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不良衒学少年と電波天使少女の回帰譚  作者: 鍋谷葵
第一章 

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第十九話

 

 暑くて仕方がない外から来栖家に入り、無理解な来栖に口を挟ませないよう優の誤解を説得した。もっとも、優に思考の余地を与えないためにマシンガントークでの説得になったが。


「天使? 神様? 天国?」


 言葉の量で相手を納得させようにも、司の天使理論は電波が強すぎる。真っ当で、普遍的な価値観の中で生きている人間からすれば呆けてしまうのも頷ける。

 優はパチパチと瞬きをしながら、丸い目で司と俺を見比べる。年下の可愛らしい少女の言動を司は慈愛の笑みで観察している。その傍ら、来栖はフローリングの上にあぐらをかいて興味なさそうにスマホを弄っている。

 なんだこれ?

 まあ、とりあえず事態を収拾するか。時間がそろそろきつくなってきたところだし。


「まあ、そういうことだ」

「そういうことって、ええ?」

「困惑するのも無理ねえさ。俺だって困惑してる」

「違う。坂本は困惑してない。全部見えている」


 早くバイトに入りたいのに、人を余計困惑させることを言わないでくれますかねえ。


「見えてねえよ。とかく、いまから優に勉強を教えるから、お前と来栖は出て行ってくれ」

「優ちゃんに? どうして?」

「アルバイトだよ。ドイツ語で労働。日本語でもおおよそ労働」

「どうしてバイトをするの?」


 アリストテレスの弁証法でも実践してるのか?


「生活のためだよ。飯を食うにも、物を買うにも、何をするにも忌まわしいかな、金銭は付き物だ。そいつを稼ぐために仕事をする。当たり前のことだろ」

「けど、金銭は俗のこと」

「俺たちが生きてるのは俗世さ。とことん俗世だ。流行もあれば、迷信もあるし、犯罪もある。だから、生きるためには働く必要がある。『労働こそ自由への道』だ」


 いや、強制収容所の標語は不謹慎だな。

 不適切な発言を慎むため口を閉じる。こいつらが気分を害していないと良いんだけど。

「ちぇ」


 残念ながら俺の配慮は無意味だった。優は勉強の準備を始めているし、来栖は俺のトートバックの中を了解も取らずに探っている。来栖、てめえは俺の解答をよっぽどみたいんだな。

 そんな会話の無意味さに興味を外した二人と違って、カーペットの上でちょこんと正座する司は肩を震わせている。


「違うよ。やっぱり金銭は罪で、俗悪だよ」


 そして、震えながら戯言を吐く。


「それもまた正解だろうよ。ただ、必要悪もあるんだよ」


 資本主義を許容している時点で、金銭は必須だからな。

 聖俗であったとしてもさ。


「……だから世界は死んでいる」


 スマホをポケットから取り出して時間を確認しようとしたとき、驚くほど低く、驚くほど冷たく、驚くほど小さい背筋を凍らせる言葉が司の口から漏れた。もっとも、幸運なことに彼女の言葉は俺にしか聞こえていなかったらしい。

 世界が死んでいる?

 何を言ってらっしゃる。

 いや、本当は……、違う。電波に犯されているだけだ。

 冷静になれよ、世界は生きている。

 ……スマホをちらりと見れば、時刻は十六時三十五分。

 窓から差し込む日は赤らんでいる。

 さて、そろそろやらないとまずいな。


「夢か現か分からねえ、世迷言もさておいてさ。わしは仕事に取り掛かりますよ」

「なんで慎一さんが待ってる側なんですか」

「細かいことはどうでも良いだろ」

「はあ……」


 机越しに向かい合う優は頭を抱えながら、溜息を吐く。


「でも、天津さんはどうするんですか?」

「私?」


 知らぬ間に元の雰囲気に戻っていた司は、きょとんと首をかしげる。

 よくよく考えてみれば、別に司がここに居る道理はないんだよな。

 帰ってもらうか。俺としても楽だし。


「じゃあ、私も一緒に勉強する」

「ええ……」

「どうして嫌そうな顔をするんですか」

「お前は嫌じゃないの?」

「別に、だって天津さんって、ちょっとアレですけど、良い人じゃないですか」


 俺としては貴女が言葉を濁した『アレ』が嫌なんですよ。

 とはいえ、契約主と家主は来栖と優だ。俺はただの雇われ。だから、司が居ても良いと、こいつらが言うのであれば俺は従わざるを得ない。

 司の存在の是非は、俺の数Aと化学基礎の答案を見て肩を落としている来栖にかかっている。

 突っ立ったまま、個人的に嫌いな表情を浮かべる来栖は俺の視線に気づく。そして、視線を優と司に向け、表情をけろりと変える。


「俺は別に良いよ」

「お、お前には聞いてない」


 睨みつけられ、詰まる言葉で拒絶されてもなお、来栖は柔和な笑みを崩さない。


「じゃあ、そうしよう。ただし、邪魔だけはするなよ」


 体が急に重くなるのを覚えながら司に忠告する。一瞬間前まで来栖を睨みつけていた彼女は、細い首から頭が取れてしまうのではないかと勘違いするほど、勢いよく頭を縦に振る。

 彼女のあからさまな合意に、来栖はクスリと笑って立ち上がる。それは優等生が自室に帰る合図だ。



「それじゃ、俺はここで失礼しようかな」

「待て、ここに居てくれ」


 ただ、俺それを呼び止める。


「なんでさ?」

「俺にもキャパシティがあるんだよ」

「へえ、そうなんだ。じゃ、お言葉に甘えてこっちで一緒に勉強しようかな」


 苛立たしい笑顔に手が出そうになるが、それをグッと堪えて微笑み返す。


「いえ、兄さんとは嫌です。断固拒絶します」

「ええ……」


 優、なんで司は良くて兄は駄目なんだよ。

 こいつ、俺と同じくらい頭良いんだぜ?


ご覧いただきありがとうございます。

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