闇の使者と情報屋
朝の光が薄雲を抜けて射し込み、木々の葉を揺らしていた。
レオ、マヤ、そしてファングの三人は人里離れた林道を進みながら、昨日の出来事を思い返している。
ファングの足音は重みがあり、マヤのステップは軽快で、レオはそれぞれの音を感じ取りながら歩を合わせていた。
「ねえ、そろそろ休憩にしない?
私のスイーツ欲が限界にきてる」
マヤが背伸びをしながら、目を輝かせる。
ファングは鼻をひくつかせ、辺りを見回した。
「甘い匂いが…するような、しないような。
ま、腹ごしらえは大事だろ」
野性味あふれる声で呟き、ファングはしぶしぶ同意する。
レオは少し先を見つめながら、どこか落ち着かない様子でヘッドホンを首にかけ直した。
「それなら近くに街があるはずだよ。
昔、地図で見た記憶があるんだ」
やや長めの癖っ毛を風に揺らしながら、レオは優しい調子でそう言った。
マヤは微笑し、ファングは頷いて足を速める。
三人が向かった先には、こぢんまりとした商人の集落があった。
通りには活気があふれ、屋台からはさまざまなビートと香りが漂っている。
目立つリズムに誘われるように歩くと、紫の髪をツーブロックにしてゴーグル型のヘッドホンを首にかけた女性がターンテーブルを回していた。
派手なアクセサリーをジャラジャラと鳴らしながら、通りかかる人々を軽い調子で煽りつつ音を操っている。
「よう、そこのビーストフェイスとショートヘア、あと…癖っ毛ボーイ。
旅の途中?
だったら私のビートでも聴いていかない?」
軽口を叩くその女性は、どこか飄々とした雰囲気を纏っていた。
マヤは興味津々に近づき、視線を合わせる。
「あなた、ただ者じゃなさそうね。
もしかしてDJか何か?」
紫髪の女性はターンテーブルの音量を少し下げながら、口角を上げる。
「うん、情報屋も兼ねてるシェリーっていうDJ。
ここら一帯のラッパーやら魔物やら、なんでもかんでも話が入ってくるのよ」
飄々とした語り口だが、その瞳の奥には鋭い光が宿っている。
レオは好奇心と少しの警戒を抱えながら、彼女の足元を見た。
奇抜なシューズから何やら魔法的な仕掛けを感じ取ったが、深くは問いたださなかった。
「アンデッドリッチって、聞いたことない?
私たち、そいつの情報を探してるんだ」
ファングが低い声で尋ねると、シェリーは笑みを深める。
「アンデッドリッチ。
最近、闇の眷属が活発化してるって噂だね。
聞きたいなら教えてあげるよ」
ターンテーブルを止めると、彼女は弾むような足取りで屋台の裏へ三人を誘う。
簡素なテーブルを囲み、マヤは持っていた甘い菓子をかじりながら、シェリーの話に耳を傾けた。
彼女いわく、闇の使者が各地で暗躍しているらしい。
その名も「シャドウ」という謎のラッパーで、呪いのような闇の言霊を巧みに使って相手を追いつめるという。
アンデッドリッチの手先ではないかとも言われているが、確証はないとのことだった。
「でも、一度姿を現せば、かなりの確率で精神を蝕まれるって話よ。
あまりにも凶悪なビートを持ってるって」
シェリーがいつになく真剣な面持ちで言い切った瞬間、どこからか不自然な冷気が忍び寄った。
レオは背筋に違和感を覚え、立ち上がる。
「やけに静かだ…」
ファングも獣耳を立てて空気の変化を探る。
マヤが腰に手を当てつつ、細かくステップを刻み始める。
そして、不意に頭上から黒い霧が落ちてきた。
「闇のエコーが聞こえるか…
怯える声、澄んだ瞳を濁らせてやろう」
低く響く声が、まるで夢の中の囁きのように三人の意識を侵食する。
その音源を探すと、ローブに身を包んだシャドウが薄暗い路地に浮かび上がっていた。
光る瞳が、あたかも相手の弱みを的確に見つめているかのようだ。
「シャドウ…まさか、ホントに来るなんて」
シェリーは一瞬息を呑んでから、ゴーグル型ヘッドホンを装着し、ターンテーブルを回す構えをとる。
ファングが歯を剥き出しにして威嚇するように構え、マヤは煽りリリックのタイミングを図る。
しかし、シャドウは低いビートを操り、闇のエコーを広げてきた。
レオの瞳がかすかに震え、ほんの一瞬、頭が真っ白になる。
「か弱い意志、怯えた心
光のように見えて ただの幻想
一人じゃ動けず 震える言霊
甘い優しさなど すぐに崩れる」
沈むようなフローが、まるで肉体を通り越して魂を叩く。
レオは胸の奥を踏みつけられたような苦しさを覚えた。
自分が抱えていた弱さを、いとも簡単に見抜かれている気がしてならない。
「レオ、大丈夫?
