第三十一話
俺は不良に囲まれてもびくともしない俺の心を痙攣させる司から逃げ出してやりたかった。
しかし、小一時間も待たせてしまった彼女を自分の感情を理由に置いて帰るのは人として問題だ。もっとも、相手も自分を振り回していたから自分も同じように振舞ってもよいだろうという理屈として筋の通っている言い訳も浮かんでいたし、そのために俺の足は炎天下に向いていた。
だが、やられたらやり返すというのは見っともない。
こいつは一般論だ。
「坂本、なんでも買ってくれるの?」
「常識の範囲で頼む。俺も金に余裕があるってわけじゃないからな」
「うん」
ゆえに、出口付近にある売店の前で俺は立ち止まり、彼女が追い付くのを待った。そして、『待たせた詫びとして、何か一つだけなんでも買ってやる』、そんな現金な約束を結んだ。果たして金を俗悪として認知している彼女に、この詫びが正当なのかは分からないが、俺の義理堅い心を満たすにはこうする他なかった。
腕を組んで突っ立っている俺に反し、彼女は売店に並んでいるぬいぐるみやお菓子、ボールペンや日記帳のお土産たちを忙しなく物色している。多分、目を輝かせてみるようなものじゃないと思う。こんなお土産、そこら中に売っている普遍的なものだし。
あと、オレンジのベストを着たおじさん店員さん、俺は別に彼氏じゃねえですよ。だから、レジ越しに生暖かい視線を送らねえでください。いや、本当に止してくださいよ。
レジから視線をそらすために、近くの網棚に掛けられているストラップ群を見る。青いプラスチックで作られた海洋生物を模したそれは、なんだか安っぽい。すんごくチープ。というか水族館に展示されていないジンベエザメのやつもあるし、どうなってんだ? プライドとかないのか?
「小さくてクオリティも低いのに七○○円かよ……」
「ねえ、坂本。私、それが良い」
「えぇ……」
店内を物色していた彼女はいつの間にか俺の背後に立っていた。そして、もじもじとしながら俺の手にある実際に見ていないイルカのストラップが欲しいと言う。
個々人の感性に文句を言うのは違うと思う。だが、あまりにもセンスがないぜ、司さんや。
「本当にこれで良いのか?」
「これで良いよ。欲しいのも特になかったし」
「いや、散々ぬいぐるみとか見てただろ。別にあのピンクのペンギンのぬいぐるみでも良いんだぜ?」
三千円近く払うのは手痛いけれど、返礼の代物としては妥当だ。優の部屋にあったくらいだから、女の子としても嬉しいだろうし。しかし、彼女は首を横に振って俺の指の先にあるぬいぐるみを拒絶する。
「そのストラップが良い。小さくて丁度良い」
「……まあ、お前がそれで良いなら良いんだけど。遠慮なんてしなくて良いんだぜ?」
「遠慮なんてしてないよ。坂本が手に取ったそのストラップが良い。天使的な運命を感じるから」
「運命ねえ……」
彼女は自身の天使理論に則って、ささやかすぎる選択をする。
そして、自分の選択に彼女は満足している。
なら、他の選択を俺が勧める必要もないか。
天使理論の根底は清貧か? そんなことを思いながら俺はストラップをレジに通す。おじさん、ニマニマと笑わないでくださいよ。結構、腹立たしいですぜ。
「じゃあ、これ」
小さな白い紙袋に入れてもらったストラップを後ろの司に放る。急なピッチングに慌てる彼女は胸のあたりでそれを見事にキャッチすると、ホッと息を吐く。
「坂本は乱暴」
そして、彼女は頬を膨らませて怒ってくる。
ただ、あの冷たさを持っていないから全く怖くない。
「俺は乱暴者だよ。いまに始まったことじゃねえ」
「けど、その暴力は優しい暴力」
彼女は胸の前で、ストラップを大事そうに手で包む。そして、微笑みながら盛大な勘違いを俺に向ける。
