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不良衒学少年と電波天使少女の回帰譚  作者: 鍋谷葵
第二章

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第三十七話

 状況の整理におっさんが奔走してくれたおかげで、俺には正当防衛が認められた。決定的な証拠となったのは、ことの始終を撮影していた彼女連れのマッシュマンだった。周囲の人々に事態の状況を聞きまくるおっさんに、彼がスマホの映像を見せたことで、おっさんは事件の全貌を把握した。

 二人がやり取りを終えると、丁度良く帽子屋の店員さんが呼んだ警備員が三人ほど駆け付けてきた。自失呆然と感情的な行動に身を委ねている高校生たちの代わりに、大人な二人は警備員たちにスマホの映像を使いながら説明した。

 事情を把握した警備員たちは、五人の高校生を警備室へ連れて行こうとした。しかし、おっさんが『絡まれた二人は俺が面倒見ますんで、そっちの女の子たちだけ連れて行ってください。ああ、俺はそこの長髪の保護者みたいなもんなんです。はい、ですから、こっちの方は俺が面倒を見るんで』と言って、警備員たちを納得させ、余計な拘束から俺たちを逃してくれた。

 晴れて自由の身となった俺に、『ベンチで座ってるあの子、結構なショックを受けてるだろうからフォローしてやれよ』とおっさんは一言。そして、付け加えるように『あと、学校には俺が説明しとくから安心しろ』と言って、颯爽と去って行った。おおよそ、カッコよくて頼れるダンディな大人はあのおっさんを言うんだろう。

 頼れる大人をしみじみと思いながら俺は司と一緒に、帽子屋の前のベンチに座っている。司はミニバッグを体に掛け、千切られたイルカのストラップを両手で大事そうに包んでいる。


「なあ、司さんや」

「……」


 光を見ることを諦めたような司は、さっきから俺が声をかけても反応せず、ずっと俯いている。

 おっさんは『フォローしてやれよ』と俺に言った。

 しかし、残念かな。

 俺は女性一人エスコートしたこともないし、これからもするつもりがないせいで、傷心中の女子に掛ける言葉を頭に思い浮かべられない。小説や戯曲のキザな台詞の一つでも、そらんじれれば良いんだが、衒学の箱も開いてくれない。どうやら、事件の衝撃によって蓋ががっちり閉まったらしい。


「……坂本」


 暫しの沈黙の後、司は口を開いてくれた。

 ただ、その声音は弱々しい。通り行く人の足音や喋り声、陽気な店内BGMに、耳を澄まさなければかき消されそうだ。


「坂本はさ、どう思った?」

「さっきのことか?」


 司の声と同じ小さな声で尋ね返すと、彼女は小さく頷いた。


「人間の最も醜悪な部分だと思ったよ」

「……」

「嫌悪すべき鬼畜の所業だ。あいつらの両手は切り落とすべきだと思うね」

「試練だとしても?」


 この期に及んでまだ戯言を吐けるのかよ。

 大した精神力だと思う。

 ただ、傷心中にアイデンティティを傷つける現実を突きつけるのはどうなんだ?

 ああ、そうだ、あの時と同じように優しい嘘を吐いてやればいいんだ。


「試練だったらその必要はないかもしれねえな」

「……嘘。来栖聡と同じ嘘」


 冷たい声で人の親切をばっさりと切り捨てるのは、よろしくないと考えますぜ。

 勝手に同情して本音を隠した俺も悪いんだろうけどさ。


「優しい嘘だよ。公園でサッカーを一緒にしたあのガキに吐いた嘘と同じようにさ」


 司はふと顔を上げる。そして、泣き腫らした目をぱっちり開いて俺を見る。

 本当に俺があのガキを構ってあげてると思ってたのか? 


