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不良衒学少年と電波天使少女の回帰譚  作者: 鍋谷葵
第五章

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第五十六話

 

「……すいません、天津さんって今日は来られますか? 彼、天津さんに誘われて来たらしいんですよ」

「ああ、そうなんですか! ええっと、天津でしたらもうそろそろ来ますよ。はい!」


 横着している俺の姿が見るに堪えなかったのか、来栖は俺の分かりに真実を尋ねてくれた。青白い顔と、震える唇を携えながら、野郎は勇気を振り絞って俺の代わりに言葉を紡いだ。

 来栖は言葉を紡ぎ終えると同時に緊張の臨界点に達したようで、大して動いていないのにもかかわらず肩で息をしている。

 しかし、お兄さんの視線は俺ではなく来栖に向かい、その狂気的な笑顔が来栖を攻撃する。処世術の修めている来栖からすれば、表情の異常性に気付くのは容易かった。それゆえに来栖は興奮を忘れ、息を殺し、怯える目で彼を見つめるに至った。

 そして、彼が俺の手に込める握力は来栖に向けられようとする。


「おっと、すいません。それで天津さんはいつ頃来られるんでしょうか?」

「……ええっと、あともう五分もすれば来ると思いますよ」


 手を離そうとしない俺をお兄さんは一瞬睨みつける。

 ただ、その後には例の狂気的な笑みを浮かべながら俺の手をもんでくる。そして、彼から手を離さなかった俺を来栖は目を見開いて見つめている。

 悪かったな、来栖。

 てめえに全部押し付けちまってよ。

 でも、もう大丈夫だ。

 本当に大丈夫さ。

 ああ、大丈夫だ。

 だから、来栖よ、お前が不安を抱く必要なんてない。説得力がないかもしれないけど、どうか俺を頼って欲しい。なんたって俺は大丈夫なんだからさ。


「ところで真明十字教における天使ってどんな存在なんでしょうか?」


 ほら、冷静に質問を投げかけられる。

 こいつはもう大丈夫極まれりだ。


「天使ですか?」

「そうです、天使です。ほら、教義にも書いてあるし、さきほどずっと言っていたじゃないですか。それが少し気になってですね」


 お兄さんは質問に対し、初めはキョトンとした態度を取った。しかし、俺が言葉をつけたすと、彼の態度は明確になった。つまり猜疑の態度を俺に取っている訳だ。


「もしかして、お兄さんは学者か何かですか?」


 先ほどまでの狂気的な笑顔は鳴りを潜め、彼は明らかな不機嫌を俺に向ける。俺の手を握る力も強くなっている。

 まあ、微塵も痛くないんだけど。

 とかく、お兄さんは俺を疑っている。

 しかし、俺は疑われることにすっかり慣れ切っている。ゆえにありもしない罪を着せられた時の対応も心得ている。という訳で、俺は出来るだけ自然な笑みを向けられる。それは否定も肯定もしない笑み、黙秘権を行使する笑み、誤解を生じさせないための笑みだ。


「……」

「……」


 おいおい、何も言わないのが成立するのは、相手が喋ってるとき限定なんだぜ? 

 だから、なんか喋ってくれよ、頼むからさ。

 ……埒が明かねえな。

 押し黙ってしまったお兄さんの口を開かせるにはどうすれば良いんだ?

 助け求めて、ちらりと視線を横に逸らすと、来栖は首をぶんぶんと横に振ってらっしゃる。なるほど、『俺に助けを求めるんじゃない』とな。というか、啖呵を切ったんだから俺が解決すべき問題だな。


「まあ、俺は学者じゃねえですよ」

「でも、どうして我らが天使様のことを御尋ねに?」

「いやあ、気になるじゃないですか。教祖様は古今東西のあらゆる宗教に存在している分かるんですが、天使が宗教的偶像として存在しているっていうのは中々……。まあ、つまるところ天使様に会ってみたいんですよ。その人が本当に天使であるのか知りたいわけですね、はい」


 あっ、言い方ミスった。

 これじゃ、初めから教義に興味を示してないが丸わかりだ。

 ほら、お兄さんの顔、赤いし、しかめっ面になってらっしゃる!

 ……ふざけている場合じゃねえな。人をいたずらに怒らせてどうする? 自分の後ろに守らなきゃならねえ野郎がいるっていうのによ。もっとも、肉体のあらゆる力はお兄さんに勝っている確証は得た。全身を強張らせ、俺の手を力一杯握っている癖に全然痛くねえからな。


「ああ、やはり貴方も学問の世迷言に洗脳されている憐れな人だ! 私たちを素通りする彼らと同じです! どうして貴方たちは私たちの真理を受け入れようとしないんですか!? すべては正しいんですよ! 嘘の科学を受け入れ続けた罰として神様は、疫病と戦争という禍を私たちにもたらしているのに、どうしてそれに気付けないんです! 憐れ、憐れですよ。本当は知っているんでしょう? そうでしょう、ねえ、科学は嘘であると、そして世界は陰謀と神様の導きによって破滅へと向かっていると、そして天使様が、我らを導いてくれる聖な子、天津ひとみの清らかなる子が、教祖様とともに私たちを導いてくれるとわかっているんでしょう!?」


 お兄さんは血相を変え、べらべらと無意味な言葉を並べ立てる。彼の言葉に会わせるよう、脇を固めていたおじさんとおばさんも、敵意を俺にぶつけてくる。隣の来栖は彼のすごい剣幕と明確な敵意から逃れるように俺の背中に隠れて縮こまる。

