第四話
午後の退屈な授業はみんな寝て終えて、俺は午前中に多大な迷惑をかけてしまった先生方を訪問した。先々でお小言と溜息を食らわされるのは怠かった。
とはいえ、行動の自由と不自由が交換される昇降口まであともう少し。
「おい、坊主。鍵、返せよ」
しかし、自由への最後の踊り場で見知った強面のおっさんに呼び止められる。
筋骨隆々で、俺と同じくらいの背丈、半袖の灰色のつなぎで身を包む、丸太のような浅黒い腕の電球頭のおっさんに。
何たる不幸……。
「完全に忘れてたわ」
「馬鹿野郎。『忘れてたわ』じゃねえんだよ」
おっさんこと用務員は、失礼にも溜息を吐いた。
「まあ、どやされるのは俺じゃないですしねえ。それに責任がねえと人は忘れるでしょ?」
持っていることさえ忘れていた緑色のタグが付いた屋上の鍵をおっさんに投げ渡す。学ランの尻ポケットに入っていたおかげで、俺の温もりがばっちりついたの鍵をおっさんは汚いもののように見つめる。
多分だけど俺の方があんたよりは綺麗だと思いますぜ。
おっと、冗談ですって。
睨まないでくださいな。
「はあ、どうしてこんなクソ生意気な坊主に使いっぱしりにされなきゃならねえんだ……」
おっさんは自分の情けなさに対する文句を吐くと、おおよそマイセンが入ってるだろう胸ポケットに鍵を入れた。
「無防備にも屋上で煙草を吸ってた自分のせいですよ」
「普通、授業時間中に生徒が来ると思うか? しかも、進学校で」
ツルツルの頭を撫でるおっさんは、春の不始末を感慨深く思い出し、半ば八つ当たりのように俺を見つめる。
おっさん、固定観念が過ちを生み出すんだぜ。
「不良はどこにでも湧くもんですぜ」
「同級生だったらぶん殴ってやれるのに……」
言葉の暴力性と相反するようにおっさんはがっくりと肩を落とす。似合わない言動は熊のゆるキャラみたいで可愛らしい。
まあ、それもこれもこの人が社会的立場から俺を殴れないっていう絶対的な関係があるから覚えているんだろうけど。
「冗談は止してくださいよ」
「いいや、本気だ。てめえみたいな生意気な坊主は痛みを知らなきゃ……。いや、違うか」
「ど、どうしたんですか。いきなり言葉を詰まらせちゃって」
苛立ちを露わにしていたおっさんは、何を思ったのか急に優しい微笑を浮かべた。
正直、気味が悪いね。
「いや、まあ、なんだ。ちょっと昔の自分を思い出しただけだよ。不良だったころの自分をさ」
「やっぱり暴力団員だったんですか?」
「馬鹿言え。俺はずっと堅気だ」
気をつかったはずの俺の冗談に、おっさんはマジになって詰め寄ってくる。
こういうところが堅気に見えない由縁だと思うんですけど……。
「ともかく、坊主。しぶとく生きろよ。産まれなんて関係ねえんだからよ」
「……うるせえ」
「図星かよ! まあ、気張ってくれや!」
急に聡い一面を見せたおっさんは、俺の肩にわざと体をぶつけ、ゲラゲラと笑いながら俺が降りてきた階段を上がっていく。
遠ざかるおっさんの後ろ姿は、いつもよりも大きく見える。そして、一階層下から聞こえてくる他の奴らの声が嫌に苛立たしく思える。
怠さを覚える重い体に鞭を打って、一歩一歩階段を下りていく。物理的に接近する海の臭いとグラウンドの土の匂いが満ちる騒々しい昇降口は、なぜか、いや……、鬱陶しい。
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