第四十八話
「なんで居るんですか、おっさん?」
「高校のダチとここの花火を見るのが、夏の風物詩なんでな」
電球頭を汗でてらてらと光らせるおっさんは、銀色の缶ビールを片手に黄ばんだ歯を見せてニカッと笑う。
サングラスもしていないし、服装も無地の黒シャツにカーキの短パンと普通だ。だが、顔が怖いせいで堅気に見えない。笑顔で人をぶん殴ってそうだ。もしくは軍歌を爆音で流す黒いバンに乗ってそうだ。
「てめえ、また失礼なこと考えたただろ?」
「いやいや、考えすぎですって」
おっと、危ない。
アルコールで赤らんでいるせいか、おっさんの睨みは赤鬼みたいで恐ろしい。多分、後ろの優は震えていると思う。俺でもビビってるくらいだからな。
俺の言い訳を怪訝そうに聞いていたおっさんはビールを一口だけごくりと飲むと、アルコール臭い溜息を吐いた。酔っぱらいの赤だこの姿は、頼もしいとすら思えたあの姿から乖離している。やっぱり、臭いし、汚らわしいな、酒ってやつはよ。
「まあ、今日のところは勘弁してやるよ」
「ええ、ぜひ勘弁してくだせえ」
「わざとらしいな、おい」
「いえいえ」
おっさんは俺の何かが面白かったらしく、ゲラゲラと笑いながら再びビールに口をつける。そして、しゃっくりを一回鳴らす。
「てめえのそれはあいつにそっくりだなあ」
酔いと素面の間で目を軽く充血させるおっさんは、俺を懐かしそうに見つめる。
「あいつ?」
「ああ、てめえの……」
懐かしんでいたおっさんは俺に対する重要な一言を口にする前に、酔いを忘れて素面になる。それから快い酔いとともに言葉を飲み込んで、気まずそうに笑って見せる。
「いいや、なんでもねえや」
「何でもない訳ないでしょう? 俺の何なんですか?」
俺は咄嗟におっさんのシャツの襟をつかんでしまう。おっさんはギョッと目を見開いたかと思ったら、次の瞬間には好戦的な笑みを浮かべた。
人間、相手があんまりにも絶対的だと感じると気が落ち着いてくるらしい。恐れをなした俺はおっさんから手を離して、来栖直伝の処世術を向ける。
崩された襟を手で払って整えると、おっさんは俺に過去を想うような視線を注いできた。
「俺はてめえのなんでもねえよ。昔も、今も、偶然が重なり合った結果だってことだ」
「何言ってんですか?」
「物事を遠回しに伝えるてめえらの真似だよ」
「『てめえら』?」
けらけらと笑いながら複数形の皮肉を発したおっさんは、俺がたずね返した途端、軽薄な笑いを引っ込めた。それから再び気まずそうな顔をして、こちらに背を向けた。
「まあ、どうでも良いことさ」
「いや、どうでもよくねえですよ」
「いいや、どうでも良いね。てめえはお嬢ちゃんといまを生きているんだからさ。ほら、後ろのお嬢ちゃん、てめえのこれだろ?」
おっさんはビール缶を持った右手を俺に見えるように上げる。そして、小指だけビール缶からひょっこり離す。
うぜえ。
それにおっさん臭くて仕方がねえ。
というか、俺と優が恋人なわけないでしょう。分不相応を甚だしいんだからよ。
「おっさん、古いっすよ」
「あら、これって伝わらねえの?」
「多分、おおよそ、伝わらねえと思います」
ジェネレーションギャップを突きつけられたおっさんはがっくりと肩を落とすと、汗で濡れる後頭部を左手で摩る。
「まあ、ともかくだ。てめえはいまを生きているんだから、いまを楽しめってことだ」
「何ですか、それ」
「過去に囚われてるんじゃねえって言いたいんだよ」
「……」
事情を知らない癖に、そう簡単に言われちゃ困りますぜ。
「って、おい、てめえ!」
「流石の俺も笑いながらそうやって説教してくる人には、仕返しをしねえと気が済みませんからねえ」
