領地のピンチで養子に迎えた義弟が予想以上に立派に育ちました〜クリーチャー生成する私が溺愛されてたなんて聞いてない
レシピ通りに混ぜて捏ねて鉄板に並べたクッキーを、石窯の中に入れる。
「お願いだから今度こそ出てこないでよ……!」
石窯の中の揺れる熱気を見つめながら、私は祈った。
この国の第二王子であるエリオット殿下との月に一回の面会まで、もう時間がない。今回失敗したら、我が家の命運は尽きると言っても過言じゃなかった。
「出ないで……出るな……出るなよ~……!」
鉄板の上に並べられたクッキーを凝視しながら、ひたすら呪文のように唱える。
傍から見たら、私はぶつぶつと独り言を喋る怪しい魔女に見えるかもしれない。大分草臥れた黒いマントを頭からすっぽり被っている姿は、我ながら怪しさ満載な自覚はあった。
勿論、これにはちゃんとした理由がある。
万が一私の黒髪がクッキーに混入してしまったら、非常に拙いことが起きるからだ。
私の一部が料理に混入した場合、間違いなく奴らが出現する。最近は混入しなくてもただ調理するだけで出現する確率が増えてきていたから、少しでも確率を減らす為の措置だった。
奴らの片鱗が見えないことを確認する為、焼けていくクッキーを凝視する。
と、次の瞬間。
むにょーんと、先端に五本指が付いた腕が一斉にクッキーから伸び始めた。
「あっ」
しまった、と思った時にはもう遅い。にょきにょきと手足を生やし始めたクッキーたちが四つ足で立ち上がると、石窯の中から私に向かって一斉に走ってきた!
「まっ、待って!」
手を伸ばし、飛び出してきた最初の一匹を掴む。
「あつっ!」
あまりの熱さに手を離すと、その隙に奴ら――クッキーから生まれたクリーチャーはすたこらと逃げていった。
「せ、せめて一匹だけでもいいから誰か残ってよ!」
訴えてはみたものの、全員食べられたくはないんだろう。私の身体に体当たりした後、壁にぶち当たって床に落ちては粉々になっていった。ちなみにマントはこの火傷予防の為にも役立っている。実に実用的だ。
――拙い! このままじゃ、エリオット殿下への献上品が!
ひとつでも残ってないかと、石窯の中を覗く。最後に残っていたクッキークリーチャーが、私の顔目掛けて飛んできた。
尖った牙を剥き出しにして。
「キシャアアアッ!」
「……いやあああ! 可愛くないっ! ――ハアッ!」
咄嗟に正拳突きをかますと、クッキークリーチャーは石窯の壁に向かって跳ね返され。
ぱりん!
……ぱっくり割れて、ただのクッキーに戻った。
人差し指で、クッキークリーチャーの死骸を突く。ツンツンしても、特に反応はない。ただの屍のようだ。
「床に落ちなかったのはひとつだけ……しかも割れたやつ……」
絶望感から死んだ魚の目のようになっている自覚を持ちながら、呆然と呟いた。
◇
私が料理をするとほぼ確実にクリーチャーが生成されるのには、訳がある。
我がクロフトン伯爵家は、過去に聖女を輩出したといわれる由緒正しい名家。つまり、私のこの力は聖女の力なのだ。
今のところ、クリーチャーを生み出す以外何もできないけど。聖女のせの字も掠っていない気がする。
なんでも過去の聖女は、国に疫病が蔓延した際突如聖魔法に目覚め、領民のみならず国民の病を次々に消し去ったのだとか。どういった魔法だったのかは記録に残っていないけど、私もそっちの力の方がよかったと心の底から思っている。
成し遂げた偉業に対し国から恩賜を受けることになった令嬢は、父親であるクロフトン伯爵と共に王都へ向かった。そこで当時の王太子に見初められ、二人は結婚。『クロフトンの聖女』と優秀な王太子の結婚に、国中が沸き立った。
それから長い歳月が流れた。
その間も、国に疫病が発生する度、クロフトン伯爵家からは聖女が目覚めては何度も国を救ってきた。
クロフトン伯爵家は救世主となる聖女を輩出する家系だと言われ、国から手厚く扱われた。
だけど時代は移り変わり、治癒魔法が発展し始めると、聖女の存在価値は徐々に失われていく。
そして私、クレア・クロフトンの時代には、もうすっかり『クロフトンの聖女』の名は廃れ、過去の古臭い迷信程度の存在になってしまった。
