第六十二話
必死過ぎて真っ白になっていた眼前には、あいつがいじめられていた埃っぽい空間が急に広がる。こんな薄暗くてかび臭い場所は、神の使たる天使にはふさわしくない。
なるほど、あいつはどうしてか一人になろうとしたけど、ここが自分に見合ってねえから、おっさんから鍵を受け取ったんだな。きっと、おっさんが屋上の鍵を持ってることは誰かから聞いたんだろ。人一人の素性すらうわさする連中ばかりなんだから……。
いや、学校があろうがなかろうが、友達のいない司がうわさ話を得ることなんて出来ねえはずだ。
じゃあ、誰かが司に伝えたのか?
誰だ?
来栖か?
違う。
司が野郎とまともに会話をするわけがねえ。
じゃあ、誰が司に教えた?
俺以外で唯一、司とまともに会話ができる優か?
そんな馬鹿な話が合って堪るか。高校の中ですらローカルな話題なのに、外部のあいつが……。
いや、あいつはこのことを知っている。
そうだ、あいつは知っちまってる。
どうして知っている?
誰かが教えたんだ。
いつ、どこで、誰が教えた?
花火大会の日、橋の上で、俺が教えた。
『坂本は現実しか見てない。けど、何とか夢を見ようとして現実の中に投影してただけだよ』
……ああ、分かってるさ。
『坂本は現実しか見てない。けど、何とか夢を見ようとして現実の中に投影してただけだよ』
……知ってるさ。
『坂本は現実しか見てない。けど、何とか夢を見ようとして現実の中に投影してただけだよ』
……明確だよな。
司の言葉がリフレインする中、俺は震える手をドアノブにかける。そして、扉に体重をかけて錆びついた蝶番の音を鳴らす。
開かれたそこは見慣れた屋上。
蒼穹が一面に広がり、降り注ぐ陽光のせいでひどく暑くなっている屋上。
潮風が吹き込んでくるほんのり磯臭い屋上。
そして、俺がいつもサボっていて、司と出会った屋上。
「司?」
興奮と冷静の二極を両方持ち合わせる脳が紡ぎだせることは、たったの一言。そんな双極的な俺は、感情と熱で浮かされる足取りのまま屋上に出る。
「……ああ」
灼熱の日照りの中、声が呆然と漏れる。
視線の先には人一人が通れる程度に壊されたフェンスと、行儀よく並べられた薄汚れたスニーカー、そしてスニーカーの傍らに置かれたスマホと屋上の鍵。
「てめえは天使じゃなかったのかよ……」
事態は可能性から事実となる。
真下から人の騒ぎ声が聞こえてくる。
遠くからサイレンが聞こえてくる。
そして、その全ては白々しい蒼穹に飲み込まれる。
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