第五十七話
「……ああ、ああ! やっぱり、貴方の目は盲です! 歴史に惑わされ、科学に惑わされ、真実を見ることができていません!」
取り乱す俺を前に、お兄さんは一層強烈な取り乱しを見せる。
錯乱した彼の叫びは周囲に散っていく。さっきまで彼らを無視していた人でさえ、立ち止まり、彼に好奇と憐憫の視線をぶつけている。中には俺と彼にスマホを向けて、ことの始終を撮影する奴もいる。
「ねえ、慎一。もう離れた方が俺は良いと思うよ」
背後で縮こまっている来栖は俺の耳元で囁いた。
「ああ、けど、決定的な証拠がまだ」
「いや、もう証拠は獲得したはずだよ。だって、彼、『天津さん』の存在を肯定してたじゃん」
「他人かもしれないだろ?」
俺はまだ『天津ひとみ』本人から聞いちゃいないんだ。『天津ひとみ』と『天津司』は血縁上の関係にあるかどうかを。
「信じたくないんだね」
「……」
建前を見抜いた来栖は俺の核心へと手を伸ばし、俺に向かって溜息を吐く。
「真実は受け止めなきゃいけない」
分かってるさ。
分かってる。
けどよ、それはあんまりな運命だとは思わねえか?
「ああ、貴方は、この間の! ようこそ来てくださいました!」
来栖に対し沈黙を貫いていると、雑踏の靴音から外れた異なる靴音が二人分、背後から聞こえた。
「ああ、天津さん! それと我らが天使様!」
目の前の彼は狂気を顔からすっかり取り除き、満面の笑みを浮かべ、俺の背後を見る。
それは歓喜であり、感謝であり、救済だ。
「天津さん、この方々は天使の母親である貴女に導かれたのに、まだ盲なんです!」
「仕方がありませんよ、だってまだお若いんですもの。お若い方は多感ゆえに毒電波に犯されやすいんですよ。ですから、世界の真理が見えないのは仕方がありません」
聞き覚えのある上品な声は俺を憐れむ。
「けれど、もう大丈夫です。私と聖なる天使がお二方の盲を解いてあげますから。さあ、彼らの盲を一緒に説いてあげましょう、司」
来栖は俺の背後で何を見ているんだろうか?
俺が望まなかった仮説の証明を見ているんだろうか?
冷や汗が止まらない。
頭がぼうっとする。
「……坂本?」
暑さと熱さ、現実逃避に白みかける頭でさえ、可憐な声が誰の声であるかは理解できるらしい。
もう、目を背けてても仕方がねえな。現実はそこにあるんだし。
諦めと胸騒ぎの中、俺は振り向く。
「なんでいるの?」
そこには暗い目をして、顔を絶望に染めた少女が一人。
ブロンドのポニーテール、右目を覆うガーゼの眼帯、ノースリブの白いワンピース、黒いミニバッグの少女が一人。その傍らにはあまりにも無垢な笑みを浮かべる夫人が、俺の選んだグレーのバゲットハットを被り、午後の日差しに黒い薔薇を輝かせている夫人が一人。
あまりにも対照的な二人。
ああ、独善的な神よ!
どうして、てめえはこんな状況を生み出しやがった!
「『エリエリレマサバクタニ』!」
「……こっちの台詞」
反射的に呟いた俺の一言を聞いた司は、脱兎のごとく駆け出した。例のおばさんは彼女の手を取ろうとしたが、掴んだのは空。おばさんのキツイ視線に見送られる彼女は、人混みの中へと……。
「慎一! 行くよ!」
「ん、ああ!」
来栖は大声とともに俺の右手を握る。そして、司が駆け出して行った方へ、思いっきり俺を引っ張る。
ちきしょう!
いまは現実を見ろよ、俺!
いつまでも無知蒙昧でいるわけにはいかねえんだからよ!
「待ちなさい! 貴方たちはここで盲を解くのです!」
しかし、俺たちは狂気と迷信に犯され、喚き散らすお兄さんに足止めされる。
だが、残念!
「いった!」
現実をお前らより見ていた俺の勝ちだよ!
俺はお兄さんの手を力一杯握りしめ、彼の拘束を解く。
「来栖! 行くぞ!」
「おっけ!」
かくして、俺たちは人混みに突入していく。
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