第四十七話
駅前通りの人通りは普段と比べれば異常なほど多い。アーケード通りは歩くだけで肩がぶつかるし、気温と体温の蒸し暑さが全身を包み込む。多分、この通りにビニールの天蓋を張ったら水滴が垂れてくると思う。
人が押し合いへし合いする中、俺たちは何とか連携を取ってはぐれない様に橋へと向かった。途中、司が珍しく来栖と会話をしていた。だが、そこに突っ込めるほどの余裕もなかった俺は、優の小さな背中を見失わない様にただ歩いた。
かくして、俺たちは信濃川の河口にかかる大橋に着いた。人が続々と河川敷に下りていくということもあり、橋の上は駅前の混雑比べて人と話せる余裕がある。
俺たちは街灯の置かれた橋の脇の半円形の空間に身を寄せた。二次大戦以前からかかる橋の近代化改修によって生まれた空き地には、幸運なことに俺たち以外に誰もいない。
やっと一息つけるな。
気付けば空は真っ暗。
スマホに表示される時刻は十九時十五分。
意外と時間が経ってらっしゃる。
いや、意外でもないか。
普段であれば疲れない道を歩いてきたのに、いまはくたくたに疲れている。それは連れも同じで、欄干に体を預け、物干し竿に干された布団みたいに伸びている。ということは奴らも同じで……。
「あいつらどこ行きやがった?」
俺たちの後ろを歩いていた二人の安否を確認するために振りむいてみても、そこには通り過ぎる人たちがいるばかりだ。
どうやら、俺らはあいつらとはぐれたらしい。
ひとまず連絡するか。
「通信が混雑してて多分つながりませんよ」
優は身体をむくりと起こすと、俺の手元のスマホを指さす。
確かに優の言う通り、アンテナは一本しか立っていない。
くたばれ携帯会社!
なんて、文句を言ってもアンテナがいきなり復活するわけがない。
「……迷子の放送でもかけてもらうか」
「嫌ですよ、恥ずかしい」
「冗談だよ。俺だってそんな恥ずかしいことしたくねえ」
困惑しているだろう優を落ち着かせるためのユーモアも、疲れ切った彼女にとっては頭を抱えるものでしかなかったらしい。そんな疲れからジョークを受け止められない彼女は俺をジトっと見つめて、呆れの溜息を吐く。
何となく来栖の気分がわかった気がする。場を和ませようと思っただけなのに、ひどい仕打ちを受けるなんて悲しい以外のなにものでもない。
来栖、今度会ったらジュースでも買ってやるよ。いや、俺たちからはぐれた件でこいつはお相子だな。
さあ、来栖の処遇を決めたところでどうするか?
「それで、どうする?」
「『どうする』って、探すんじゃないですか?」
優は可愛らしくキョトンと首をかしげる。
ついさっきまで何に疲れていたのかお忘れで?
視野の狭い優に自分の言っていることがどれだけ無謀なのか知らせるために、俺は歩道を指さす。人が留まることなく流れ続けるその道へと。
優は「無理ですね」とでも言わんばかりに、肩をわざとらしく落とす。
「……兄さんの言う通りですね」
けれども、彼女は現状と脈略を感じられない言葉を呟く。
一体、何が来栖の言う通りなんだろうか? 俺は顎先に指をあてて、探偵の姿勢を作ってみる。すると彼女は滅茶苦茶に慌てて「なんでもないです」と、両手を体の前で振りながら連呼する。
果たして、「なんでもない」の連呼で自分の言動に生じた猜疑を払拭できると本気で考えているんだろうか? もしも、考えているのならばもう一度教育をしてやらないといけねえ。もっとも、先生は俺じゃなくて来栖だけれど。
「ともあれだ。俺たちに出来るのは三択」
急に居なくなった二人、気になる優の言葉、何が連動してどんな結果を生みそうとしているのかは分からない。ゆえに出来ることは消極的な行動か積極的な行動のいずれかだ。
「このまま橋の上であいつらを待つ。もしくは、あいつらを置いて俺たちだけで花火を見る。あるいは、駅前まで戻って公衆電話で来栖に電話を掛ける」
もちろん、無理をして二人を探すのもありは個人的にありだと思う。司のような目立つブロンドの髪は、ここらへんだと中々見ないから探そうと思えば探せるはずだしな。ただし、それも優と俺が本気で奔走すれば話だ。
しかして立っているだけ汗が垂れてくるのに、人混みの流れに逆らって強い運動をする気になるのか。答えは否。俺は気持ち悪くなるために花火大会に来たわけじゃねえ。だが、その決断は日頃から迷惑ばかりかけているお前さんに任せるぜ、優さんや。
「……本当に合理的」
解答を待つ俺に意思に反し、彼女は的外れな感嘆をポロリと漏らす。
「合理的じゃねえよ。合理的だったらこんな場所に来てねえもの」
「そうなんですか?」
「だって、お前さんの家からでも花火見えるだろ。花火を楽しみたいだけなら、わざわざ観覧席まで来なくてもお前さんの家の屋上に上がればいいだけだ。だから、現場に来る選択をした時点で俺は合理的じゃないの」
「なんだか屁理屈を感じますね」
「おうさ。俺は屁理屈マンだからな」
「わけがわかりません」
優から注がれていた尊敬の眼差しは呆れとなる。
そうだ、優。
お前さんが俺に向ける感情はそれだぜ。
「で、俺の屁理屈はどうでも良いとして、探すか、諦めるか、公衆電話か、どれにする? 俺としては諦めるに一票を入れてほしいんだがね」
正直、司と離れられるのはありがたい。
現状を維持できるのであれば万々歳だ。
「じゃあ、慎一さんの言う通り諦めますよ」
「おお、流石は来栖の妹だ。よくわかってらっしゃる」
「いつものアイロニーですか?」
「ユーモアかも」
「はあ……」
まともな会話にならないと思ったのか、大きな溜息を吐いた優は額を手で押させる。
優をこれ以上弄んだらあの頼もしい兄貴に怒られちまう。おふざけの引き際はここらへんだ。
「それじゃ、観覧席に行きますかい。立ち見になると思うけど」
呆れて俯いている優に背を向け、通りを見ると思わず「うげぇ」と声が出てしまいそうになる。さっきよりも人通りが多い気がするぜ。どいつもこいつもギリギリになって動き過ぎなんだよ。
「……そっちの方が良いです」
背後から聞こえる優の熱っぽくて悩ましい小さな呟き。
媚態か、純情か。
どちらにしても俺の気分を害する態度だ。
……袖にするにしてもいまじゃねえな。ここではぐれたら優が迷子になっちまうし。
ちきしょう、どうして不幸は連鎖していくんだ?
「とりあえず行こうぜ。早くしねえと花火が打ち上がっちまうよ」
「……はい」
緊張と熱を帯びた声を発する優が、どんな顔をしているのかは想像に容易い。そして、彼女の表情がいかなる感情の発露なのかも。
だが、俺はそれを知らない。
ゆえに、俺は振り返らない。
振り返れば見えてしまう。見えてしまえば、俺にとって好都合か不都合かもわからない彼女の感情が確定してしまう。
だから、俺は彼女を見ない。
さて、優が無事についてくると信じて人混みの中へ入りますかな。
街灯の黄色い明かりの中で絶え間なく続く人混みへ、俺は一歩踏み出す。その瞬間、何のめぐりあわせか見覚えのある電球頭が目の前の通り過ぎ……。
「坊主。てめえも花火を見に来てたのか」
俺の前を通り過ぎかけたおっさんは流れの中で立ち止まり、目を丸くした。
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