第五十九話
俺はお前を見つけた。
俺はお前を知った。
けれど、俺は夢幻に生きていた。
だから、俺は祈るだけだった。
八月十六日。
来栖家に行き、優に勉強を教えた。
ひどい断り方をしたのにもかかわらず俺の都合の良い予想通り、俺を受け入れた。もっとも、彼女は挑発的に『今度は惚れさせますから』と一言、俺に突きつけてきた。俺としてはあまり良い気分じゃなかった。しかし、彼女はそれだけで上機嫌に勉強に励んでくれた。
八月十七日。
無し。
八月十八日。
無し。
八月十九日。
無し。
八月二十日。
懊悩。
八月二十一日。
無し。
八月二十二日。
無し。
八月二十三日。
無し。
八月二十四日。
司に連絡を入れるが、返答無し。既読すらつかなかった。
八月二十五日。
煩悶。
八月二十六日。
苦悩。
八月二十七日。
無し。
八月二十八日。
明日への絶望。連続性へのとてつもない絶望……。
八月二十九日。
今日、夏休みが終わった。
……こうして十五日以降の日程を振り返って自嘲しても気は楽にならない。
学校に行けば再びあいつと顔を合わせてしまう。今日でなくとも、いつかどこかのタイミングでその時は確実にやってくる。そして瞬間において俺が絶望することも必然だ。
自分が救済されない存在に居ると知った二重予定説を信じる者は、滅びまでの時間を淡々と歩むことができるだろうか。俺から言わせてもらえば、そんなことはできない。破滅が確定しているのであれば、生への活力は失われる。足取りは重くなり、彼の視界に映る全ては憎悪の対象となり得る。
なるほど、司の日常ってのは……。
いいや、こんなのは登校の足取りが重いこととカルヴァン主義を繋げて、無理やりあいつの人生を語ろうとしているだけだ。
人は人だ。
世界は世界だ。
俺の世界にあいつの世界は含まれていない。
だから俺があいつの世界を語ることはできない。
こんな初歩的なことを忘れるじゃねえよ。
「ちきしょう……」
八月も終わりだというのに、晴れ渡った天球には真っ白な太陽が鎮座して、刺々とした熱い光を地上に浴びせ続けている。陽炎はアスファルトの上にむらむらと湧き上がって、住宅街から学校へ続く道の輪郭をぼやかしている。
「あっつ……」
七月の上旬から変わらない夏の日差し。
体を否応なく焼いて、汗をかかせ、人のやる気をごっそりと削いでくる真っ白い光の帯。
そう言えば、司と初めてあった日もこんな感じだったか?
清々しい雲一つない空に、蒸し暑さ……。
あいつと一緒に居るときはいつだって空は晴れ渡っていたし、いつだって暑苦しかった。そして、あいつの電波を受信している態度も厭わしくて仕方がなかった。自分を天使と言い、俺を神様と呼ぶ、あの関係はひどく鬱陶しかった。だから、あいつとの契約が切れたいま、俺の胸は精々している。
そう、精々しているはずなんだ……。
嘘を吐くのは、止した方が良いな。すっきりしている訳がないだろ。
司との契約満了であいつとの関係の全てが吹っ切れていたのならば、優との関係を双方ともに納得できる形で修繕した十六日以降、俺は熟睡できたはずだ。
だが、実体は違う。俺は十五日から今日に至るまで、まともに寝れたためしがない。忘れた記憶が悪夢として蘇ってくるんだ。過去に経験した全てが、もう一度俺の身に降りかかって、俺を苦しませてきやがる。おかげさまで、来栖家に行く度、来栖と優に『顔色が悪い』なんて言われる始末だった。
ちきしょう、俺の健康と安寧な日常を返しやがれってんだよ。
……まあ、安眠できない状況を作り出したのは、十五日の俺だから仕方がねえ。
「……セラピーでも受けてみるか?」
冗談じゃねえ。
小六のときに警察に受けさせられた積み木を積めとか、木の絵を描いてみろとか、なんか色々やってご高説を貰ったそれが役にたたないのはわかってるだろ。役に立ってたらこんな人間は出来上がらねえだろ。
最悪だよ。
意識を有していたら司と記憶がフラッシュバッグしてくるし、意識を手放したら過去が苛んでくる。そして、記憶の最悪から逃れるために朝早くに家を出て、学校に向かっている自分も最悪だ。
反省ができないなんてよ、最も恥ずべきことだぜ。
「こういう時は音楽だな……」
意味のない自嘲を妨げるために、スラックスからワイヤレスイヤホンを取り出して、両耳にそれを突き刺す。スマホで選択するのは適当なプレイリスト。そして流れてくるのは……。
「”Teen Age Riot”かよ。こいつは気分じゃねえな」
沈んだ気分に奔放を叫ばれても気が重くなるだけだ。
気分にそぐわない曲は飛ばして、次の曲だ。
「……”Save me”か。しかも、”Queen”じゃなくて”XXXTENTACION”とは分かってらっしゃる」
重苦しくて鬱々とした詩は、俺の憂鬱な記憶に苛まれる頭に響き渡る。旋律は普段よりも静かな道を、より静かに感じさせる。
「教えてくれ、このクソがいつ終わるのかを……」
自分なりに訳した悲劇的な彼の詩を陽炎へ抒情的に呟く。
そんなトートバッグ一つしか持ち得ない悲劇気取りのロマンチストは、情けない笑みを浮かべながらゆったりと学校に向かう。
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