だった両親にとって、この秘密箱は、かなり高価な買い物だったのだと思う。
そんな秘密箱だが、子供の俺は、どこぞでマニュアルを見つけてきて、脳みそを全く使わずに速攻で開けてしまった。
そして、そのことに父親は激怒した。
子供の俺は、自分がなぜ叱られているのか理解できなくて、子供なりにこう思った。
「ロック式宝箱だろ? 取説をみて開けて、何が悪いのか」
そんな俺も今は20代だ。ようやく、あの時の父に追いついた。だから、少しは想像ができる。きっと、無理をして買い与えたのに、取説をみて労なく開けられたのが、残念だったのだろう。
そんな父は数年前、亡くなった。
だからもう、叱られた本当の理由を聞くことはできない。
父は無口な人だったから。
たまに口を開けば「将来のことは決めたのか」って小言ばっかり。子供の頃から一緒にいたのに、分からないことだらけだ。
「……久しぶりにやってみようかな」
俺は秘密箱のロック解除にチャレンジすることにした。今度はもちろん、カンニングはなしで。
適当に何度かスライドさせてみた。
すると、幾何学的な模様が、ズレては繋がって、崩れては組み合わさる。それはまるで生き物の細胞分裂のようだった。
意外に複雑で、なかなか進まない。
(これ……子供の俺が自力でやっていたら、相当苦労しただろうなぁ)
なにか手がかりが欲しくて、箱を陽にかざしてみた。すると、裏面に傷があることに気づいた。
爪で引っ掻いたような傷。
(こんな傷、あったっけ)
…………。
……。
俺はいつの間にか寝てしまったらしい。
目覚めると、暑さで汗だくになっていた。
「あぶね。熱中症になるとこだったわ。……んっ?」
視線を落とすと、秘密箱の下に紙が挟まっていた。紙はノートの切れ端で、こう書いてあった。
「お前は、誰だ?」
俺の字ではない。
お前こそ、誰なんだよ。
寝ている間に、誰かここに入ってきたのか?
ってか、今、何時だ?
俺はスマホを見て、違和感を感じた。
「あれっ。今日は8月12日じゃなかったっけ。13日になっている……。なんで?」
その日からだ。
俺は、不思議な夢を見るようになった。
夢の中で目覚めると、どこかの田舎なのだ。
その家は薄暗くて、白熱灯しかない。
俺はその村で、トタン屋根に板張りの小さな小学校に通っている。家はとても貧しく、ノートや鉛筆も満足に揃っていない。
そんなだから、当然。
学校では、イジメられている。
少しだけ身なりのいい子供達が、俺を囲んで叩いて蹴る。
「おい。寄生虫。お前の家、貧乏すぎ。この前、委員長の給食費がなくなったのもお前が盗んだんだろ? あ? 今日は反抗してこねーんだな。つまんねーなぁ」
イジメっ子たちは、俺の教科書を真っ黒に塗りつぶして、ノートを破って。立ち去っていった。
まぁ、当然だよな。
この少年には、タゲられやすい環境が揃いすぎている。
でも、こんなの、この子にはどうしようもないではないか。
少年は家に帰っても1人だ。
薄暗い平屋の家で、母親の帰りを待つのが少年の日課だった。
六畳の居間には、スマホもなければテレビもない。音といえば、虫の音と、時々聞こえる犬の遠吠えくらい。
暇だから家の中を物色していると、見覚えのある箱を見つけた。寄木細工の秘密箱だ。
「あれ、これは……」
今日は不慣れなことばかりで本当に疲れた。
秘密箱をいじっているうちに、俺は、いつの間にか眠ってしまった。
……………………。
…………。
目覚めると、俺が生まれ育ったいつもの実家だった。さっきのは夢か。
「変な夢を見たなぁ。それにしても鬱な内容だった」
時計を見ると、もう昼過ぎだった。
あれ、また箱の下にまたメモがある。
ってか、やべっ。遅刻する。
バイトに行かないと!!
バイト先につくと、憧れの女の先輩に声をかけられた。
「ねぇ。新人君。きみ、昨日はちょっとだけカッコよかったよ? 番号もありがと。ねっ。今日、夜に電話していい?」
え?
昨日?
昨日の俺は変な夢を見ていただけで、バイトなんて入ってないんだけれど。
先輩は初めてのバイトだった俺に、色々と教えてくれた人だ。明るめのポニーテールに、ぱっちり二重が愛くるしい人。
俺は、密かにこの先輩に憧れていた。
だから、いきなり話しかけられたのはビックリだった。っていうか、なんで俺の電話番号を知ってるんだろう。
バイトが終わって家に帰ると、箱の下のメモの存在を思い出した。メモにはこう書いてあった。
「男だろ? 好きな女は守れ」
えっ?
どういうこと?
