第三十四話
来栖家の喧騒も収束し、七月二十六日は始まりと違って平穏に過ぎた。
しかし平穏は長く続かないようで、今朝『今日の十三時半に、駅の高架通路に来て』と、司から連絡が来た。俺は連絡とともに眠い目を擦って起き上がり、何もないお気楽な日曜日に予定が入ってしまったと憂いを抱いた。飛ばしてやろうかと思ったが、律儀な俺が冷血漢の真似なんてできるわけもなく……。
俺は仕方なしに準備をして家を出た。
「頼む、曇ってくれ……」
高架通路のベンチに座って、空を見上げれば、そこは真っ青に晴れ渡っている。
正午過ぎの真夏の屋外は滅茶苦茶に暑い。いまさっき買った水は温くなってる。汗は噴き出るし、日焼け止めを塗り忘れた肌はチリチリと痛む。あと、黒のワイヤレスイヤホンが壊れないか心配だ。
早く来ねえか、司。
呼び出しておいて遅れる司を呪いながら、暑さを紛らわせるために生温い水を飲む。喉を潤してくれるはずの水も、温度のせいで粘性を持っているように思えてしまう。
これじゃ、不快なだけだ。
ちぇ、空だ。
すっからかんになったペットボトルを捨てに立つのも怠い。誰かゴミを俺の代わりに捨ててくれ。あと、どこかに居る司を連れてきてくれ……。
「早く、来てくれよお」
「どうして涼しいところに行かないの?」
イヤホン越しに天啓が聞こえる。
言われてみれば、律儀に高架通路で待ってる必要なんてねえんだ。
「暑いんだから、早く行こ」
天啓の主、俺を待たせた張本人は、爽やかな笑顔を浮かべながら俺に手を差し出す。
果たして俺がベンチでぐったりしているのが、なぜか彼女は知っているんだろうか? いいや、彼女は知らない。だが、水族館では俺が彼女を待たせてしまったからこれでおあいこだな。
「じゃあ、これ捨ててきて」
「嫌だよ。自分のゴミは自分で捨てて」
至極当然のことを言う天使様は、真向かいにあるごみ箱を指さす。少しくらい俺に優してくれてもいいと思うんだけどねえ……。
寛大かつ律儀な俺はごみを捨て、イヤホンを胸ポケットに仕舞う。そして、水族館で買ったストラップが着いた黒いミニバッグを体に掛け、いつもの白いワンピースで身を包む傍らの天使を見る。
「それじゃ、行こっか」
「どこに?」
「私のお手伝い」
「どういうこと?」
天真爛漫な彼女は質問に答える代わりに、俺の右手を取る。
「良いから早く!」
「あぶねえって!」
よろめく俺を他所に、彼女は楽しそうに笑いながら駅ビルに駆けだす。
そうして俺と司の七月三十日が始まる。
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