終焉のフリースタイル
城の正門をくぐった瞬間、身の毛がよだつほどの冷気が全身を包んだ。
マヤはショートヘアを指先で払いつつ、不吉な風を感じ取る。
ファングは尻尾を立て、鋭い目つきで周囲を睨んだ。
シェリーはターンテーブルを抱え直し、いつでも音を操れるよう心を研ぎ澄ます。
レオはヘッドホンを耳に当て、吐息を飲み込んでから足を進めた。
玄関ホールの奥では紫色の邪気が揺らめき、骸骨の身体に高貴な衣装を纏ったアンデッドリッチが不気味なラップを口ずさんでいる。
その口から漏れる言霊は、重低音よりもさらに深い“闇の圧”をまとい、死霊のざわめきとともにホール中に反響していた。
「生の苦しみ 喰らい尽くす
腐った感情 ここに捨てろ
俺の領域に足踏み入れた報い
その魂まで闇に塗り替えてやる」
アンデッドリッチの声に合わせて、床からはいくつもの死霊がわき上がる。
マヤは無意識に息を呑んだ。
不気味な合いの手が次々に響き、ファングの野生の勘を狂わせようと渦を巻く。
シェリーの手が震えそうになるが、すぐにターンテーブルを操作して正気を取り戻そうとする。
「なんて破壊力…」
ファングが鼻をひくつかせ、尻尾を引きずるように一歩後ずさった。
レオの瞳も恐怖に揺れている。
あまりの闇の重圧に心が砕けそうになる。
そこへ、“あいつの言葉”が脳裏をかすめた。
「弱いままじゃかなわない。
優しさなんて足枷になる」
オリバーの冷酷なディスりが胸に刺さるが、同時に、あのとき感じた悔しさがレオの奥底で熱を生む。
「マヤ、ファング、シェリー…僕、もう逃げたくない」
レオの弱々しい声が微かに震えながらも、ヘッドホンを握りしめるその手は離さなかった。
マヤが鋭い眼差しをレオに向け、少しだけ頷く。
ファングは唸るように息を吐き出し、シェリーはゴーグルをかけ直した。
アンデッドリッチが笑い声を上げる。
「くだらぬ結束。
その無力な声、俺がネクロ・リリックでねじ伏せてやる」
城の梁から幾体もの死霊が降りてきて、邪悪な合いの手を重層的に重ねる。
アンデッドリッチのラップはまるで呪詛のように鼓膜を直撃し、四人の精神を削っていく。
「生きるとか守るとか 所詮は綺麗事
死の支配に抗うなよ 下卑た命を曝せ
絶望に沈む世界が美しい
ここに築くのはネクロな楽園」
あまりの闇の濃さに、ファングが思わず歯を食いしばる。
体が硬直し、ビートに乗れなくなる。
マヤの表情にも焦りが浮かぶ。
優れた煽りのセンスを持つ彼女でさえ、言葉を失いそうになるほどの圧倒感。
しかし、そのときシェリーがターンテーブルに手を滑らせ、深いベースを力強く上げた。
「気をしっかり持って!
負けるなら、何も残らないよ!」
彼女の呼びかけに合わせ、マヤが無理やりステップを踏み、ファングが吠えるように息を吐き出す。
レオは震える声を押し殺して、ヘッドホンのボリュームを上げる。
仲間の足並みに合わせるように、自分のフローを探った。
アンデッドリッチが微かな嘲笑を浮かべる。
「苦し紛れの抵抗など愚かしい。
曲げることのできない絶望を味わえ」
「愚かかどうか、確かめさせてもらう」
マヤが激しく足を踏み鳴らし、一気に煽りのリリックを吐き出した。
「アンデッドリッチのブランディング
死の威圧で圧しきろうなんて
あんたが欲しいのは本当の征服?
そんなんじゃ こっちの情熱は折れないね」
彼女の声に呼応するように、ファングが獣の咆哮を混ぜ込み、攻撃的なラップを重ねる。
「ネクロの境界 腐る思考
一度や二度の死じゃビビらねえ
獣の血が沸く限り 牙は折れない
ビーストスタイルでその王冠に噛みついてやる」
怒涛の煽りがホールを震わせ、死霊たちがざわつき始める。
アンデッドリッチはしかし、一切怯むことなくさらなる闇を喚起した。
「その牙と煽り、全て無駄に変える
王冠を砕け? 笑わせるな
言葉とともに貴様の魂を腐食させよう
闇の深淵に沈めば光は消える」
死霊の合いの手が増幅され、マヤやファングの心まで重く圧迫する。
だが、レオはその闇の中心に一歩踏み込むように前へ出た。
細身の体が震えているのを自覚しつつも、自分なりのラップを探す。
シェリーが小さな声で言葉を投げかける。
「レオ、あんたの“癒しの言霊”が必要。
私がDJでサポートする。
マヤとファングが壁を作る。
あとはあんたが仕上げて」
レオはヘッドホンからこぼれるビートを感じ取り、内向的な自分の奥でかすかに灯る「優しさ」をメロディに変えてみようと思った。
大勢の前で激しいディスりは苦手。
でも、今なら自分が紡ぐ言葉に確信を持てそうな気がする。
「アンデッドリッチ。
確かにあんたの闇は深い。
だけど、俺たちは繋がるラップで支え合う。
その絆が 闇を超えていくんだ」
温かいメロディに乗せて、柔らかいリリックを押し出す。
空気が一瞬だけ静まり、死霊たちが首をかしげるように揺れる。
アンデッドリッチは馬鹿にしたように笑う。
「ぬるい情に縋るか?