私のお父様であるクロフトン伯爵は気弱な性格で、趣味は絵を描くことだ。交渉ごとが大の苦手で、親戚に口出しをされるがままに領地経営を行っていた。その結果、中間マージンを親戚にがっぽり取られ、気付いた時には我が領に入る利益は雀の涙になってしまっていた。お父様にも記憶がない権利譲渡がなされた土地や事業もあって、開いた口が塞がらなかった。
騙されたと知った時は一家総出で抗議したけど、「クロフトン伯爵の署名が証拠だ」とのらりくらりと躱されて、結局そのまま。とりあえずお父様には「二度と関わっちゃだめ」と家族の前で誓わせた。しょんぼり項垂れてたのが可哀想だったけど、仕方ない。
これは私が優秀なお婿さんを見つけて、再興を頑張るしかない。子供心に覚悟を決めようとした、そんな時。
突然、国王陛下から第二王子であるエリオット殿下と私の婚約話が持ちかけられた。
唐突な話に、お父様もお母様も私も驚いた。こんな没落寸前の貴族をどうして? と。
だけど勿論、陛下には陛下の思惑がちゃんとあった。
事の発端は、王太子である第一王子の成婚だ。お相手のお妃様は、才女と名高い隣国の王女。忘れた頃に起きる魔物の大量発生に備えて、軍事力のある隣国と仲良くなっておきたい、というのが彼女を王太子のお妃様に迎えた理由だった。
これには誰も反対せず、むしろ美しくも賢い王太子妃を、国民も臣下も大歓迎した。
だけど、問題が起きた。まだお相手のいない第二王子、エリオット殿下の婚約者を誰にするかで、周りが揉め始めたのだ。
元々、この国の公爵家と宰相は仲が悪かった。伝統を重んじる公爵家と改革を押し進めたい宰相とでは、意見が合わなかったらしい。そして更に不幸なことに、両者ともに第二王子と年齢がつり合う娘がいた。これにより、激しい派閥争いが勃発。国内の勢力も見事に二分化してしまい、議会で議論をひとつまとめるにも、長時間揉めて進まなくなってしまった。
困り果てた陛下が、独断と偏見で選んだ相手。
それが、どちらの派閥にも所属していない、貧乏貴族であるクロフトン伯爵家だった。
クロフトン家は、今や完全に落ちぶれ貴族。だけど、過去に何人もの聖女を輩出してきた過去がある。対外的な理由としては、悪くない。
ということで、名声はあっても金も権力もない、つまり非常に扱いやすいクロフトン家から、私がエリオット殿下の婚約者に選ばれた。クロフトン家に反対できるだけの財力も権力もないことは私たちが一番理解していたので、ごちゃごちゃ言わずに素直にこの話を受けたのが五年前、私が十三歳の時の話だ。
この時、私たちはひとつだけ絶対条件をつけた。
それが、領地への毎月の資金援助。恥も外聞もない。生きるのにお金は絶対必要だし。
だけど、今度はクロフトン家に問題が発生した。
私がエリオット殿下に嫁ぐと、クロフトン伯爵家を継ぐ人がいなくなってしまう。腐っても聖女を輩出してきたクロフトン家を、私たちの代で終わらせられない。
それに、このままお父様に領地経営を任せていれば、みんなが困る。
そこでお母様は、裏切ったお父様の親戚ではなく自分の遠縁をあたった。そして、子沢山な家にいる優秀だけど三男の為家督を継げないという、超優良物件を見つけ出した。
それが、養子に迎えられた私のひとつ年下の義弟、ナイジェルだ。
まだ成長途中のナイジェルは金髪碧眼の可愛らしい見た目をしていて、且つ非常に聡明だった。私とお母様は彼をひと目見て気に入り、熱心に口説いた。
「こんな僕でお役に立てるのなら、是非」
はにかみながら応えてくれたあの日のことは、忘れられない思い出になっている。
ナイジェルを養子に迎えてすぐ、お母様は潔く貴族の矜持を捨てて、かつては薔薇の咲き乱れる庭園だった場所を家庭菜園に作り替えた。うちの領で採れる野菜はよそよりも元気が良くて日持ちするのが特徴。近隣の評判もよかったから、お母様はせっせと農地を広げていった。
何故か年々育ちが悪くなっていて、原因究明にお母様とナイジェルが奔走しているけど。
