第四十一話
朝起きて、顔を洗って、髪をとかして、歯を磨いて、菓子パンとインスタントコーヒーを飲んで、それから……。
それから特に何もせず、俺は壁に背を預けてぼうっと向かい側の壁を見つめている。
暇だ。
スマホをちらりと見ると時刻は七時半ぴったり。
……暇だ。
あと三十分弱、何をしようかしら?
勉強?
読書?
アニメ?
残念、頭が重くて、どれもする気にならねえ。
かといって寝る気にもなれない。コーヒーと記憶のせいで脳は興奮しきっている。
天井の染みでも数えようかしら?
もうちょっと有意義なことをするか。
とはいえ有意義なことと言われてもねえ?
散歩?
運動?
ストレッチ?
あるいはマスターベーション?
いや、前者三つはするに値するが、最後のそれはあんまりにも下劣で腐ってる。人間のする行為じゃねえ。
しかし、どうして、普段の思考じゃ想起しなかった行為を考え付いたんだ?
それは普段とは異なる思考を働かせたからだ。
ならば、普段とは違う思考を働かせた要因は?
さあ、いまの俺にはさっぱりわからない。けれども、俺が要因として把握していない何らかの事象が、実は知っている何かしらの出来事がトリガーとして働いたことはわかる。
じゃあ、トリガーは?
「知らんぷりしてもそいつは引っ付きまわるんだぜ?」
「本当に引っ付きまわるか?」
「ああ、引っ付きまわるね」
「どうして?」
「忘れられないからさ」
「お前の世界に存在しちまったんだな」
「そう、悲しいことに対象と対象が最悪の結合をしちまった」
「結合? ダブルミーニング!」
「……馬鹿々々しい」
司の電波に俺も頭をやられちまったか?
自己問答なんざ、声に出さずに心の内でやれよ。人が見たら発狂しちまう。いいや、世界はもとから発狂している。そうさ、発狂した世界だ。胎児の夢を、『胎児よ 胎児よ 何故踊る 母親の心がわかって おそろしいのか』を、措定した世界だ。
いや、こいつは『ドグラ・マグラ』の影響を受け過ぎた世界観だ。
世界は狂ってないし、司の言うように死んでもねえ。世界はあるようにしてある。そして、自分の不都合な世界は知りたく無ければ知らなければいい。そもそもそれを知らなければ、嫌悪の対象は存在し得ないのだから。
現実逃避万歳だ!
ただ、もし目を瞑って、耳を手で押さえ、あらゆる知覚を遮断してもなお嫌悪の対象を知ってしまうとき、現実から逃げられるんだろうか?
「誰だよこんな朝っぱらに……」
悪い方に向かう思索を取り上げる来客チャイムの音は、玄関と隣接するキッチンからこの部屋まで突き抜けてくる。
「もしかして……」
知らないうちにAmazonで買い物してねえよな。
一応、見てみるか。
長年のストレスで夢遊病を患ってるかもしれないし……。
「まあ、買ってねえよな」
注文履歴は二ヵ月前に買ったインスタントコーヒーで止まってる。
一安心だな。
しかしながら、当然というべきか、チャイムが鳴りやむことはない。
ふざけ倒したおままごとにちょっと時間を使って、居留守を決め込んでも来訪者は帰ってくれない。インターホン越しにさえ応対をしていないんだから、察してくれても良いと思うんですがねえ。
うっわ、扉を叩き始めたよ。
止してくれ、近所迷惑になったらあいつに連絡が入っちまうんだからさ。
これじゃあ、居留守を使うにも使えねえじゃねえか。
「はあ……」
厄介事であるという確信を持っているだけ、深い溜息が漏れる。ただし、人前に出るとき、不服気な顔をしていたらそれは相手に悪い印象を与えてしまう。それはコミュニケーションが破綻するかの正を孕んでいる。だからこそ、どれだけ面倒でも出来るだけ愛想がいい笑顔を作らなければならない。
重い腰を上げ、部屋を出て、洗面台の前に。
「笑ってみようぜ。面倒でもさ」
口角バッチリ、目元もバッチリ、人相は寝不足のクマのせいでちょいと悪いが、及第点は貰えるだろう。
さて、準備も整ったことですし、扉をガンガンと叩きながら、何度もチャイムを押してくれるうるさい来訪者を追い返しますかね。
しかし、なぜにこの部屋に粘着するかね。
警察じゃねえよな?
俺ってば、あの馬鹿どもに刑事告訴とかされてねえよな?
そんな一抹の不安を抱えながら、インターホンの通話スイッチをぽちっとな。
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