夜になると、本当に先輩から電話がかかってきた。俺は緊張してしまって、うまく話せなかったけれど、昨日の話を聞く事ができた。
なんでも、先輩がお客さんに絡まれていたら、俺が「俺の女に手を出すな」と言って守ったらしい。
いや、なに。
その謎の強キャラ感。
痛くて恥ずかしすぎる。
ほんと、ごめんなさい。
だけれど、先輩は「キャラ変しすぎ〜」と笑って許してくれた。優しい人で良かった。
電話を切って、水を飲んだ。
好きな人と話したからかな。
なんだか、気持ちがソワソワして落ち着かない。
……もうこんな時間か。
少し秘密箱をいじってから寝よう。
その日の夜、俺はまた変な夢をみた。
昨日と同じ設定の夢の続き。
カレンダーには昭和の年号が書いてある。
どうやら、ここは過去の世界らしい。
俺は山に囲まれた田舎の村の薄暗い平屋で、母親の帰りを待っている。母は漁港の端っこにあるスナックで働いていて、少年に父親はいない。
母親は恋人ができる度に、その男を家に連れてくる。そして、その男達は、みんな俺を殴ったり蹴ったりするのだ。
母親の恋人は、独身なこともあれば既婚者のこともある。それがクラスメイトのお父さんだったりするものだから、俺はまた学校でも虐められる。
だから、俺……この少年は、母親の恋人が大っ嫌いだった。
すると、母親が帰ってきた。
母親はタバコの匂いをプンプンさせ、玄関に入るなり、パッションピンクのサンダルを投げ捨てた。
ドタドタと廊下を歩いてくるなり、俺に怒鳴り散らした。
「あんた。昨日、学校でイジメられたんだって? なんでやり返さないんだよ。アンタがダサいと、アタシが舐められるだろっ!!」
女は俺に馬乗りになって、何度もビンタをした。俺は手に持っていた秘密箱をギュッと掴んで、ただ嵐が去るのを待つしかなかった。
……………………。
…………。
次の日起きると、俺は実家に戻っていた。だが、手足はこわばっていた。まだ強い恐怖心と箱を握る感覚が、ハッキリと手に残っている。
カレンダーをみると、また日にちが余分に進んでいた。
「母さん、俺。昨日とか、なんか変わったことなかった?」
すると、母さんは笑った。
「いや、なんかあんた。大きなこと言ってたわよ。母さんのことは俺が守るとかなんとか。まぁ、嬉しかったけれど。でも、あんた、いつの間にか、お父さんに似てきたわね」
えっ。
もしかして。
「父さんのお母さんって、スナックで働いてたの?」
すると、母さんは一瞬、表情を曇らせた。
「よく知ってるわね。お父さんはあまり話したがらなかったのに。まぁ、わたしは同級生だったからね。それなりに知ってるけれど……なんていうのかな。自由な人だったわよ」
やはり。
俺の疑問は確信に近づいた。
……夢の中の少年は、父なのではないか?
俺らは夢をみる度に、入れ替わっている。
その次の日は不思議な夢を見なかった。
日によって、見たり見なかったり。
そのうち、俺はある法則に気づいた。
秘密箱のギミックを進める度に、夢を見るのだ。
この箱のギミックは、49回。
もう15回ほど進めているから、残りは34回。
どうやら……夢を見る回数は有限らしい。
その日、俺は寝る前にギミックを進めた。
すると、やはり少年の夢を見た。
……………………。
…………。
少年の家には、テレビはない。もちろん、動画配信などもない。そして、筆記用具も不十分で教科書以外の辞書や参考書などもない。
学校は現代ほど過保護ではなく、勉強の分からない子はおいてきぼり。そして、母親は教育に無関心で、あんな人だ。
これでは、大学どころか高校すら夢のまた夢……。
でも、少年は、教科書の余白に色々と書き込んでいた。もちろん、ペラペラ漫画などではない。きっと、理解ができない先生の話を、余白が真っ黒になるほど、書き込んでいた。
きっと少年は、勉強がしたかったのだ。
だから、少年のために何かしたくて。
俺は少学校で唯一親切にしてくれる女の子に頼んで、ノートを貰った。そしてそこに、俺の知っている知識を書き込んでいく。
少年が解けなかった問題を確認して、その解き方を書き込んでいく。その次の日の分も、その次の日の分も。49回のギミックが終わってしまっても少年が困らないように、少年が中学を卒業するまでの分のノートを作ることにした。
ノートは10冊以上になってしまったが、イヤな顔ひとつせず、ノートをくれた親切な女の子には感謝しかない。
そして、最後のノートを貰った時に。
その子に言われた。
「勉強頑張って。応援してる」
少女は照れくさそうに笑っていた。
あの子、少年に気があるのかなぁ。
