第五十四話
熱が蓄積されたアスファルトはひどく熱い。
その上、天球に居座ってやがる太陽が地上に光をお与えになるおかげでさらに熱いし、白い陽光がビルのガラス窓に反射してなおのこと熱い。
熱くて、熱くて、熱くて、暑い……。
体がでろでろに溶けちまう。アーケードの屋根で直射日光が当たらないだけまだマシなんだろうが、それにしたって暑い。
「あっついねえ……」
「ああ、死ぬほど暑いぜ。盆はもう過ぎたっていうのによ」
汗を額に浮かべる来栖は、右隣で涼し気に笑う。
一方、俺と言えば背中を丸めてうなだれながら歩いている。
何だ、この両極端な印象は?
なんだかとっても不公平だわ!
はあ、ちきしょう、冗談を言ったところで涼しくもならねえ。誰か北半球に冷気を、もしくは太陽をさっさと沈めてくれ。
「ところで、その教団はどうして今日みたいな日に集まるのさ?」
馬鹿げた呪詛を心の内で唱える俺に、来栖は苦笑いを浮かべる。
本当になんでてめえは、この暑さにやられねえんだ?
頭がオーバーヒートするくらい暑いっていうのによ。実際、俺の頭には熱が籠ってると思うぜ。いや、こいつは俺の髪が長いからか……。
「今日が八月十五日だからだ」
「八月十五日?」
来栖は汗ばんだ首をかしげ、疑問の眼差しを送ってくる。
おいおい、日本の歴史くらい覚えておいてくださいな。
「七十八年前、この国がポツダム宣言を受諾した日だ。終末論を高らかに謳ってるカルト教団にとっちゃ、うってつけだろ」
「なるほど、確かに信じる人もいそうだしね。事実として国は滅んだんだし」
「ただ、あんまりに安直なのがナンセンスだ。自分たちの終末論に基づく世界と、歴史上の殺戮を結びつけるのなんてさ。大体、宗教だっていうのに犠牲者への配慮がなってねえ。歴史を自分たちのものにしてやがる」
「というと?」
「八月六日広島原爆投下、八月九日長崎原爆投下、八月十五日ポツダム宣言受諾、九月一日第二次世界大戦開戦、十二月八日真珠湾攻撃その他いろいろ、奴らは凄惨な歴史を自分たちの神が天罰として人類に下したなんて言ってる。しかも、その犠牲者は世界を善良にするための必要な犠牲だとも言ってやがる。そして、そういった殺戮から逃れるために天国より送られた聖電波を受信している教祖の言葉を信じろって言ってんだぜ? あんまりにも酷い侮辱だとは思わねえか?」
ぺらぺらとカルトの教義と文句を語る俺に、来栖は目を丸くして驚いている。
どうやら知識への冒涜は、俺を熱狂的に饒舌にしてくれるらしい。恐るべきファナチズムだよ。
「ともかく、あのカルトは安直に歴史と選民的教義を結び付けてる」
「宗教の維持には信者が必要だから仕方がないよ」
諦観が籠った溜息を来栖は吐く。
「ああ、選民思想は先細りしても残り続ける。迫害されても小さな共同体は維持される。迫害されなければ、その逆だ。幅を利かせて増え続け、独善的な思想のもと自分勝手な行動をするだろうよ」
「ヒトラーみたいなこと言うね。彼に憧れてたりするの?」
来栖はとんでもない冗談を微笑とともに向けてくる。
文句を言いたいところだが、自分がラディカルかつ偏執的な思想を持ってることに気付かせてもらった。
「誤解だ。いや、本当はどこかで……」
そう、実際には頭の片隅にレイシズムが無ければ、あんな言葉出てくるわけがない。つまるところ俺はちょび髭と同じ……。
「いいや、慎一はそんなこと思ってない。慎一のそれは、教養主義と誰かを想う気持ちがたまたま合体して、生まれただけだよ」
来栖は俺の額を右手の人差し指で小突いて俺を擁護する。
「嬉しい言葉だよ」
「そう? じゃあ、もっと感謝して良いよ」
「恩着せがましいな」
「ニュルンベルクの弁護人だと思えば当然だと思うよ」
「……てめえもすっかり俺みたいになったな」
「悪い影響でね」
来栖は悪戯っぽく笑みをこぼす。それに俺は苦笑いを返す。
「さて、じゃあこんな会話もそろそろ終わりみたいだね」
下らないと一蹴できるが、その実、くだらなくない会話に没頭していた俺たちは、知らず知らずに目的地に到着していたらしい。
そこは駅の改札と駅ビルに続く高架通路の階段。
階段で立ち止まっている五六人と、通路の騒がしさから察するに、教団は予定通り真実告白なる運動をやっているらしい。
果たして、カルトどもにとって歴史の何が真実なんだろうか。
歴史に陰謀はいくらでも添加できる。歴史が事実の積み重ねだと言え、所詮は人間の記録の集積に過ぎない。だから、不透明さはいくらかあるが、それも知識によって透明になる。かくして歴史は歴史となり、人類の真実となり、もっともらしい人類の足跡となる。ゆえにそれを無知で汚すことは許されない。偉大なる知識人の手によって作られた美しき道を無知なる人の手によって作られた恣意的な神で汚すのは蛮行だ。聖書やコーランを燃やすのと、同じくらい汚らわしい行為だ。
したがって、彼らの行為は蛮行だし、もっともらしさはない。
なるほど、よくわかってるじゃねえか。これならカルトの電波に犯されることもねえだろうし、野郎どもを前にしても平静を保っていられるはずだ。
ほうら、俺の手元には理知の灯がある。安心安全だ。
「それじゃ、行きますか」
来栖は震える声で一歩踏み出す。その一歩は傍から見れば酷く小さいが、奴の主観からすれば偉大な一歩に違いない。
さあ、野郎が人生の中でもっとも困難な一歩を踏み出したんだ。
なら、俺はそいつとともに歩こう。一寸先も見えない闇に不安を覚える来栖の足元を照らすように、俺の理知の灯を掲げてやろう。
「ああ、行こうぜ」
隣り合った俺たちは理知の灯で足元を照らし、勇気の足取りで階段を上がっていく。
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