 全員が全員正しい判断だと思うぜ。

 というか、信仰の理由は現実逃避ですか。そいつは都合が良いし、自分にとっちゃ心地よいはずだ。何よりも自分が何もしなくても、自分がそこに所属しているだけで特別だと思えるんだから安価でお手頃だ。

 ……ただ、その手軽さは、司の犠牲によって確立されているとしたらば、そいつはよろしくないね。


「いいや、わかりませんぜ。確かに科学はある意味、嘘かもしれません。ことに社会科学の分野は嘘なんじゃないかと思うところが多々ありますし、自然科学の中にもそう思う点はあります。けれども、疑わしい点があったとしても世界は回っています。不合理で、不条理で、醜悪な世界はかくも疑わしい嘘の中で動き続けている訳で……、つまりですよ、科学を嘘だと一蹴するのはよろしくないんですよ」

「いいえ、科学は嘘です! いえ、科学を許容しているこの世界は嘘です! ええ、教祖様は神様が『世界は死んでいる』と言っていると、言ってくださいました。ですから、そうです、世界は醜くも嘘で塗れているです!」


 流石に理論が飛躍しすぎだと思うぜ。

 科学を内包しているからと言って、世界全体が嘘であるなんておかしいだろ? 『科学>世界』じゃなくて、『世界>科学』であって、しかも後者の条件式が満たされていたところで世界を否定できるわけじゃねえ。世界の必要十分条件は、『あるようにあること』だ。だから、科学云々の問題じゃねえしよ……。

 常識を疑うのは良いんだけどよ。

 いや、それ自体科学か……。

 どうなってんだ、このカルト?。

 理論的に破綻してるじゃねえか。信仰の自由があるからと言って、信仰する教義が自由すぎちゃそいつは意味がねえよ。

 無意味だ、ナンセンスにも至らねえ。


「嘘で塗れていたとしてもそれが世界ですぜ。有史以来、俺たち人類は嘘で歴史を紡いできたことが何よりも証拠でしょう?」

「いいえ、歴史それ自体が嘘なのです。歴史は人類が作り出したものではなく、神様がおつくりになさったものなんですから!」


 馬鹿か、こいつらは?

 てめえらにとって神ってのは、のこじつけに仕える万能道具ってわけか?


「確かに歴史は神様が作ったのかもしれませんねえ。実際、人類史始まって以来、王権神授説に則った統治が割合を占めていましたし、神と信仰の名の下に戦争を起こしてきました」


 額から頬に汗が伝う。

 体が熱くなっているせいだ。

 緊張とかそういうんじゃなくて、ある種の熱狂だ。


「ただし、それはすべて俺たち人類が考えたために起こったことですぜ。相手をどうやって貶めるか、自分をどうやって守るか、そしてどうやって立身出世するか、そう言った俗的な欲求が種々の悲劇を生み出したってわけですな。ほら、聖都奪還の大義名分を掲げた十字軍も、四回目には略奪のためにコンスタンティノープルを陥落させ、東ローマを崩壊させたじゃないですか。もちろん、第四次十字軍が全ての戦争に当てはまるとは言いませんぜ。ただ一つ言えることとして、戦争が人の手から離れたことはないってわけです。神はその手に戦争を持っていねえでしょうしね。カインがアベルを殺したのだって、カインの人間的な感情によるものですし。

「つまりですよ、人類の歴史を作る戦争は人の手によってのみ生じているんです。そこに神は直接的に存在しません。偶像として、大儀として、ある一つの言い訳として介在しているだけです。形而上の存在たる神がどこからか手を伸ばして俺たちの歴史を作っている訳がないんですよ。今現在も、自分たちが生きているこの瞬間も、神によってつくられているわけがねえんです。世界はあるようにしてある。世界に意思はない。世界にあるのは、対象、対象の論理的な結合から成る事態。それは可能性、それは事実ってわけで……。

「ともかく、神が存在するにしても、存在しないにしても、歴史を内包する世界はあるようにしてあるだけなんですよ。人間の残した事実の堆積が歴史なんです。神が歴史を作っているとしたら、そして、その歴史から祈りによって抜け出せることができたとしたら、ポグロムやホロコーストはどうなるんです? コンキスタドールの虐殺やチェロキー、チカソー、チョクトー、クリーク、セミノールたちの強制移住はどうなるんです? オスマン帝国におけるアルメニア人虐殺、ルワンダにおけるツチ族とフツ族の宗教紛争、インドにおけるダリット、インドネシアのポソ宗教戦争、中華人民共和国のチベットや新疆への侵略、日本におけるキリシタン弾圧はどうなるんです? 彼ら犠牲者は誰よりも深く神や神に近しい存在に祈っていたはずです。けれども彼らは犠牲者となってしまった。それは紛争が神の手から外れ、人間の手に委ねられているかじゃないんですか?」


 なんで俺はこんな熱っぽくなってるんだ? 

 息も絶え絶えにぺらぺらと衒学趣味をひけらかして、俺はこのカルトに対して何を求めているんだ?

 大体、こんな奴らに事実を並べ立てても理解できるわけがないんだから意味ねえだろ。

 ……いや、こいつはきっと八つ当たりだ。あいつを、司を、不幸の中に陥れた一要因に対する個人的な復讐のつもりなんだ。だから、熱狂は霧散しているし、呆けた顔で俺を見つめているお兄さんに『してやった!』と満足を抱いて、笑みさえ浮かべている。

 残っているのは体の熱気と噴き出す汗、ふらつく頭だけ。


ご覧いただきありがとうございます。

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