すくすくと立派な青年に育ち、あと半年で成人の十八歳を迎えるナイジェルは、あのゆるふわなお父様の後を継がないといけない重要な任務を背負っている。その為、お父様がポカをしないかを常に横で目を光らせつつ、寝る間も惜しんで日々勉学に励んでいた。
ちなみに、お父様が署名しないといけない書類も、全てナイジェルが選差している。これ以上余計なことをさせない為だ。
とても優秀に育ったナイジェルなので、彼が成人を迎えたら即座に代替わりしてしまおう、と我々家族は目論んでいるところだった。ちなみに、お父様自身もそれを望んでる。「ナイジェルの誕生日が待ち遠しいよ」と言っていたし。
期待を一身に背負わされているナイジェルには申し訳ないけど、私たちと領民の生活がかかっているから是非とも頑張ってほしい。本人も「立て直しはやりがいがあります! むしろ燃えてきました!」と言っているから頼もしかった。
一緒に野菜を育てては害虫や天候に悩まされつつもめげずに頑張ってきた経験や、お父様がまた騙されそうになって奔走した経験が彼にはある。お父様という足枷がなくなれば、きっと伸び伸び頑張れると思う。彼は努力の人なのだ。
そんな中、私は農作業以外に何をしていたかといえば、主にエリオット殿下の相手だった。
お金は絶対必要。愛ではお腹は膨れないけど、お金があれば生きていける。それにエリオット殿下は見た目は冷たい印象だけど、王族だけあって見目麗しいし馬鹿ではないと聞いていた。だったらその内自然に好きになれるかも、なんていう甘い考えがあったことは否めない。
だけど、ここでも問題が起きた。
エリオット殿下が、どうしても私を気に入ってくれなかったのだ。
まあ、そりゃそうかとは思う。兄殿下のお妃様は大層美しく女性的、かつ知性も国母としての慈愛もあるという立派なお方。なのに私ときたら、栄養不足で黒髪はパサパサ、鶏ガラのように痩せこけていて、更に野良作業をしているのでよく日に焼けている有様だったから。
最低限の礼儀作法は学んでいるし、勉強だってお金がなくて貴族学園には通えなかったけど、お母様からちゃんと学んでいる。顔だって、作り自体はそこまでダメじゃないと思う。
だけど、無理だった。
相手は一国の王子だから、私だって少しでも綺麗に見えるような努力はした。でも、貧乏過ぎて侍女もいない私には、ないものを盛ることはできなかった。
ちなみにお母様に助言を求めたところ、元がいいお母様に「ありのままでいいのよ」と言われて終わった。素材の違いは大きい。
なので、豪華に盛ることは早々に諦めた。第一、月一回の為に割く費用は元々ない。ここは清潔感を全面に押し出していく作戦を取った。
ナイジェルだって、「世界で一番そのままのクレアが輝いてるよ」って言ってくれているし。あの子はちょっと大袈裟にものを言うところがあるけど、嘘ではない……筈。多分。
まあ要はつまり、蝶よ花よとたおやかに育ったお姫様と比べたら、全てにおいて雲泥の差があったってことだ。
ちなみに最初の顔合わせの時、私は煌びやかなエリオット殿下を見て「人種が違う」と思ったけど、向こうは「……野生の猿か?」と口に出して言った。さすがに傷付いた。
あの言葉だけは、一生忘れない。いくらなんでもそれはないと思う。そもそも、野猿な私を選んだのは陛下だ。本人を貶すんじゃなく、文句があるなら陛下に言ってほしい。
そんな最悪な初顔合わせ以降、月に一度顔合わせをすることになった。
初回にあまりにもみすぼらしい服装を着てきた私を憐れんだのか、何故かエリオット殿下からではなく陛下からドレスが送られてくるようになった。このことからも、誰がこの婚約を望んでいるか分かると思う。
だけど、エリオット殿下は分かろうとしてくれなかった。会う度に姉殿下と私を比べ、「義姉様とは比べ物にならないほどみすぼらしい」だの面と向かって言い放つ。
それでも私は笑顔で頑張った。お金の為と、いつかは殿下が私を認めてくれたらいいなと少しだけ期待しながら。
実際、王家からの資金援助はとても役立った。でも残念ながら、まだまだ足りない。あそこの橋も壊れていて迂回しないといけないし、あっちの河がすぐ氾濫するのも何とかしたい。何をするにもお金が必要になるから。
