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不良衒学少年と電波天使少女の回帰譚  作者: 鍋谷葵
第五章

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第五十二話

 大人になるにつれて時間はあっという間に消えさっていくらしい。小さな頃は無限とも感じられた一日も、いまや一瞬だ。

 もっとも、俺は子供の頃も時間が本当に一瞬で過ぎる日もあった。寝起きに殴られたかと思いきや、失神して翌日の朝を迎える。衝撃と痛みで時間が消し飛ぶ感覚が懐かしいねえ。まあ、起きていてしこたま殴られるよりはよっぽどマシだったんだけど。

 ともあれ、子供の頃よりもいまの方が時間の過ぎ方は早い。二日間は瞬く間に消えていった。そして、今日、八月十五日を迎え、起きてからマックに着くまでの三時間ちょっともひどくあっさりと過ぎていった。おおよそ、人生のピークが十九歳っていうのは人類の経験則として間違いないんだろう。

 ちきしょう、晴れ渡った人生を送りたいもんだぜ。

 こうしてマックの窓から見える微かに赤みがかった青い空みたいなさ。

 ……眩しいな。

 今度、この伊達メガネのレンズ替えようかしら。


「慎一。自分の世界にばかり浸ってないでよ。デートに誘ったのは、君の方なんだぜ?」


 オレンジ革のソファに腰を預け、白い天板のテーブルに頬杖を突いている来栖は怪訝そうに俺を見つめる。

 白のポロシャツとベージュのスラックスに身を包んだセンタパートのイケメンは、不貞腐れていてもイケメンだし爽やかだ。

 ただ、発言に関しては良い塩梅じゃないと思うぜ。


「馬鹿、誰が野郎とデートなんざするか」

「じゃあ、優だったらしてくれるの?」


 来栖はドリンクに突き刺さったストローを咥えながら、冗談とも本気とも受け取れる言葉で俺をからかってくる。


「あいつの純情を弄んでやるな」

「ふふ、純情を弄んだのは慎一の方じゃないの? だって、ずっと知ってたんでしょ、優が自分のことを好きだって。なのに知らないふりをし続けて、優の恋心を観察し続けた」


 ストローから口を離した来栖は、刺々しい口調とそれに相応しない爽やかな微笑で俺を責め立てる。プラスチックの天板を指でリズミカルに叩くさまは、裁判官のように見える。

 兄として、もしくは男として、あるいはその両方として俺を裁く気なんだろう。

 罪状がなんであるにしても、そのすべてに心当たりがあるから俺は罪を受け入れるぜ。


「悪かったよ。けど、仕方がねえだろ。俺だって傷つきたくなかったんだよ」


 裁判官に対し、被告人ができるのは真実を語るか、黙秘権を行使して押し黙るのいずれかだ。卑怯者もしく免罪の人は後者の権利を使うと思う。ただし、俺は卑怯者でもなければ罪を自覚している咎人だ。

 ゆえに真実を語る。

 ただ、恥を忍んで正直に真実を語ってみたら裁判官殿は目を丸くして、信じられないと言うように口を半開きにする。


「それ、本音?」

「恥ずかしながら心からの言葉だよ」

「へえ、あの無頼漢気取りの衒学者が正直になるなんてねえ……」


 俺を嘲るのか、単に驚いているだけなのか、来栖は態度を明確にすることなく再びストローに口をつける。

 ちきしょう、顔が熱いぜ。


「一応、慎一に会ったら相応の態度を取ってやろうと思ってたんだけど、こうも率直に感情を吐露してくれると興も冷めるね」


 顔を赤らめる俺を指さしながら来栖は、俺をからかうようにニヤニヤと笑う。


「俺だって反省くらい出来るさ。人の純情を自分の『好み』じゃなくて、自分の『弱さ』で否定したんだ。しかも、真綿で優の首を絞めて続けていたんだぜ。咎人の意識くらい生まれるよ」

「よくわかってらっしゃる。もっとも、慎一も『彼女はいらない』ってときおり言っていたし、それでも慎一を好きだった優にも悪いっちゃ悪いんだけどね」

「弁護なら受け付けないぜ」

「どうして? この上ない優しい言葉を俺は慎一のために言うよ?」


 来栖はわざとらしく首をかしげる。


「いい加減、自分を克服したいんだよ。自分の願望を誰かに投影して、投影された人が傷つかない様に動いて、自分の夢を他人に預けるような自分をさ」

「優が言ってたこと本当だったんだ」

「てめえは初めっから本当だってわかってただろ?」

「もちろん」


 手玉に取られていたと実際に微笑で証明されると滅茶苦茶イライラする。特にこいつの場合、笑顔が爽やかだから余計に腹が立つ。

 来栖、俺にも処世術を使ってくれても良いんだぜ?

 いいや、こいつもまた俺の弱さが生んだ罪とその罰だ。どれだけ苛立たしくとも、受け入れなきゃならねえな。


「まっ、俺から一つ言えるのはそんなに深く考えなくて良いってことかな。恋愛の破綻なんていくらでもあるんだし」

「流石は恋愛マスター。けど、俺なりのけじめさ」

「極端すぎると俺は思うよ。慎一、君は自分にも嘘を吐くべきさ」


 来栖は頬杖をつきながら、飲み終えた紙コップの中に残った氷をストローでがらがらとかき混ぜながら、流し目で俺を見る。


「自分に?」

「うん、自分に。まあ、自分には正直でありたいって気持ちもわかるよ。でも、正直であり続けたら人は壊れる。自分で自分を正直に見つめるのは深淵を覗き込むことと同意義だ。深淵は永遠に続く奈落。そんな場所を見ていたら気が狂っちゃう。もちろん、時として見つめる必要性もあるけどさ。でも、そんなのは時々で良いんだ。よっぽど特別じゃないとき以外は、何も見ないでお気楽に生きた方が良い。お道化に徹して、自分を忘れた方が良い。現実は辛いんだし、目を覆いたくなることだらけなんだからさ」

「そいつは堕落じゃねえのか?」

「かもしれないね。でも、時として堕落も必要だよ。堕落することによってしか見えないものもあるんだし」

「坂口安吾かよ」

「うん、『堕落論』」

「デカダンだな」

「うん、デカダン。俺的にはデカダンに生きて、ところどころ真面目に生きるのがおすすめだよ。両極端に生きちゃ、息苦しいだけだし」


 数々の修羅場をくぐってきた玄人の如き来栖のお言葉は、説得力を多分に含んでいる。

 一体、どれだけの女を泣かせたらこうやって生きれるんだろうか?


