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第六話

 車道を猛然と走る車がうるさい。

 けれど、喧しさに対する苛立ちも燦燦と照り付ける日差しには勝てない。

 暑さにやられて満足に動かない脳みそと、気怠い体は感情を放り投げるらしい。それどころか自立さえも放り投げ、学校を囲うコンクリートの外壁に背中をもたれさせる。

 早く来ねえかなあ……。

 待ち人を待つ時間は退屈だ。あと、校門を通りかかる奴らがちらちらと俺を見てくるのは不愉快だ。


「まあ、仕方がねえか……」


 もっとも、これは俺が主体となった出来事の結果だ。

 だから、仕方がない。

 自分由来の業は自分の手でしかぬぐい取れない。餓鬼道から徳を積んで解脱するのと同じだ。そんな色即是空を想いながら、空を見上げる。公転と自転を無視して青すぎる天球の頂上にずっといるかと思われる太陽も、徐々に西に沈んで行っているらしい。

 うわさも事実も同じように人の記憶からなくなりゃ良いのに。


「お待たせ。これ、お詫び」

「てめえ、缶ジュースを渡しておけば俺が無条件で許すって思ってるわけじゃねえだろうな?」


 黒いリュックを背負った来栖は、いつもと変わらない柔和な笑みを浮かべ? いや、辛気臭い笑みを浮かべながら、缶ジュースを渡してくる。いま買ってきたばかりのそれはまだ冷たい。


「それじゃあ、帰ろうか」


 来栖は曇った笑みの中で、憂いに富んだ声を発した。

 もしかしたら、本人は隠し通せている気になってるのかもしれない。

 けど、俺にはお見通しだ。


「なんかあったのか?」

「うん? 無頼を気取ってるくせに珍しいね」


 目を丸くして来栖は驚く。そして、俺は野郎の呟きに辱められる。


「気取ってねえよ。俺はいつだって熱い男さ」

「知ってるよ」


 顔が赤くなっている俺を見て、来栖は落ち着いた笑みを浮かべる。憂いの宿った双眸と端正な造形も相まって人形みたいだ。

 ただ、目の奥にあるちょっとしたサディストの気質と、頬を伝う汗と不機嫌そうに横一文字で結ばれている口が人間であることの証明だ。というより印象的な証拠よりも、俺と歩いていることが何よりの証拠だ。いまの自然科学できないことを自然とこなしているんだから。


「他言無用で頼むよ」

「俺が信用できねえか?」

「いや、そうだね、それじゃこれは俺の落ち度だ」

「ああ、そうだとも。だから、話してくれよ」


 無機と有機を混在させていた来栖だったが、俺の目を見るや否や、混在を有機に傾かせた。


「と言っても、慎一には何度も聞かせてる話だよ」

「ちぇ、くっだらねえ。またプロポーズかよ。これで何回目だ?」

「八回目かな? いやあ、モテるのも辛いねえ。本当につらいよ、特に告白を断る瞬間なんて胸が張り裂けそうになる。慎一もそれだけ顔が良いんだからわかるだろ?」


 退屈そうで厭味ったらしいと表情に、二重の意味で体が強張る。


「冗談だって、落ち着いて」

「嫌味な冗談はときとしてナイフになるんだぜ」

「ああ、猛省するよ」


 来栖は爽やかな笑みとともに反省する。

 冗談めいた野郎の飄々とした態度は、俺の体から強張りを奪う。


「わかってくれたならそれでいいさ」

「慎一よりか、ものわかりは悪いけどね」

「相対的に見るもんじゃねえよ。そう言うのは主観的に見るもんだ」

「慎一なりの慰め?」

「真理だよ」


 色づくことを知らない陽光、横から吹き付ける海風になびく髪、吹き出るような汗の不快感と来栖から香ってくる制汗剤の香り、そして俺の心持。そのすべてはいままで経験してきた夏に戻っていく。

 ぼんやりとした懐かしさだ。

 エモか、これが。

 なら、オレンジジュースの香りでさえエモか?


「そういえば、慎一は告白されたことないの?」

「ねえよ、大体さっきの騒ぎで大体わかるだろ」

「騒ぎ? って、校門前のね。あれ、やっぱり慎一だったんだ」


 俺が放置した状況から来栖は事件の概形を読み取ったらしい。

 流石は来栖、ものわかりが抜群だ。


「そういうことだよ。人助けしてもこの様だ」


 わざとらしい落胆の素振りをしながら、冷たい缶に口をつける。人工的に作られたオレンジなのに、口に残って喉を潤す清涼感は本物とあまり変わらない。


「それに俺は女子と付き合うつもりはねえよ。見た目で判断して阿諛追従してくるような穢れた精神を持ってる奴とどうして付き合う道理があるんだ」

「じゃあ、『穢れた精神』ってやつを持ってない女子となら付き合えるの?」

「かもしれないな。もっとも、天使のような聖なる心を持つ女なんて世界に居るとは思わねえけど」

「いるかもしれないよ。もしかしたらね」

「じゃあ、期待するさ」


 いるわけがない存在を信じられるはずがない。空想の産物を現実において待ち望むのは馬鹿がすることだ。

 ああ、そうさ、ニンフェットとフォーンレットの存在を許容してる世界においてそんなことはありえない。決してな。


「ふう、やっと着いたか」

「『やっと』って、学校から十分も歩いてないよ」

「夏は距離と時間を倍にするんだ。だからこれは『やっと』だ」


 屁理屈を唱える俺に苦笑いを浮かべる来栖を他所に、住宅街の一角にあるごくごく普通の家を見上げる。真新しいグレーの外壁と黒い三角屋根が特徴的な一戸建て。住宅を囲う薄っすらと汚れた白い外壁には、金色の板に黒い文字で『来栖』と銘打たれている。


「それじゃ、よろしく頼むよ。先生」

「おかのした」

「それ、妹の前じゃ絶対に使わないでよ」

「わかってるよ」


 そして、軽口をたたき合った俺たちは、いつもと同じように来栖家の扉を開ける。


ご覧いただきありがとうございます。

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