街道に出没する山賊や魔物から領民を守る為の護衛を雇いたくても、資金が足りないから自衛するしかないのが現状。野菜の販路がいまいち広がらないのも、ここに原因があった。
継続的な資金援助なしには、ナイジェルの成人まで保たない可能性だってなきにしもあらずだ。だから私は必死だった。
そんな事情を知ってか知らずか、エリオット殿下は氷のような冷たい侮蔑の目で私を見る。
「お前の顔は見ていて気分が悪くなる。もっとしとやかに笑えないのか」
「申し訳ございません。これが普通なもので」
どう考えても作り笑いにしか見えないだろうなあと思いつつも、精一杯の笑顔を向けた。
すると、エリオット殿下はテーブルをバン! と叩き、身体ごと横を向く。
「……お前は口答えばかりだな!」
「申し訳ございません」
自分を嫌っている相手と過ごす時間は、苦痛でしかない。目の前にいるのが殿下じゃなくてナイジェルだったらなあ、と思わず考えてしまった。すぐに、これじゃ殿下のシスコンと一緒じゃない、とひとり苦笑すると、殿下の目が三角に釣り上がってしまった。
やってしまった。
「なんだその笑い方は! ああ、何故私がこんな女と!」
「申し訳ございません」
殿下の剣幕に、ひやりとする。この感じでは、婚約解消もすでに陛下に働きかけているかもしれない。
だけど、せめてナイジェルが領地を継ぐその時までは、安定した資金を確保したい。つまり、婚約解消は今じゃないのだ。
ちなみに、殿下との結婚の時期については「義弟が伯爵家を継いだ後」とされていると、最近エリオット殿下の口から聞いて知った。道理で私は成人したのに結婚話が進んでない筈だ。でもなんで? と思って首を傾げていたら、「……聞いていなかったのか? クロフトン伯爵からの要望だそうだ。理由は知らん」と吐き捨てるように教えてくれた。
後でお父様に尋ねたら、「ナイジェルがそうしろっていうから、頑張って陛下にお手紙を書いたんだよ?」とへにょりとした笑顔で言われた。その後ナイジェルに尋ねたら、「僕に万が一のことがあって後が継げないままクレアが王家に嫁いだら、クレアが体を張って守ってきたクロフトン家がなくなっちゃうでしょ? だから保険だよ、保険」と笑顔で言われた。
なるほど、と納得する。
そんな綱渡りな状況下で行われた前回の顔合わせの時、エリオット殿下に意地悪く言われてしまった。
「先日義姉様が焼いてくれたクッキーは、非常に美味だった。お前は婚約者だというのに一度もそういった婚約者らしいことをしてこないな。まさか、クッキーのひとつも焼けないのか?」
と。じゃあ貴方はこれまで婚約者である私に何か贈り物をしたことがあるのかと聞き返したかったけど、グッと堪えた。
「……なんだ、いつもの口答えはどうした?」
馬鹿にしたように笑うと、エリオット殿下はいい考えだとばかりに提案してきた。
「そうだ、ではこうしようではないか。来月の顔合わせの時、お前が焼いてきたクッキーが美味しければ、私も少しはお前を見直し婚約者として優しく接しよう。だが不味ければ、クロフトンの有責で婚約破棄とする、ではどうだ?」
「えっ!?」
有責は拙い。確実に資金が打ち切られるし、下手をすればこれまでの資金を返せと言われる可能性だって出てきてしまう。
「お、お待ち下さい殿下! それは……っ」
伏せていた顔を上げて、正面からエリオット殿下の顔を見つめる。エリオット殿下はフン、と鼻を鳴らした。
「なんだ、本当にクッキーのひとつも焼けないのか? 情けない」
「……」
目を伏せると、殿下の溜息が聞こえる。
「お前を見ていると苛々する。いいか、お前には元々王家の影をつけている。他の者に作らせたり買った物を用意すれば、私に伝わる。ズルはするなよ」
「……はい、分かりました」
元々私に断る権利などないから、頷くしかなかった。
これまた王家が手配した帰りの馬車に乗り込み、「……はあー。どうしよう……」と頭を抱える。
王家の影が付いていたなんて全く知らなかった。そんな人に私の秘密を知られたら、非常に拙い。本気で困った。どうしよう。
だけど、何とかしてまともなクッキーを作る以外の道がないことは分かっていた。
◇