ここで折れたら、あいつの思うつぼだよ」
マヤが声をかけるが、闇の言霊にまとわりつかれたレオはうまく息ができない。
ファングもまた、狂暴性を煽られるような衝動を必死で抑え込み、尻尾がそわそわと揺れている。
シェリーはターンテーブルに手をかけ、ビートを強める。
「こんなときこそ、私のDJで流れを取り戻す。
耳を貸して、あんたたち!」
彼女の言葉を合図に、重めのベースが空気を震わせた。
マヤが一歩踏み込み、シャドウのビートに向かって高速ラップを刻む。
「闇の帳に包まれたシャドウ
素顔隠して ただの影のラウド
あんたが怖がらせたいなら 待ってあげない
こっちは本能むき出しで踊ってやる」
激しいフロウにシャドウのローブが揺れ、わずかに闇のエコーが乱れる。
続けてファングが獣のように吠える。
「暗がりから 弱さを奪うなんざ 下劣な手口だ
俺の牙はそんな手段を許さねえ
血潮たぎらせ ラップで噛み砕く
ビーストスタイル 舐めんなよ」
荒々しい声がシャドウの周囲の暗闇を切り裂くように響き、わずかに光が差し込んだ。
その光で、レオは一瞬だけ呼吸を取り戻す。
内向的な自分を振り払い、震える腕に力を込めるように、言葉を絞り出す。
「闇を知るなら それを超えたい
仲間がいるなら 立ち止まらない
優しいフレーズが かき消されそうでも
俺の意志だけは 消えやしないんだ」
言葉が全身を巡ると同時に、レオの声にほんのり温かみが戻った。
シャドウはローブの下から怪しく光る瞳を向け、静かな笑い声をあげる。
「闇を捨てても 得るものはわずか
お前らの道も ここで消えるかもしれない
アンデッドリッチが全てを支配する日が来る
そのとき 人の心は根こそぎ奪われるだろう」
不気味な言葉を残したまま、シャドウの姿はスッと薄暗い霧の中へと消えていった。
ファングは追おうとしたが、あまりの急な消え方に足が止まる。
マヤが大きく息をつき、レオの背中を軽く叩く。
「今のが、噂のシャドウなのね」
レオは唇を結んだまま頷いた。
心の中に染みついた恐怖の残滓が、まだスッキリと晴れない。
ファングも眉をひそめながら、尻尾をゆっくりと下ろす。
「アンデッドリッチが全てを支配する、か。
大げさな脅しにしても嫌な響きだな」
シェリーはターンテーブルを操作し、空間に漂う負のビートをかき消すように音を整える。
ゴーグル型ヘッドホンから、微かな安定したリズムが広がり始めた。
「まったく、厄介な相手ね。
でも、あんたたちだけで行くのは無茶じゃない?
私、ついていこうか」
緊張した面持ちから一転、シェリーは人懐っこい笑みを浮かべる。
マヤは彼女をまっすぐ見つめた。
「正直、すごく助かる。
情報が多いってだけじゃなく、あのDJスキルなら私たちの後押しになるし」
ファングも無言で頷いた。
レオはまだ微かに呼吸を乱しながら、それでも穏やかな表情でシェリーを見上げる。
「その…ありがとう。
一緒にいてくれるなら心強いよ」
そう口にすると、シェリーは照れ隠しのようにゴーグルに手を添えて笑う。
紫の髪がきらりと揺れ、派手なアクセサリーが音を立てる。
「じゃ、決まりだね。
アンデッドリッチを追うなら、私が知ってる噂話もいろいろ役立つはず」
四人は濁った闇の気配が取り巻く通りを後にし、再び旅路へ足を向ける。
シャドウの言葉が胸に重く残る一方で、レオは自分の弱さを正面から自覚する。
優しさだけでは押し返せないほど強大な闇が待ち受けていると知り、もっと力をつけなければならないと思い始めた。
うなだれている時間はないと感じたレオは、首にかけたヘッドホンを調整しながら、決意を新たに足を踏み出す。
それぞれのやり方でアンデッドを追い詰めたいという思いが重なり、初対面だったシェリーとの間にも不思議な連帯感が生まれていた。