第十七話
ハンプティダンプティ先生は、司に上手いこと言いくるめられ、俺の知らない新証拠を突きつけられ、二重の箍によって鬱憤の発散を封じられた。西高の心優しき先生は自校の生徒が喧嘩を売った側であることを、ゴブリン軍団から吐き出させたらしい。そして、それを包み隠さずこっちに送ってくれた。これに加え、熱狂的で盲信的な司の弁護だ。彼女は一度も言葉を詰まらせず、稀代の弁論家の如き勢いで俺について話してくれた。ついさっき会ったばかりだというのに、一つの出来事しか経験していないというのに、俺の善性を彼女は徹底的に説明してくれた。
かくして、ハンプティダンプティ先生は今回の事件を誤解だと認め、謝ってくれた。
啖呵を切って俺を感情的に呼びだしたのにもかかわらず、実体は冤罪。この事実は、先生の肩身を狭めたはず。
実際、社会科の先生方から白い目で見られていた。
ざまあみろ。
「慎一。やけに機嫌がいいね。授業も寝てなかったみたいだし」
「寝てなかっただけだけどな」
「普段を振り返ってみてよ……」
六限終了のチャイムが鳴る。そして、優男は頬杖をつきながら、ジトっとした視線と呆れの溜息を送ってくる。
「どうして機嫌が良いのさ? うわさが消えたから?」
確かに奇異の視線は俺に向いちゃいねえな。
所詮は儚いうわさ話ですか……。
寂しいぜ。
「ちげえよ、正当防衛が認められたからさ」
「あいつが認めたの?」
「そうそう。しかも、偉大なるハンプティダンプティ先生だけじゃなく、学校もだぜ」
目を丸くして来栖は驚く。
こいつ、友達なのに俺が正当防衛を勝ち取ることを信じてなかったのかよ。友達失格だぜ。
いや、朝の俺の発言が悪いか。諦める態度を取ってたし。
「良かったよ。本当にさ。もし、停学にでもなったら僕は君を解雇しなきゃいけなくなってたからさ」
冗談とも受け取れるし、冗談ではないとも受け取れる来栖の安堵は俺を緊張させる。
もう、俺の世評は俺のためだけにある訳じゃない。俺から指導を受けている優と、それを任せている来栖、それから来栖の両親にもかかわるものなんだよな。
自分の危機管理能力の無さに、せっかくの陽気も曇っちまう。
「まあ、その、なんだ、悪かったよ」
ひどくばつの悪い顔で、おおよそ客観的に見ればそうなっている感じで、頭を下げる。
「なにに謝ってるのさ?」
頭を上げると、俺の心内を見抜いていながらも、わざと分かっていないふりをしている道化が居た。キョトンと首をかしげる様も、少し上がった口角も、全てが演技に満ち溢れている。
わざとらしい演技に覚えるのは苛立ちだ。けれども、残念ながら非は完全に俺にある。そして、俺たちは不特定多数のクラスメイトの中に居る。穏やかな日常をぐちゃぐちゃにするわけにもいかねえし、来栖の株を下げるわけにもいかねえ。ゆえに俺は歯を食いしばって、必死に笑顔を作る。
「はは、冗談だよ。冗談。慎一は冗談が通じないなあ」
「てめえの冗談は悪質なんだよ」
しばらく俺を見つめていた来栖は、こみ上げてくる愉快さを抑えきれず、クスクスと笑う。性格の悪い笑い方だ。
「けど、どうやって無罪を勝ち取ったんだい?」
「ちょいと困ってたやつを助けて、そいつに弁護してもらったんだよ」
「へえ、慎一を弁護するなんてよっぽど物好きなんだね」
「物好きって……」
誰からも好かれるような性格ではないとわかってる。けど、面と向かって、しかも真顔で言われると意外と心に堪える。
てめえの本性を隠すことよりも、些細な会話の中に配慮として処世術を使って欲しいぜ、俺はよ。もっとも、俺の日ごろの行いが全部悪いせいなんだけどさ。
「それで誰を助けたの?」
「天津司だよ」
「天津さん……。そっか、天津さんかあ……」
柔和な表情を見せていた来栖は、司の名前を出した瞬間、表情を硬直させた。口を一文字にして、『天津司』の存在自体に臆するような態度を取る。
こいつはあいつが学校のタブーであるとでも言いてえのか?
そう言えば、一昨日、俺が司のことを尋ねた時も来栖は言い淀んでいた。いや、まあ、大体の理由はわかるぜ。だけど、あいつがネジの飛んでる変わった奴だからと言って、迫害するのはいただけない。
「黙認もまた罪さ」
「慎一って、人の心が読めるの?」
目を伏せる来栖は苦笑いとともに問いかける。
「読めねえよ。けど、人の情はわかるさ。正義の心があっても、臆病風に吹かれれば、黙っていることしかできない。人間の保身の心はよくわかるよ」
「攻撃的だ。けど、真実だね」
「もっとも、学校から目を背けていた俺もてめえと変わらねえよ」
「俺を気遣ってくれてるの?」
来栖は面を上げると、純粋な疑問を恥ずかしげもなく投げかけてくる。
「そういうことは思っていても言わないのが華さ」
「ありがたく受け取っておくよ。あと、慰めを受け取ったから事実から遠ざかるわけにはいかないね」
司に対するいじめが事実として存在すると来栖は認めた。知っておきながら無関心でいたことの恥ずかしさと、『仕方がなかった』という言い訳染みた自己弁護が混ざった雰囲気は見るに堪えない。
まったく、責任感が人一倍あるのも酷な話だ。
来栖。
俺たちが十字架を背負う必要なんてないんだよ。
「まあ、お前が気に病む必要はないさ。お前だけが背負う問題じゃないんだし。問題の発生源も、一組じゃなくて、三組だしよ」
「指摘した割には、放置する感じなんだね」
「実際、俺の不利益にならない限り俺は干渉しねえよ。今回だって俺を邪魔してきたら追っ払っただけだし」
これは照れ隠しでもなんでもない事実だ。
だから、来栖。ニマニマと苛立たしい笑みを浮かべるんじゃねえ。
「慎一。君ってやつは本当に……」
「それ以上言ったら殴り飛ばすぞ」
本気で殴られるのではないかと来栖は焦って、どうどうとなだめる。果たしてこいつは自分の行為が相手を反って苛立たせているのが分からないんだろうか。もっとも、こいつに限って分かっていないはずがない。
また、掌で転がされちまったよ……。
少し昂る情緒の愚かしさに後悔しながら、ふと教室の出入り口を見る。するとタイミングを同じくして、教室がわずかに静かになる。しかも、気まずく。
「あ」
見なきゃよかったぜ。
なんで俺たちの教室まで来てるんだよ、天使様?
「『あ』って?」
「いや、ほら」
静けさと俺の感嘆詞に違和感を覚えた来栖は、俺の視線の先を見る。そして、グレーのリュックを背負った可憐な天使様を認めると、来栖はにんまりと口角を上げる。
「慎一を待ってるんじゃないかな?」
「どうしてそう思う?」
「だって、彼女の知り合いなんてクラスに君しかいないじゃん」
香具師は実に愉快な声を発する。
ああ、一難去ってまた一難っていうのは今日を言うんだな。
だから、許してくれよ、神様。
てめえを呪うことをさ。
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