次回の顔合わせまでの期間、私は来る日も来る日もクッキーを焼き続けた。
材料費が馬鹿にならなかったけど、背に腹は代えられない。
焼く前に這いずりながら逃げ出すクッキー生地のクリーチャーもいたし、卵を掻き混ぜただけで私の顔面に襲いかかったクリーチャーもいた。
どうしてみんな私に襲いかかるんだろう。以前自分用に作った時はそんなことはなかったのに。心の中に降り積もったエリオット殿下への恨みつらみが、クリーチャーに注がれてるのかもしれない。可能性は高い。
ナイジェルは忙しい筈なのに、毎日私の奮闘する様子を見にきてくれては「……いつでもやめてもいいんだからね?」と暴れるクリーチャーを素早く捕まえて捻り潰しながら言ってくれた。
優しいナイジェルの為にも、頑張ろう。そう思えば、めげずに頑張ることができた。
なお、ナイジェルが捕まえたクッキー生地クリーチャーを一緒に分解してみたところ、私のまつ毛が混入していたことが判明した。
もしやと思い試しに髪の毛を入れて混ぜたところ、とっても元気なクッキー生地クリーチャーが即座に生まれてきた。
私たちはピンときた。私という要素が混入するのがクリーチャー発生の原因なのではと。
ならば、と対策として髪を結びマントを被り、更に直接触れなければいいのではとナイジェルが思いつき、手袋をしてようやく生地をこね合わせ成形することに成功したのがつい昨日のこと。
そして今日は、エリオット殿下との月一回の顔合わせの日でもある。
つまり、さっきのクッキーが最後の機会だったのに。
「終わった……」
絶望に打ちひしがれながら、それでも箱に割れたクッキーを収めた。溜息しか出ない。
「でも、秘密は絶対に言えない……!」
こんな可愛げのないクリーチャーを作れるなんて知れたら、婚約破棄どころか魔女の烙印を押されかねない。そうしたら、クロフトン家は今度こそ終わる。
私の中に流れるクロフトンの聖女の血の効果が料理に無駄に影響してしまう秘密は、絶対にバレたら拙い種類のやつだ。料理をするとクリーチャーを生み出す私にクッキーを焼かせようなんて、最悪の組み合わせすぎる。あの冷酷王子、本当に勘弁してほしい。
「でも、これで一応目標達成にはなる……かしらねえ」
味には自信はあった。形には一切自信がないけど、殿下がひと口食べてくれたらきっと大丈夫。……多分。もしかしたら。
すると、魔女の実験室と化していたクリーチャーの残骸だらけの調理場に、ナイジェルが今日も顔を出した。
私とは違って流れるような金髪と空のように青い瞳。徐々に少年っぽさが薄れてきた整った顔立ちを見ているだけで、クサクサしていた心が和んでくるのが分かった。ああ、眼福。
ナイジェルが穏やかに微笑む。
「クレア、クリーチャーが一匹僕のところに逃げてきたよ。王家の影がどこから見ているか分からないからね、急いで捕まえて連れてきた」
「えっ!」
完全密室で作業していた筈なのに! と慌てて見てみると、確かにナイジェルの手には暴れるクッキークリーチャーの姿がある。
と、ナイジェルがぱくりと躊躇いなくクッキーに齧りついた。ひゃっ。
「キシャアア……ッ」
ひと口齧られたクッキーは、クリーチャーとしての生を終えてただのクッキーに戻っていった。合掌。
しかし我が義弟ながら、よく蠢くクリーチャーに齧りつけるなと毎回思う。ナイジェル曰く、「クレアの手作りだよ? 美味しくない訳がないよ」だそうだけど。
ナイジェルは、こちらに来たばかりの頃から私が生み出すクリーチャーを素早く捕まえては「美味しい」と言って食べてくれていたちょっと変わり者だった。
もしかしたら、あまりにもクロフトン家が貧乏過ぎて、食べられるものなら何でもよかっただけかもしれないけど。
年々クリーチャー度合いが高まっていくせいでここ最近は料理はしなかったけど、常にお腹を空かせていたナイジェルに軽食を用意していた過去の自分のお陰で、私の料理の腕は悪くはない筈。
なお、あの頃のクリーチャーは牙も剥いてこなかったし、楽しそうに踊ったりしていたものが多かった。ここ最近のクリーチャーの凶暴化は、もしかしたら作物の発育不全とも関わりがあったりして?