「暴力に優しさなんてねえよ」
「あるよ。人を守るための暴力は優しい暴力」
「違うね。暴力に例外はねえ。自己防衛にしたって、行為としては暴力だ」
「でも、それをしなきゃ自分が傷つく」
「ああ、だから必要なのは理性と、論理に基づく言葉だ」
暴力は問題をいたずらに広げ、肩身を狭めるだけの蛮行。来栖から散々言われてきたことだ。
しかし、俺と来栖の理論を不服に思う彼女は口をへの字に曲げる。
「でも坂本、さっき言葉は『誤解の塊だ』って言ってた」
「ああ、誤解の塊だよ。だから、理性と論理が必要だ。とはいえ、結局それも誤解性を多分に擁している。ゆえに通じない場合が多い。こいつは俺の経験が言ってるんだからマジだぜ」
「じゃあ、理性も、論理に基づく言葉も必要ないんじゃないの?」
「いや、やるとやらねえとじゃ、訳が違う。やれば説得したという事実が残る。やらなければ、ただの暴力沙汰として消化される。つまり、面倒がほんのり軽くなるわけだ。だから、無意味かもしれないが説得はしてみるもんさ」
経験を想いながら売店脇の休憩スペースへ足を運ぶ。そして、茶色の円形ソファに疲れた体を落ち着かせる。彼女はまた俺の前のソファに腰掛け、疲れた笑みを向けてくる。
「とかく、言葉は誤解を含んでいて無意味だ。だから、言葉で納得してもらおうと思うのは傲慢だ」
「じゃあ、暴力は?」
「暴力はいかなる意図、思惟が含まれていても無意味だ。本人が有意味だとしても無意味だ。つまり、有意味な暴力なんて一つも存在しねえのさ。全てナンセンス! ただ、どうしてかな。神が世界を創成し、アダムとイブを御創りなさって早何十万年、俺たち人間はそれを理解できていない。知恵の実は所詮、動物の本能を抑えられなかったらしい」
「……ちょっと痛いね」
「お前に言われたくねえよ」
自分に酔っていたことは否めない。
おかげさまで、顔が赤くなる。
彼女は俺から一本取ってやったと、来栖に倣った笑みを浮かべる。
「まあ、そう言うことだから乱暴は乱暴だ。暴力は暴力だ。そして、そこに含まれる意味はない」
「神様がそう言うならそうなんだね」
「そうだよ。神様がそう言うからそうなんだ」
無責任に司の神様理論に則ったことをまた吐いてしまった。
ほら見ろ。
お嬢ちゃんはニマニマと笑ってらっしゃる。
ちぇ、手玉に取られるっていうのは悔しいな。
少し浅ましいが、ちょっとした復讐が必要だ。
彼女からして言葉を濁したい話題は何かしら? 両親のことか? いいや、それは人間性を疑うな。
なら、連絡を無視してたことでも聞くか。
「ところで、なんでお前さんは朝の連絡を返してくれなかったんだ?」
司はギクッとあからさまな擬音を立てるかのように、肩をびくつかせる。
「ああ、あれね。あれは、スマホの充電が切れてたんだよ」
そして、もっともらしい継ぎ接ぎの言い訳をする。
「でも、昼間は返せたじゃねえか」
「そ、それは……」
司はうつむいてもじもじとする。
……これ、思ったより楽しくねえな。か細い声を聞くと、どうも頭の中で屋上の光景がよみがえってきちまう。
俺はあの社会の膿どもと俺は一緒か?
違う。俺は高潔な人間さ。
「まっ、どうでも良いけどよ」
自己嫌悪から逃げるように立ち上がって、司を見下ろす。
「とりあえずもう帰ろうぜ。やることもないんだし」
「……うん」
俺の言葉にしたがって、彼女は顔を伏せたままゆっくりと立ち上がる。そして、黒の小さなショルダーバッグに紙袋を仕舞う。
さあ、帰ろう。
かくして、疲れた体を携える俺たちは、水族館を後にして、暑くて仕方がない十五時の外に出る。
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