171. 九州サイズ
ガン! と、俺は何かに頭をぶつけた衝撃を覚え、意識が現実世界へと引き戻されていく――――。
「う、ここはどこだ?」
周囲を見回すと……、確かにポッドの中だが……冷たいガラスの上に寝ころばされていた。これは、天地が逆転しているのではないか?
何とかガラスカバーを開け、這い出した俺を待ち受けていたのは、衝撃的な光景だった。もはや廃墟と化した神殿の残骸と、その先には理解を超えた異形の存在――神殿をふさぐように聳え立つ、巨大な漆黒の壁が立ちはだかっている。
「なんだこりゃ!?」
戸惑いの声を上げた瞬間、微かな呻き声が耳に届く。
「うぅ……」
振り向いた先で目にしたのは、凄惨な光景だった。テーブルの上に横たわるドロシー。蹂躙されたワンピースからのぞく白い肌は、蒼白さを帯び、小刻みに震えている。
「ドロシー!」
俺は血の気が引く思いで駆け寄り、その儚げな体を抱き起こした。
「あ、あなた……」
力のない声を絞り出すドロシー。その潤んだ瞳には、かすかな安堵の色が浮かんでいた。
「何されたんだ? 大丈夫か?」
弱り切ったドロシーの姿に、俺の目から熱い涙がこぼれ落ちる。
「だ、大丈夫よ……。あなたが……倒してくれたんでしょ……」
力なく微笑むドロシーの表情には、安寧の色が浮かんでいた。
「間に合ったんだな……良かった……」
俺は強くドロシーを抱きしめ、安堵の涙を流す。その柔らかな温もりが、彼女の確かな存在の証となって心に染み入った。
「ただ……あれ……どうしよう……」
「え?」
ドロシーの震える指先が指し示す先には、あの巨大な漆黒の壁がある。
「あれ……何なの?」
「蜘蛛……」
「蜘蛛……? 虫の蜘蛛なの? 壁じゃなくて?」
「蜘蛛なの……」
俺はドロシーの言葉の意味を理解できずにいた。崩壊した神殿を覆い尽くすこの漆黒の壁が、なぜ蜘蛛と呼ばれるのか? その疑問が頭の中を巡る中、不吉な予感が背筋を走る。もしやこれは、管理者の残した最後の試練なのか――。
ガコン!
重厚な音と共にレヴィアのポッドが開かれた。
「なっ! なんじゃこりゃぁ!」
狼狽した声が響き渡る。数千年間拠点として過ごしてきた大切な神殿が異形のものに破壊されているのだ。その絶望は計り知れない。
「蜘蛛……なんだそうです」
俺が告げると、レヴィアは漆黒の壁を凝視した。その真紅の瞳には、底知れぬ不安が宿っている。
はぁっ!?
叫び声をあげたレヴィアは、大きくため息をつき、ガックリとうなだれた。
「これはアカン……。もうダメじゃ。ヴィーナ様にすがるより他なくなったわ……」
あれほど怖がっていた女神にすがらざるを得ない。それは事態の深刻さを物語っていた。
俺は首をひねりながら鑑定スキルを発動させた――――。
アシダカグモ レア度:★
家の中の害虫を食べる益虫 全長:二百五十三キロメートル
特殊効果:物理攻撃無効
「ただの星1の蜘蛛で……、へっ!? 二百五十三キロメートル!?」
俺は思わず絶叫した。その数字の異常さに、背筋が凍る。
「九州と同じくらいのサイズの蜘蛛じゃ。その上物理攻撃無効ときている。もうワシでは手のつけようがないわ」
レヴィアは虚空を見つめながら、肩をすくめ首を振る。その表情には、為す術のない者の絶望が滲んでいた。
「じゃ、この壁は?」
「蜘蛛の足に生えている毛の表面じゃないかのう? 足一本の太さが数キロメートルはあるでのう」
俺は言葉を失った。その規模は、人智を超えた畏怖の対象でしかない。
「ヌチ・ギの巨大化レーザー発振器が蜘蛛に……。止めようと思ったんだけど体が動かなくて……」
ドロシーが微弱な声で説明する。その声には、申し訳なさが滲んでいた。
ゴゴゴゴゴゴゴ
突如として地鳴りのような振動が響き渡る。蜘蛛が動き出したのだ。
バラバラと神殿の大理石が崩落してくる。粉塵が舞い、瓦礫が降り注ぐ中、三人は身を寄せ合って立ち尽くすしかなかった。人類が直面したことのない脅威が、今まさに目覚めようとしていた。