もぐもぐ咀嚼しながら、ナイジェルがにっこり笑う。うーん、いい笑顔。ナイジェルの笑顔を見た後にエリオット殿下の仏頂面を見ないといけないのかと思うと悲しくなってきたので、ナイジェルの笑顔を目に焼き付けておこう。
「味はとても美味しいよ」
「味はね……」
項垂れながら箱に蓋をすると、いつの間にか私の背を追い越したナイジェルがよしよしと私の頭を撫でた。この義理の弟は、この家に来てからずっと私に優しく接してくれている。
クロフトン家なんていう貧乏貴族の元に養子に来たのを後悔してないかいつも気になってるけど、本人はいつもどこか楽しそうだから救われていた。
「クレアはこんなに綺麗なのにね。あの人のシスコンには困ったものだよね」
「あ、あはは……」
ナイジェルが、甘やかすように、私の黒髪を指で梳く。最初に髪の毛を実験に使った際、ナイジェルが「傷んでるよ。もっと労らないと」と言って以降、毎日私の髪の毛に家庭菜園で採れた花の油を使って梳かしてくれるようになっていた。
自分でやるから! と固辞したけど、「領の特産品を増やしたいからね。実験に付き合ってくれると嬉しいな」と頼まれてしまい、今に至る。
お陰で、パサパサだった私の髪は艶めきを取り戻していた。天使の輪が見えるなんて何年振りだろう。
「髪の毛、すごく綺麗になったね」
「ナイジェルの努力あってこそよ」
「元々クレアの素質がよかったからだよ」
こうして満足気に髪に触れてくるのも、最早日課になっていた。異性としての距離としてはかなり近いと思うけど、ナイジェルは血は繋がらないとはいえ弟だ。だからナイジェルも心を許した私との距離が近いんだろう。
……来たばかりの頃は、寂しそうだったナイジェルを慰める為に撫でるのは私の役目だったのに。それがいつの間にか逆転してしまったな、とナイジェルの成長を誇らしく思うと同時に、少し寂しく思った。
「本当……どうなるんだろうね、私」
結婚しても、きっと愛されることはない。だからといって婚約破棄なんてされてしまったら、元々大してなかった令嬢としての価値は更に下がる。王子に捨てられた令嬢など、誰も欲しがらないだろう。
このまま誰とも結婚せずこの家に居座れば、いずれナイジェルと結婚する相手は迷惑に思うだろうし。だったらいっそのこと修道院に行こうかな、と考えて、一度も恋愛することなく人生終わるのかと思うと、悲しくなった。
どの道に進んでも、あまりろくな人生じゃなさそうだ。自嘲気味に小さく笑うと、ナイジェルが少し不機嫌そうな表情に変わる。
「――王太子妃と自分の婚約者を比べてばかりいる奴といて、クレアが幸せになれるとは思えないよ」
「ば……っ」
慌ててナイジェルの口を手で覆うと、キョロキョロと周囲を見渡した。王家の影がどこから見ているとも限らないのに、そんなことを言ったら不敬罪で処罰されかねない。……人影は見当たらない。本当にどこに隠れてるんだろう。
すると、ナイジェルが私の手をそっと握って自分の頬に移動させる。すり、と頬擦りすると、悲しそうな眼差しを私に向けた。
「クレア。家の為にクレアだけが犠牲になるなんて僕は嫌だ」
「ナイジェル……」
と、ナイジェルは突然パッと目を輝かせる。
「そうだ、今日は僕も顔合わせに立ち会っていいかな?」
「えっ? でも、」
確かに、顔合わせの際は護衛の人たちもいて、全くの二人きりじゃない。本来だったらこちらも侍女を連れてきたっていいけど、なんせ侍女がいないので、私は基本いつもひとりで殿下と会っていた。
「強引に婚約破棄を持ちかけるような相手だよ。クレアの味方がひとりもいない場所で話を進められて、こちらの不利になるような事態は避けたいんだ」
ナイジェルの真剣な眼差しに、ああ、そういうことかと納得する。
「なるほどね。それならお願いした方が安全ね」
「でしょ?」
私を野猿と見做している殿下は、基本的に私を舐めていてまともな会話が成立しない。だけどそこにナイジェルがいれば、少なくとも理不尽に無理難題を要求されることはなくなるかも?
