第十六話
俺が冷めやった態度を示すのに、天使様は相変わらず目を輝かせてこっちを見てくる。熱狂的なアイドルファンが推しのアイドルにあったとき、こんな表情をするんだろうか?
今度、優に聞いてみるか。K-POP好きなはずだし。
まあ、今はくだらないことよりもあいつのところにいかねえとだ。もっともお咎めを無くす前提として、面倒なこいつを連れて行かなきゃならないんだが。
時間、あるか?
もしかしたら、俺の身一つであいつのところに行った方が良いかもしれねえ。
「だからさ、神様。私はもう天国に帰って良いかな? 天国への階段を上ってさ」
自分の利益を考え始めた矢先、凄く寂しげな声を彼女は紡ぐ。
ただ、丁度良く強まった白い光が逆光になって顔は見えない。
「だから、俺は神様なんかじゃねえ」
「じゃあ、神様じゃないって証拠を見せてよ」
「証拠って言われてもよ……」
後ろで手を組んだ彼女は歩み寄ってくる。
陰に入ることで徐々に露わになる彼女の表情。
俺を芯から凍えさせる無の表情。
俺は一歩退く。
いまのこいつはどんな輩よりも怖い。西高の連中よりも、おっさんよりも、誰よりも強い拒絶を抱かせてくれる。それはもう生理的な。
「一にして全、全にして一。トートロジーが許される存在ではない証拠を」
彼女は、天津は、さら追い詰めるように俺に体をグイッと近づける。彼女の呼気と吸気、女の香りが俺の体を戦慄させる。
「証拠はねえよ。だから、その証明をお前が満足するまでしてやるよ」
「本当?」
「嘘はつかねえ。マジさ。だからよ、今は一緒に来てくれ。それも込めて契約しようや」
慄く俺は口を滑らせてしまう。
一時の苦しみから、耐え難い苦しみから逃れるためにいくらでも曲解できてしまう言葉を吐いてしまった。
俺の内情に反して、精神的な拷問に俺をかけた天使様は飛び跳ねるように喜ぶ。無邪気な子供、公園でかけっこをしている穢れを知らない子供のように。
「わかった、わかったよ。それじゃあ、行こう! 神様!」
天真爛漫な天使様は階段を一段下りたところで、いつの間にか掴んでいた俺の腕を力強く引っ張る。
「手を引っ張るんじゃねえ! あぶねえだろ!」
「あ、ごめん」
やっぱり、聞き分けは良いな。
俺の言葉から踊り場に真っ逆さまに落ちていく俺を連想させた彼女は、肩を落として視線を落とす。
俺は彼女を拘束するだけの力が消えた手を振り払って、遠ざかるために階段を三段下る。
「それじゃあ、行くぞ。あと、学校じゃ神様って呼ぶんじゃねえ」
「じゃあ、なんて呼べば良いの?」
間抜けた声の問いかけは、とてつもない後悔を生じさせる。
なんだって俺はこんな奴を恐れおののいて、権利を差し出しちまったんだ?
とはいえ、もうやってしまったことはしたがない。
前を向こう。
後ろを向いたっていいことなんて何もないんだし。
「坂本でも、慎一でもなんとでも」
「じゃあ、坂本で」
彼女はどういう訳か愛おしそうに俺の苗字を小さく紡ぎづける。想像上の神の像たる俺がそんなに大切か? 照れ臭いから止めてほしい。
「それじゃ俺はお前を天津って呼ぶぜ」
「……嫌だ」
そして、こっちの提案を一方的に拒絶するのもやめてほしい。ほとんど初対面の相手を名前で呼ぶのは相当難しいんだぜ? 感情的な面で。
もっとも、こうした文句をこいつは拒絶するだろう。その上、俺には時間がない。昼休みが終わるまであと十五分だ。
これじゃ、選択肢が初めから無かったみたいじゃねえか。
「分かったよ。司」
やっぱり名前で呼ぶのはまだ気恥ずかしい。
ああ、やっぱり調子がよろしい塩梅じゃねえ。
発作的に後頭部を掻きながら、さらに階段を一段下りる。その動作を見ていたのか、司もまた一段下りる。
「それじゃ、早く行こうぜ。あと、弁護を頼むぜ」
「弁護?」
「いわれのない罪を先生から吹っ掛けられたんだよ。その弁護をいまさっきの経験をもとによろしく」
「わかった。神様の願いなら叶えるよ。それが忠実なる僕の私の役割だもの」
「だから、神様じゃ、いや、なんでもねえ。とかく、よろしくな」
かくして、大人なのか、子供なのか、悪魔なのか、天使なのか、心強いのか、心もとないのか、とにもかくにもよくわらかない自称天使こと天津司とともに、卵男の待つ時代遅れの部屋へと足を運ぶ。
あーあ、塀から落ちててくれねえかな……。
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