俺はおっさんの手から缶ビールをひったくる。
さて、おっさんが伸ばしてくる手に掴まる前にやることやりますかな。
「優、ちょいと失礼するぜ」
突然の応酬に媚態を忘れて目を丸くする優の脇を通る。おっさんの極太の手が俺の首の後ろまで伸びているのが直感的にわかる。
だからこそ、すぐにこいつは捨てねえとだ。
欄干から腕を伸ばし、ビール缶をひっくり返す。すると黄金色の毒が、勢いよく闇夜の信濃川へと注ぎ込まれる。
「俺のビール……」
消えゆくビールを悲しむおっさんは手を伸ばすことを止め、自然に還って行くビールに哀愁を注いでいるだろう。そして、優は目を丸めて、ちんちくりんに驚いているだろう。
さて、五秒もすれば缶の中身はすっからかん。
俺は振り向いて、想像通りの反応をしているおっさんの手に銀色の空き缶を握らせる。もちろん、笑顔は忘れずに。優はぽかんと口を開けてそんな俺を見つめている。
「毒はこっちで処理したんで、花火、楽しんできてください」
「……てめえ」
慈善事業をしてあげた俺をおっさんはキッと睨みつける。
だが、その一瞬間後にむず痒くて仕方がない生暖かい視線をおっさんは注いでくる。
「まあ、仕方がねえか。そりゃあ、そうだよなあ……」
うんうんと頷いておっさんは独りで納得する。そして、缶を握りつぶすとけろりと笑う。
「そんじゃ、俺は行くからよ。坊主、楽しめよ。てめえの過去はいまに関係ないんだからさ。血は関係ねえんだよ。ほれ、帽子屋で俺に示してくれただろ?」
「何言ってんだ、あんた?」
曖昧模糊に言いたいことをはぐらかし続けるおっさんは、粗暴な笑い声だけを返してくる。そして、粗野な笑い声とともに人混みへ一歩踏み出した。
「本当はわかってんだろ?」
「分かってる?」
流れに合流する直前、おっさんは背中越しに問いかけてくる。俺はそれに疑問符を浮かべ、思考し、硬直してしまった。そんな俺の行動にストップがかかることを見計らっていたらしいおっさんは、隙を突いて人混みの中へと消え行ってしまった
「……調子狂うぜ」
「……はい」
後に残されたのは、困惑する不良少年と優等生の妹、それから気まずい雰囲気。
ちきしょう、学校が始まったら煙草を屋上で吸ってること先生どもにばらしてやろうかな。いや、チクったら俺が安心してサボれる場所がなくなるか。こいつは悪手だ。
「行くか」
「はい」
「……お前、可愛いな」
「は、はい!?」
呆けていた優は俺の冗談に顔を赤くして動揺する。嘘にわなわなと唇を震わせる彼女は、本当に純粋で感情豊かだと思う。
お前さんは感情豊かじゃなきゃ駄目だぜ。俺の調子が狂っちまうからな。純情を弄んで悪いけどさ……、うん、本当に悪いね。
「な、なにを言ってるんですか!?」
「おっと、いまのは冗談と事実の半分ずつで受け取ってくれよ」
「はあ!?」
一々反応が大きくて面白い。
睨みも怖くないし、ぽかぽかと殴ってくるけど痛くない。
うん、結構だ!
俺の胸に降り注ぐ優の両手を掴み取り、俺は彼女を落ち着かせるように微笑む。すると俺に見惚れた様に、彼女は怒りでない紅潮を露わにする。
「行こう!」
「な、ちょっと、引っ張らないでください!」
見たくない顔を見ないようにするために、優の右手を掴んで人混みへと駆けだす。もちろん、下駄を履いている優が転ばない様に配慮しながら。後ろから優の悲鳴みたいなのが聞こえるけど、こちらは配慮していることだし、幻聴だろう。
俺は真摯に紳士さ。
さて、花火だ! 粋に行こう!
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