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116. 神々しき聖騎士

「いやぁぁ! あなたぁぁ!」


 ドロシーの悲鳴(ひめい)が、楔となって俺の胸に突き刺さった。


 今すぐにでも飛び出していきたい。


 しかし――――。


 ヌチ・ギ相手に勝つのは不可能、死ぬだけだ。俺は必死に衝動と戦う。


 歯を食い縛り、拳を握りしめる。その苦痛は、全身の細胞が悲鳴を上げ、血管を()くようだった。


「ヒッヒッヒ……、その反抗的な態度……、そそるねぇ。さぁ、どこまでもつかな?」


 ヌチ・ギの声に含まれる嗜虐的(しぎゃくてき)な喜びが、俺の怒りを更に煽り立てる。


 そして、彼が小さな注射器を取り出した瞬間、空気が一気に凍りついた。


「な、何よそれ……」


 青ざめ、全身を震わせるドロシー。


「最強のセックスドラッグだよ。欲しくて欲しくて狂いそうになる……、素敵な薬さ……」


 ヌチ・ギの言葉一つ一つが、俺の理性を削り取っていく。注射器を上に向け、軽く薬液を飛ばす彼の仕草に、ドロシーの運命が垣間見える。そんなものを注射されたら、もうドロシーはドロシーでなくなってしまう。永遠に。


「ダ、ダメ……、止めて……」


 おびえて震えるドロシーの声が、かすかに響く。その(はかな)げな姿に、俺の脳の中で何かがブチっと音を立てて切れた――――。


 俺はグッとドアの切れ目に力を込める。これ以上の我慢は自分が壊れてしまう。


 その時だった――――。


 アバドンがガシッと俺を押しとどめた。その手の力に、彼のゆるぎない覚悟が伝わってくる。


「な、何をする! 離せ!」


 俺は憤怒(ふんぬ)に満ちた目でアバドンをにらんだ。


 アバドンは何も言わず、錯乱気味の俺の手をギュッと握りしめ、じっと俺を見つめ返す――――。


 その温もりが、僅かに俺の理性を呼び覚ます。


「自分が行きます。その間に(あね)さんをお願いします」


 アバドンの目には、燃えるような決意の炎が宿っていた。


「ちょ、ちょっと待て! な、何か勝算があるのか?」


 俺は予想外のアバドンの申し出に唖然とする。俺より圧倒的に強いアバドンだったが、それでもヌチ・ギには全く効かないはず。拘束できても持って数十秒――――。そして殺されるだろう。その恐ろしい結末が、頭の中で鮮明に描かれ、背筋が凍る。


 しかし、アバドンの目には迷いがない。彼はもはや覚悟を決めているのだ。


「私にとっても(あね)さんは大切な人なんです。頼みましたよ」


 俺の手を包むように握る手からは、ある種の諦念が伝わってくる。そう、これでお別れなのだ――――。


「アバドン……」


 俺はいきなり訪れた別れに言葉が出てこない。


 アバドンは最後にグッと力強くサムアップすると、まるで聖騎士(パラディン)のように凛々しく、切れ目を抜けて行った。


 俺の目にはアバドンの後ろ姿が神々しく映る。悪を愛する魔人? とんでもない。俺なんかよりずっと尊い愛の戦士じゃないか。


 そのたくましい背中に思わず(にじ)み出そうになる涙を(こら)え、俺は急いでアバドンの後を追う。彼の捨て身の決意を無駄にしてはならない。その思いが、俺の体を前へと押し進める。


 次の瞬間、アバドンは閃光(せんこう)のごとき速さでヌチ・ギに体当たりを食らわせ、吹き飛ばした。轟音と共に、二人の姿がぶち破られた壁の向こうへと消える。さすがの管理者も、この不意打ちには即座に対応できまい。その(すき)を逃すまいと、俺は全身の神経を研ぎ澄ませドロシーの元へ駆け寄った。


「今助ける。静かにしてて!」


「あなたぁ!」


 ドロシーの目に涙があふれた。


 俺はニッコリとうなずくとナイフを取り出し、ドロシーの手首を縛る革製の拘束具を斬る。斬っても切断できるわけではないが、手首はくぐらせることができるのだ。


「うわぁぁぁん! あなたぁ……」


 脱力して崩れ落ちそうになる彼女の身体を、優しく、しかし力強く支える。その温もりに、俺は安堵の息を漏らした。



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