第十五話
神様?
いま、こいつ俺のことを神様って言ったか?
「おいおい、そいつは見当違いだぜ。大体、神様は形而上の存在だろ? それが形而下にあるのはおかしい話だ」
至極真っ当だと思う正論を叩きつけると、天使様はぶんぶんと首を振る。
どうやら、体の方が問題ないらしい。
「おかしくない。だって、天使だって形而上の存在だけど、こうして形而下にいるから。だから、神様もそのはず」
「いや、お前は人間だろ?」
「天使だよ?」
彼女はキョトンと首をかしげて、自分が空想上の存在であることをさも現実であるかのような態度を取る。姿勢と雰囲気から察するに嘘は吐いていないように見える。つまるところ、こいつは本当に自分のことを天使だと思ってらっしゃる。
おいおい、こんなイカレた奴のために俺はわざわざ骨を折ったのか? 骨折り損のくたびれ儲けじゃねえか。
「待て。わかった、じゃあ仮にお前を天使として仮定しよう」
「仮定もなにも」
「シャラップ」
「……」
「聞き分けは良いんだな」
そうだ、頭のネジが飛んでてもこの高校に入学してる時点で、頭はそれなりに良いんだ。
ただ、この了解があったとしても調子が狂っちまうよ。
「天使だったら光輪や羽があるだろ? 聖なる存在の象徴たる光輪と鳥の羽がさ」
「空から落ちてくるときに全部焼け落ちちゃった。地上は私たち天使からしてみれば地獄だから」
「焼け落ちたならそれはただの人間じゃねえのか?」
「違うよ。形而上の私が形而下の私を手に入れただけだもの。抽象と具象が等価関係になっただけ。だから、私は天使」
「はあ……」
これ、あれだ。
まともに取り合ってたら俺の頭の方がおかしくなるタイプの人間だ。けれど、『お前は狂ってる』っていう気にもなれない。素直が極まったような、白痴の……、いや、ガラス玉の眼をきらきらと輝かせながら俺を見つめてくれているんだから。
『智に働けば角が立つ情に棹させば流される』って、漱石も上手く書いたもんだ。人の世界は本当に住みづらいぜ。
「まあ、セラフィムだか、ドミニオンだか、プリンシパティだか、なんだか知らねえけど。どうして天使様は空から堕ちてきたんだ?」
幼稚な設定を崩さないようにおずおずと尋ねると、彼女は豊かな表情を顔から一掃した。美しい人の? いや、人というよりも良くできた人形の表情は、俺の心を底冷えさせる。
「……人を幸せにするため」
彼女はさっきまでの興奮を感じさせず、落ち着き払ってそう言った。
「人を?」
「そう、人を。神様の御姿を模して作られた被造物を幸せにするため」
ただ、問いかけを再び受けると、彼女は天真爛漫という言葉が似合う無垢な笑みを浮かべる。やっぱり、そこから紡がれる言葉に嘘は感じられない。
こいつ、マジで言ってるんだ。なんでこんなに執着するのかわからねえよ、俺はさ。
「そうかい。そう言えば、おとといはどうして屋上に居たんだ? そいつも人を幸せにするためなのか?」
「うんうん違うよ」
彼女は俺の頬から手を離すと、青空と光で満ちる屋上へと飛び出した。その背中は空と比較してあまりにも小さく、とてもこの世界を創りたもうた神の僕とは思えない。
「神様を待ってたんだよ。天国に帰っていいかどうかを知るために」
金糸のような髪を風になびかせ、光の中でくるりと踵を返すと、彼女は純粋な笑みを浮かべる。
「そうかい……」
そして世俗に染まり切った苦笑いを俺は返す。
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