「あら、俺は真面目に論じてるつもりだよ?」

「てめえはエスパーか……」


 不躾なことを考えている俺の頭を覗きこんだ来栖は、得意げにニヤリと笑う。


「慎一が知らない慎一を俺は知ってるよ」

「気味わりいよ」

「気味が悪くて結構」


 笑顔の爽やかさと相反するねちっこい笑みを来栖は浮かべる。そして、俺は野郎の表情に苦笑いを浮かべてしまう。


「今日も髪結んでるんだね」

「ん? ああ、お前らに好評だったし、誰にもばれなかったからな」

「うんうん、慎一にはこっちの方が似合ってるから学校でもそうしていなよ」

「嫌だよ」

「どうして?」

「変装の意味がねえだろ」

「ああ、なるほど。おしゃれじゃないのね」


 来栖は残念そうに溜息を吐く。


「そう言えば、家庭教師はどうする? 契約は二月までだったけどさ」


 そして、本題に入ろうかと言わんばかりに来栖は神妙な面持ちで両手を組む。


「お前的には続けてほしいか?」

「個人的には続けてほしいよ。慎一の成績を落とすためには、慎一の勉強時間を削らなきゃならないからね」


 来栖は肩を落とし、視線も落とす。

 珍しく落ち込む彼の姿はおちゃらけた友人ではなく、一人の兄として俺の目に写る。来栖家の長男、妹を想う一人の兄は目の前で悩ましい溜息を吐く。その溜息は俺への当てつけだと思う。


「けど、優のことを考えれば悪手だと思うんだよね。この間も慎一の話題を出したら、明らかに機嫌悪くなったし」

「それはてめえの言い方に問題があったんじゃねえか?」

「俺だって大量の女子を袖にしてるんだ。アフターフォローのやり方くらい心得ているさ」

「そうかい、それなら悪かった」


 兄としての来栖聡だからか、語気は普段よりも強い。大切な妹の恋をぶち壊した相手と対峙しているんだから当たり前だ。


「という訳でいま慎一と優とは非常に気まずい状況にあるわけですよ」

「気まずいねえ……」

「なに? もしかして慎一は何とも思ってないわけ?」


 来栖は可愛らしく頬を膨らませ、不満を訴えてくる。


「いいや、実際に会ってみたら気まずいと思うぜ」


 優とは花火大会以来あっていないから、いまから言うことは全部憶測にすぎない。

 けれども、俺は来栖優という女性の強さを知っている。一つの恋に破れたくらいで立ち直れないような人間じゃない。悲劇のヒロインで終わるような玉じゃない。


「けど、あいつは案外さっぱりした人間だ」

「それは慎一のエゴイズムが作り出した虚像じゃないの?」

「確かにそうかもな。けど、さっぱりしてるっていうのは事実だと思うぜ。成績が伸びてもすぐにそれを忘れて、勉強に真摯に取り組んでいたし」

「勉強に対する態度と、恋愛に対する態度は違うと思うよ。前者はやり直せるけど、後者はやり直せない」

「いいや、両方ともやり直せるさ。もし本気で俺に惚れているならな」


 随分と恥ずかしいことを口にした気がするけど……、まあ事実だから良いだろ。

 だから、来栖さん。

 ドン引きしないでくだせえ。


「ひどいナルシズムだ。本当に慎一?」

「坂本慎一その人だよ。とかく、優は大丈夫なはずだ。大丈夫じゃなくとも、俺が大丈夫だから問題ねえよ」

「すっごいエゴイズム」


 来栖はわざとらしく口を大きく開けて驚く。


「エゴで結構」

「それじゃ、契約は続けるの?」

「ああ、契約はきっちり果たすさ。雇い主から暇を出されない限りな。まあ、暇を出されたとしても、サービスを受けている本人が満足するまで俺はその契約を続けるさ」

「そう、なら優には耐えてもらわないとね」


 含み笑いを浮かべた来栖は、席に着くときテーブルに置いたスマホを弄り始めた。おおよそ、優にメッセージを送っているんだろう。


「『問題ない』ってさ」


 優しい微笑を浮かべる来栖は、優とのトーク履歴を俺に見せてくる。

 淡白すぎる優の返答を都合よく解釈すれば、それはまだ俺に恋をしている証明だ。本当に心の強い女の子だ。うっかり惚れちまいそうになる。

 ただ、やっぱり俺と優は釣り合わない。この考えは俺の弱み以前に不変だ。

 ゆえに優よ、俺の不変を打ち破るような情熱を俺に注いでくれ。したらば、俺とて振り向くかもしれない。万が一、いや、億が一の確率だけどな。


「じゃあ、これからもよろしく頼むよ、先生」

「ああ、よろしく頼まれるよ、雇用主」


 かくして俺は来栖が伸ばしてきた手を取り、意識的に新しい契約を来栖と、画面の向こう側にいる優と結んだのであった。

 ……あれ、本題ってこれじゃないよな。



 


ご覧いただきありがとうございます。

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