第八話
「さよなら、慎一」
「さようなら、慎一さん」
「あいよ、来栖はまた明日。優は明後日」
家庭教師の仕事を終え、二人とともに報酬の一つである夕飯を食べた。優の作るカレーは結構おいしかった。
そして膨らんだ腹を携えて、土間で二人に別れを告げる。
本当に夏の熱気に満ちる屋外に出るのは怠い。だから玄関の扉を開ける手は二人を背後に止まってしまう。
あと一応。
本当は気になってないけど、来栖にあいつのこと聞いてみるか。
本当に気になってないんだからね!
「なあ、うちの高校にブロンド髪で、左目に眼帯を着けた女子のこと知ってるか?」
「慎一が女子のこと聞いてくるなんて珍しいね」
ただ、俺の胸中を察しているのか来栖はからかってくる。
苛立たしいことこの上ない。
「ともかく、そいつのこと知ってるか?」
「まあ、慎一と同じ意味で有名人だからね」
「で、名前は?」
「因縁でもつける気?」
「ちげえよ。いいから教えろ」
奥歯を噛みしめ、出来るだけ低い声を出す。
畜生、こんなことになるんだったら好奇心をそのままにしとけばよかったぜ。
苛立ちを隠せない俺を来栖はケラケラと笑う。こいつは処世術で性悪な本性を隠してるときが、一番付き合いやすいぜ。
「……天津司。三組の子だよ」
「おーけー、ありがとよ。それじゃあな」
ただ、饒舌な性悪野郎は、後ろめたそうに言葉を詰まらせた。
なにが野郎を悩ませているのかしら?
いや、いまは野郎の感情よりも、飛んでくるであろう優の面倒な質問から逃れるのが先決だ。
「ちょ、ちょっと慎一さん、その人って!?」
「懇ろな関係ってわけでも、ホットな感情の対象ってわけでもねえ、知的好奇心の満たすためだけの人間さ。それ以上でも、それ以下でもねえよ」
さあ、めんどくさい世界から蒸し暑い世界へ!
戸外へ飛び出て、思いっきり引き戸を閉じて、俺は住宅街へと駆け出す。
かくして三月の終わりに引っ越してきて、四月から始まった新生活の普遍的な日々は終わりを告げる。
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