怒りと鬼火 4
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ぽかぽかと、暖かい――
前にもこんな風に感じたことがあったなと思いながら、わたしはうっすらと瞼を開いた。
ぼんやりとした視界に移りこんだのは、見知った部屋だった。
千早様のお部屋だ。
陽だまりの香りのするお布団はふかふかしていて気持ちいい。
ぱちり、ぱちり、と瞬きを繰り返していたわたしは、そこでハッとした。
……わたし!
「動くな」
慌てて起き上がろうとすると、すぐ近くから声がした。
首を巡らせると水を入れた桶を持って、千早様がお部屋に入ってくるところだった。
「気が付いたみたいだな」
わたしの側に腰を下ろし、千早様がすっと手を伸ばしてくる。
わたしの額にひんやりとした千早様の手が触れた。
気持ちよくて、うっとりと目を閉じようとしたところで、そうではない、と千早様を見る。
「千早様、わたしは……」
あれが夢でないのなら、わたしは三人の男たちに連れ去られて、危うく殺されるところだったはずだ。
最後に覚えているのは、赤い炎の記憶だった。
死にたくなくて、千早様に会いたくて、それをきつく願ったところまでは覚えている。
だけどそのあとがつながらない。
わたしはあれからどうなったのだろうか。
ここが千早様のお部屋で、千早様が目の前にいらっしゃることから、わたしはまだ生きている……のだと思う。
「熱は下がったな。だがまだ動くな」
千早様がそう言ってわたしを寝かしつけ、額の上に水に濡らして固く絞った手拭をおいてくれる。
「熱が、あったのですか?」
「ああ。無理をしたからそのせいだろう。丸一日下がらなかった」
「丸一日……」
つまり、その間ずっと千早様のお部屋を占領していたのだろうか。申し訳なさすぎて泣きたくなる。
「千早様、あの、わたしはいったいどうなったんですか?」
お詫びをしようにも、状況が飲み込めてなければ難しい。
千早様なら何かご存じだろうかと訊ねたのだけど、千早様は驚いたように目を見張った。
「覚えていないのか?」
「……申し訳ありません」
本当に、何故覚えていないのだろう。
気を失っていたのだろうか。だけど、千早様が驚いているようなので、少なくとも途中までは意識があったものと思われる。
しょんぼりしていると、千早様がわたしの髪を梳くように撫でながらふっと笑った。
その綺麗な微笑みに、自然と視線が釘付けになる。
「なるほど、あれは無意識下、か」
どこか楽しそうな声に、わたしはますますよくわからなくなった。
わたしは一体、何をやらかしたのだろう。絶対何かやらかした気がする。
「そんな顔をするな。問題を起こしたわけではないからな」
千早様はそのときの様子を思い出すように目を細めた。
「お前は、農村地にある農具入れの小屋の中に閉じ込められていた。それはわかるか?」
「はい」
どこに閉じ込められていたのかはわからないけれど、小屋の中に農具が詰めれていたので農具入れだろうなとは思っていた。
「俺が到着したとき、小屋は炎に包まれていた。お前が中にいるのではないかと思って小屋を蹴破った俺は……赤い炎に包まれながら、青い炎を纏ったお前を見つけたんだ」
「……青い炎?」
わたしが青い炎を纏っていたとはどういうことだろう?
まったく記憶になくて首をひねると、千早様はわたしの髪の先をいじりながら、やっぱり面白そうに笑う。
「あれはな、鬼火だ。青は、身を守る炎だな。お前はどうやら、青い鬼火が使えるらしい。その証拠に、炎に包まれていたと言うのに髪の先すら焼け焦げていない。覚えていないのなら無意識のうちに自分を守ろうとしたのだろう。まったく、あれを見たときは驚いた」
「鬼火……」
わたし、が?
道間家で、黒を持たず、何の力も持たずして生まれたわたしなのに?
信じられなくて、宙に手をかざしてまじまじと見つめてしまう。
「鬼の中でも、青い鬼火が使えるものは多くない。誇っていいぞ」
「でも、わたし……」
「鬼と人はそもそも違うものだ。道間で無能であっても、鬼となって無能であるとは限らない。……だが、俺も人を鬼に変えたのははじめてだったからな。正直、お前が力を持っているのかどうかまではわからなかった」
わたしも、わからなかった。
今もわからない。
千早様によると、わたしを包んでいた青の鬼火は、千早様が到着してすぐに消えたそうだ。
千早様は小屋の炎を消し、意識を失ったわたしを連れ帰ってくれたと言う。
「それで、いったい誰があのようなことをした? 顔を覚えているか?」
小屋の周りには、わたしを連れ去ったと思われる男性たちはいなかったらしい。
千早様はわたしを助けることを優先して、それ以上は追わなかったそうだ。
千早様のあとを引き継いで青葉様が捜索していると言うが、現場近くにいつまでも残る犯人はいないだろうと千早様が言った。
「顔は、よく覚えておりません。ただ、三人だったのは覚えています」
「足跡の数と一致するな。他に覚えていることは?」
わたしは記憶をたどりながら、覚えていることをすべて千早様に説明した。
と言っても、野菜を届けに来たと言った彼らが、わたしを取り囲んで、そこで意識を失ってしまったので、伝えられることはそう多くない。
「お前はしばらくの間、庭に出ないように。それから、できる限り俺の側ですごせ」
「は、はい……」
千早様のおそばにいられるのは嬉しいけれど、それでは千早様が心休まらないのではなかろうか。
わたしが攫われたばっかりに、千早様や青葉様たちに大変なご迷惑をかけてしまった。
落ち込んでいると、千早様が何度も何度もわたしの頭を撫でてくれる。
その手が気持ちよくてついつい甘えてしまいたくなるけれど、下女であるわたしがいつまでも主の部屋を占拠して、その主に看病してもらうのはおかしいだろう。
「あの、千早様。わたし、もう動けます」
「まだダメだ。せめてあと一日はおとなしくしておけ」
「でも、お食事の支度とか……」
「それは牡丹がやる。あと、休みを取らせていた下女たちも連れ戻そう。もうお前は下女の仕事をしなくていい」
「え……」
つまりそれは、わたしが不要になったということだろうか。
ご迷惑をかけたのだからお邸を追い出されても仕方がないのはわかる。
わかるけれど――
「ちはや、さま……」
お願いだから、いらないと言わないでほしい。
すがるように千早様の袖をきゅっと掴んだわたしに、千早様はただ優しく微笑んで。
「ユキ、俺の嫁にならないか?」
千早様が、とても穏やかな声で、おっしゃった。
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