191. 次はババァ
「さぁて、どうしよっかなー? くふふふ」
シアンは蠢く綿あめのようなものを楽しそうに手のひらでこねる。まるで子供が新しいおもちゃを見つけたような無邪気さだった。その姿には宇宙最強の大天使の威厳などこれっぽっちもない。世界の理を書き換えるすさまじい力を持つ存在が、こんな無邪気でいいのだろうか?
ヌチ・ギの魂は必死に形を変えて抵抗しているようだったが、身体を失った魂にはもはやできることなどなかった。ついさっきまで世界を脅かしていた強大な敵は、もはやただの玩具と化している。
「後で悪事を洗いざらい吐かせるから保管しといて。それからレヴィアの蘇生もよろしく」
クスッと笑ったヴィーナは淡々と指示する。
前代未聞のピンチを超えたばかりだというのにもう平然としている彼女に俺は少なからず驚いた。彼女にとってはひと時のイベントに過ぎないのだろう。
「はいよ!」
シアンは綿あめをポケットに詰めると、指先で空間をツーっと裂いた――――。空間が歪み、そこから漏れ出す光の粒子が周囲に舞い散る。
空間の裂け目に手を入れたシアンは虹色に煌めく神秘的な光の中から金髪の女性を引っ張り出した。
「よいしょっと!」
キョロキョロしながら出てきた女性は、なんと海王星で見た大人のレヴィアだった。
「え? あれ? なんじゃ?」
ブロンドの長い髪を流し、大きな胸を揺らすその妖艶な大人の姿に、思わず息を飲む。
「あれ? ずいぶん育ってない?」
ヴィーナは怪訝そうな顔をして小首をかしげる。
「本人の希望が混ざり込んじゃったみたいだねぇ。きゃははは!」
シアンは朗らかな笑い声をホールに響かせる。
「これからはこの身体で行くとするかのう。うっしっし」
レヴィアは豊満な自分の胸を持ち上げて満足そうな表情を浮かべる。その目には子どものような無垢な喜びが浮かんでいた。死から蘇ったというのに、最初に気にするのが自分の容姿というところが、レヴィアらしいと言えば、レヴィアらしい。
「あんたねぇ、次殺されたらババァにするからね?」
ヴィーナはジト目でレヴィアを射貫いた。
「バッ、ババァ!?」
レヴィアはビクッと体を震わせる。
「きゃははは!」
シアンはその滑稽なさまに笑い、俺もドロシーもつられて笑ってしまった。この笑いの連鎖が、先ほどまでの緊張を一気に払拭していく。
「な、なんじゃ……、そんな笑わんでもええのに……」
レヴィアは俺たちを見回しながら口をとがらせる。その拗ねた表情は、どこか愛おしく思えた。
何はともあれ、これですべて解決である。俺はすがすがしい気持ちで木星を見上げた。木星はそんな俺たちの顛末など何の関係もないように、ただ静かに赤い光を降り注いでいる。
危機は去り、新たな始まりの予感が、ホール全体に満ちていた。俺はドロシーの肩を抱き、二人で安堵のため息をつく。彼女の温もりが、今まで感じていた緊張をゆっくりと溶かしていく。世界の危機を乗り越えた今、この穏やかな時間がどれほど尊いものか、改めて噛みしめる――――。
◇
シアンはホールを元の地球に戻し、空には茜色に染まった夕焼け空が広がった。遠い宇宙の果てから地球へと帰還する感覚は、まるで長い旅路を終えて故郷に戻ってきたような懐かしさと安堵感に満ちていた。西の地平線に沈みゆく太陽が、今日という一日の終わりと、新たな始まりを告げるかのように輝いている。
ヴィーナはビキニアーマーの女の子を優しく手で導きながら宮殿に合流させた。その凛々しい横顔には、万物を見守る女神の慈愛が満ちている。
「これで片付いたかしら?」
と周りを見回した時、突如としてドアがバン!と勢いよく開かれた。その音は、静寂を破る鐘の音のように響き渡る。
「旦那様~! 姐さ~ん!」
アバドンが息を切らせながら必死に走ってくるではないか。
その姿に、思わず胸が熱くなる。魔人でありながら、身を挺してドロシーを守った英雄――――。その真っ直ぐな感情が、どこまでも純粋で眩しく感じられ、俺は思わず駆け出した。
「おぉ、アバド~ン!」
俺はアバドンへ思いっきり抱き着いた。汗臭い体温も今は頼もしく感じられる。
「ありがとう! おかげで解決したよ!」
俺はパンパンとその筋肉質な背中をたたく。俺の声は少し震え、目には涙がにじんでくる。
「え? 私、まだ何もやってないんですが……」
アバドンの困惑した表情には、純粋な戸惑いが浮かんでいる。その素直な反応に、不思議と安心感を覚えた。
ドロシーも駆け寄ってアバドンに抱き着き、堰を切ったように泣き出した。その震える背中からは、彼女が経験した恐怖と、今ようやく手に入れた安心が溢れ出ていた。
「アバドンさ~ん! うわぁぁん!」
その声には、言葉にならない感情の塊が詰まっていた。恐怖、安堵、喜び、感謝――――あらゆる感情が絡み合い、純粋な涙となって流れ出る。
「あ、姐さん、ご無事ですか?」
アバドンは困惑気味に聞く。その優しげな眼差しには、心からの心配が宿っていた。