そんな浅い光など一瞬で呑みこめる。
慈悲とやらは弱さの象徴。
この場で粉々に砕くまでだ」
腐食するような闇のフローが再び襲い、レオの心をえぐる。
しかし、レオは動じなかった。
後ろでマヤとファングが必死に闘志を燃やし、シェリーのDJがリズムをつないでくれる。
みんなの意志がレオに力を与える。
「なら砕いてみろ、俺たちの想いを。
弱さといえるなら、それでもいい。
けど、この優しさはもう誰にも奪わせない。
俺が今、ここで証明する」
その宣言とともに、レオは“癒しの言霊”を最大限に高めたメロディを紡ぎ始める。
ビートに優しいハーモニーが溶け込み、空間全体にじんわりとした暖かさが広がっていく。
マヤが高速ラップで合いの手を入れ、ファングのビーストスタイルが野性的な迫力を上乗せする。
シェリーはターンテーブルから重厚でいて温かなグルーヴを生み出し、闇のリズムに対抗。
やがて、四人の声が一つに混じり合った。
マヤの煽りが闇を裂き、ファングのシャウトが死霊を押し返し、シェリーの音響操作がアンデッドリッチの呪詛ビートを打ち消す。
最後にレオの“生きる力”がこもったフリースタイルが爆発する。
「闇に堕ちても 希望は消えない
震えた心が 強さに変わる
仲間と繋いだ この瞬間のビート
命が奏でる Rhymeを見逃すな」
そのリリックが響いたとき、アンデッドリッチの目の奥で揺らめく邪気が揺れた。
不死者であるはずの彼が、言霊の波動に耐え切れないのか、一瞬だけ後ずさる。
「くだらぬ…くだらぬぞ…
こんな脆弱な光に、なぜ俺が…」
アンデッドリッチは自分のラップを重ねようとするが、そこにはすでに隙が生まれていた。
ファングが鋭い一撃のようなラップを叩き込み、マヤがそれを煽り上げ、シェリーが相手の邪気を打ち壊すほどの強烈なビートを重ねる。
レオがとどめのリリックを放つ。
「闇に沈む悲しみを背負っても
俺たちは進むんだ 一人じゃない
笑われた優しさも 味方がいれば武器になる
命の歌で あんたの呪縛を超える」
崩れ落ちるように、アンデッドリッチの骸骨の身体から闇のオーラが剥がれ落ちていく。
死霊の合いの手が止まり、紫色の邪気が消えていく。
やがてアンデッドリッチは膝をつき、王冠を床に落とす。
「この…くだらぬ…繋がりごときに…」
呻くように最後の言葉を残し、その姿は灰色の塵に変わって城の床に散らばった。
長い長い闇の死闘は、四人のラップの力で終止符を打たれた。
マヤは荒い呼吸をしながら、拳を軽く握り締める。
ファングは尻尾をさすり、ほっとした様子で床にしゃがみ込んだ。
シェリーはターンテーブルを抱きかかえ、頭を振って息を整える。
レオは震える膝を押さえつつ、ヘッドホンを外して床に両手をついた。
彼らはまだ未熟だ。
けれど、仲間同士で支え合い、互いのスタイルを活かしてラップで闇に立ち向かった結果、誰もが不可能だと思っていたアンデッドリッチを倒すことができた。
不意に、城の入り口から立ち去る気配があった。
レオが振り返ると、廊下の陰に黒いジャケットの男の影がちらりと見える。
ドレッドヘアが揺れ、サングラスの奥に目が光った気がしたが、すぐに視界から消える。
「オリバー…今、いた…?」
レオはそう呟いたが、返事はない。
まるで二度と姿を見せる気がないように、彼はひっそりと立ち去ったのかもしれない。
城の天井から差し込む微かな月明かりが、骸骨の残骸を照らし出す。
その光の中、レオ、マヤ、ファング、そしてシェリーは静かに視線を交わした。
暗い闇を切り裂いた達成感と、まだ見ぬ未来への戸惑いが混ざり合う。
誰もが息を飲んでいたが、マヤがひとつ大きく息を吐き出した。
ファングは尻尾を小さく振って、微笑に似た表情を浮かべる。
シェリーは頭を軽く振って、リズムの名残をかき消そうとする。
レオは胸を撫で下ろしながら、優しい瞳で仲間たちを見回した。
未熟かもしれない。
それでも、彼らは“絆”というかけがえのない力を得て、最凶のアンデッドを撃退するに至った。
そして、すべてを見届けるかのように、夜の静寂の中で彼らのラップの余韻がいつまでもホールに響いていた。