なんだか自分のことのように嬉しくて、ニヤけてしまった。
俺は大学まで進学しても、自分が何のために勉強しているのか、それが何の役に立つのか分からなかった。
でも、いまこの瞬間。
俺がやってきた事は、確実に役に立っている。それがとても嬉しかった。
俺と入れ替わった少年も、俺の代わりに頑張ってくれたようだ。とても母さん孝行をしてくれたし、先輩が俺を見る目も、どんどん変わっていった。
ギミックが49回までいった最後の日、高校受験のためのノートを完成させることができた。
ノートの最後には。
きっと、意味はないのだけれど。
俺は自分の名前を書き込んだ。
少年の世界は過去だ。
俺からは少年の存在を認識することができる。だが、逆は……少年からは俺のことが分かるはずはない。
まだ名も知らぬ相手なのだから。
……さぁ、寝るか。
少年との夢の交換も、今日で最後だな。
少年の母親を待ってテーブルでウトウトしていると、母親が帰ってきた。
リーンリーンと虫の声が聞こえる。
時計を見ると23時50分を過ぎていた。今日もまた飲んでいるらしい。パンプスを投げ捨てると、母親は管を巻いた。
「なぁ、あの人……アンタのクラスメイトの父親に聞いたんだけれどさぁ。アンタ、呼び出されてるでしょ? アンタ、明日、ボコられるよ。でも、まさか、舐められたままで、逃げ出したりしないよなぁ? 相手、道具持ってくると思うけど、死ぬなよ? アタシが疑われそうだし、迷惑だからさ」
母親はつっぷすと言葉を続けた。
「ほんと、アンタさえいなければ、あの人と結婚できるのにさ。アンタさえいなければ……」
女は話さなくなった。
どうやら、寝てしまったらしい。
少年は明日、リンチされるのか?
少年の性格は分かっている。
無口で弱音を吐かないこの少年は、母親に望まれれば、絶対に逃げない。
この母親は少年を邪魔だと思っている。もしかして、明日のリンチは母親が仕組んだのでは?
……少年は。
明日、殺される運命なのかも知れない。
(少年に、この事を教えないと)
でも、こんなに大切な事なのに。
どんどん眠くなって抗えない。
眠くて、起きていられない。
時計を見ると、23時59分だった。
もしかしたら、入れ替わりは日を跨ぐことができないのかも知れない。
ノートも鉛筆も隣の部屋だ。
凄まじい睡魔で動くことができない。
くそっ、くそっ。
俺はこんな大事なときに。
いつも役立たずだ。
すぐ近くには秘密箱しかない。
だから、俺は寄木細工の秘密箱に、爪で引っ掻いて書いた。
「ニゲロ」
……………………。
…………。
目覚めると、俺は実家にいた。
「……ううぅ。うっ」
すごい焦燥感と絶望感で、俺は泣いてしまった。
涙が止まらない。
悔しいのか、心配なのか。
20年来の親友を失ったような気分だった。
寄木細工の秘密箱を見ると、ギミックが全て解けていた。あとは表面の蓋を開けるだけだ。
俺は蓋を開けた。
中には手紙が入っていた。
手紙には少年の文字でただ一言。
「ノート、サンキュー」……と。
そして、俺の名前が続いていた。
(あぁ。少年も気づいていたのか)
父さんは口数が少なくて、俺には父さんと沢山話した思い出がない。でも、ずっと昔に、俺は父さんと、沢山、話していたんだな。
すると、母さんが部屋に入ってきた。
「あらあら。良い歳して泣いちゃって。あ、思い出したぁ。お父さんがね。前に言ってたのよ。貴方が、寄木細工の秘密箱をまた開けることがあったら、蓋の裏を見せろって」
「え?」
蓋の裏を見ると、書いてあったのだ。
それは父さんの字で。
「もちろん。行くわけがない」
それから、不思議な夢を見ることはなくなった。でも、それでいい。
もしかして。もしかしてだけど。
父さんは。俺がカンニングでギミックを解除しちゃったから、奇跡がなくなって。
少年と俺が出会えなくなると思ったのだろうか。だから、怒ったのかな。
今日、俺は、お墓の手続きのついでに、父さんの墓参りにきている。手を合わせていると母さんが言った。
「そういえばね。さっき貴方が書類で間違えた漢字。父さんもいつも間違えてたのよ。何度も教えたのに、絶対に直さないの。注意しても、父さんは笑って『俺はこれでいい』って。おかげで、貴方に誤字がうつっちゃったじゃないね」
(いや、それ、たぶん。俺が少年に教えた漢字なんだよ……。なんかごめん)
あ、最近。
将来の夢が決まったんだ。
俺は教師になりたい。
いつかまた、少年に夢で会えたら。
今度はちゃんと正しい漢字を教えるからね。
……父さん、喜んでくれるかなぁ。