「あれ、嘘だったの?」

「ああ、俺は一度たりともあいつに会ってねえよ」


 いつかの夜、俺に彼が送ってくれた無邪気な笑みを思い出すと胸が痛くなる。


「どうして? どうしてそんな酷い嘘を吐いたの? あの子、坂本のことを本気で救世主かなにかと思ってたんだよ? あの子を送ったとき、あの子『またあのお兄ちゃんと会えるのが楽しみ』って言ったんだよ?」


 いままでの静けさを忘れ、司は鬼気迫った様子で俺を問い詰める。

 爛々と輝く彼女の目はほんのり怖い。だが、俺の実存が揺るぐほどの怖さじゃない


「悪いと思ってるさ」

「なら、どうして?」


 司は俺の胸倉を片手で掴みながら、直情的にたずねてくる。


「……モンテクリスト伯は『待て、しかして希望せよ』と言った。それは不運の青年マクシミリアンの想い人を救うために。ただ、彼の想い人は伯爵が守ってやると言ったのにもかかわらず、一度彼の前で死ぬんだよ。彼にとってそれは絶望だった。彼は失意の底で自殺しようとする。だが、伯爵に止められるんだ。そして、彼は約束を反故されたのにもかかわらず伯爵再び約束する。もっとも、マクシミリアンは物語の最後まで絶望を抱きながら過ごすんだけどな。しかし彼の絶望は、物語の終わりに希望へと昇華する。とどのつまり彼の想い人は生きていた。伯爵はずっと彼女を匿っていたんだぜ」


 長ったらしく物語のあらすじを語りながら微笑む俺を見て、彼女は眉間に皴を寄せる。そして力むことに疲れたのか、彼女は俺から手を離し、イルカを再び両手で包む。


「絶望は希望へと変わる。そして、連れの奴隷とともに颯爽と去っていく伯爵は、マクシミリアンに遺した手紙に『この世には、幸福もあり不幸もあり、ただ在るものは、一つの状態と他の状態との比較にすぎないということなのです。きわめて大きな不幸を経験したもののみ、きわめて大きな幸福を感じることができるのです。』って書いてたんだよ」

「……だから、いまのあの子に必要なのは絶望って言いたいの?」

「ああ、そうだ。俺から得られる希望なんて、クソの役にも立たない。それはむしろ現実とのギャップを生んで、自分を傷つけるだけだ」

「嘘」


 司は俺の目の奥にある本音を覗き込みながら鋭い一語。

 ロマン主義で目をくらませていないで、本音を語らねえとな。


「ああ、本音を言えば俺は責任を負いたくないんだ」

「……」


 司は失望の眼差しを俺に送ってくる。俺は彼女の視線から目を逸らさず、自分の行為に対する罰として受け入れる。


「でも、マザーグースの詩を坂本は教えてあげた」


 曲がった男の詩。

 あれ、皮肉と警句のつもりだったんだぜ?

 けれど、それに気づいていない司は俺に熱い崇拝の意が籠った視線を送ってくる。


「同情するくらいだったら俺に失望してくれよ。そうすれば俺は神様じゃなくなる。それで俺とお前との契約も切れるんだしさ」

「嫌だよ。坂本はまだ神様」


 何をもって自信満々にこんな小人間を神様と断言できるのか、俺には不思議でならないね。自分の姿に酔い、人の心を弄んだ人間を崇拝の対象である神と信じるなんて甚だおかしい。


「神様は信仰に篤い信徒にさえ試練を与える。あの人たちが私を虐めるのだって、神様が与えた試練。そして、いま坂本は神様としてあの公園の子に試練を与えている。それは坂本の意識から切り離されたところ、坂本が観測していながらも自分に気付けていない。坂本は永遠の円の始点なの」


 熱い視線を注いでくれるのはありがたいが、滔々と神様理論を語られても理解ができない。お前さんにとって真面目な理論かもしれないが、俺にとっては電波以外の何物でもないぜ。

 俺の無理解に司は気付いたのか、狂信者と錯覚しそうなほど熱意が籠っている顔を伏せる。それは落ち込みか、失望か。後者だったら喜ばしい限りだ。

 しかし、無念!

 彼女の情緒センサーに俺の欲求は引っ掛かる。

 顔を上げた彼女は、俺に純粋な笑みを向けてくる。


「行こう。今日はプレゼントを買いに来たんだから」


 いままでの重苦しさを全てどこかへ流した司は、元気よく立ち上がり、俺に手を指し伸ばす。

 そうだ。今日は重苦しいことを考えに来たわけじゃない。

 今日は楽しい楽しい日曜日。

 司のプレゼントを買いに来たんだ。

 いまは忘れよう。すべてを忘れて彼女の手を取ろう。


「わかったよ」


 司の手を取り、俺は重い腰を上げる。


「行こ!」

「わかったから、走るな」


 そして、司の気が向くまま俺たちは帽子屋へ向かう。


ご覧いただきありがとうございます。

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