ナイジェルが、私の髪に指を絡めながらにっこり笑う。
「先方はこれまで散々こちらをコケにしてきたからね。僕もいい加減腹に据えかねてたところだったんだ」
「え?」
「クレアはそのままでも魅力的だけど、どうせなら向こうに思い切り後悔させてやりたいからね」
「ええと?」
ナイジェルが何を伝えたいのか、よく分からない。
「今日は助っ人を頼んだんだ。だから僕に任せて、クレア」
「はあ……?」
訳の分からないまま、ナイジェルに連れられて自室に向かうと。
「クレア様! お待ちしてました!」
「これまでは磨く必要がないとナイジェル様に止められていましたけど、原石を磨きたくてみんなウズウズしてたんですよ!」
私の部屋には、何故か領地のお洒落と評判のお姉様方が待機していた。え? 磨く? ナイジェルが止めていた? 一体何のこと――。
「では皆さん。クレアを最高に綺麗に磨いて下さい。よろしくお願いします」
「任せて下さい!」
ナイジェルが恭しく会釈をすると、部屋を出ていく。
「ナ、ナイジェル!? これってどういう……!」
「さあさあクレア様、まずはその魔女みたいなマントを脱いじゃいましょうね」
「えええええっ!?」
いくつもの手に押さえつけられ、私は成すすべもなくされるがままになる他なかった。
◇
王城に到着すると、ナイジェルにエスコートされながらガゼボのある庭園へと向かう。
エリオット殿下とは、いつもこのガゼボで会っていた。「野生の猿と同じ部屋の空気を吸いたくない」という殿下の主張の結果、そうなった。だから、雨だろうが雪だろうが暑くてうだる日だろうが、私たちは常にここで会っていた。殿下も寒さに震えていたりしていたこともあるので、ここまで来たらもう意地だったのかもしれない。
それだけ私のことを認めたくなかったんだろう。
幸い、今日は日差しも穏やかで風も気持ちいい。陛下から送られたドレスの中でも胸元の露出が一番多い、黒地の大人っぽいドレスを着ていても、肌寒さは感じない。
実はこれは、あまりにも貧相な私の身体には似合わないかな、と一度も袖を通したことがなかったものだ。だけど先ほど、「こういうのは肉感的な人が着ると逆にいやらしく見えるんですよ! クレア様くらい細いと……なんてまあ、美しい……!」と妙に興奮気味に褒められてしまい、着ていくことになってしまった。
ひと月かけてナイジェルが磨いた黒髪は横に高めに括られ、前側に垂らされている。ドレスと同じ薔薇の髪留めを飾り、眉を整えられ化粧を施され、首元には細いネックレスがひとつ。最後に赤い口紅をスッと引いている。
さっき、自分の姿を鏡で見て心底驚いた記憶が蘇ってきた。
私は鏡を見て、「……これ、誰?」と言ってしまったのだ。
多少日に焼けて肌黒くはあるけど、引き締まって凛とした雰囲気の綺麗な大人の女性が鏡の前にいたからだ。
領地のお洒落お姉様たちがキャッキャとはしゃぐ声も、信じられないものばかりだった。
「だから原石だって言ったじゃないですかあ」
「ナイジェル様が隠したがるのもよく分かりますけど、勿体ないですよねー」
「は? ナイジェルが隠す? え? どういうこと?」
「まあまあ、ほらナイジェル様がお待ちですよ!」
そのままナイジェルに引き渡され、颯爽とお父様のお古を着て凄く素敵に見えるナイジェルと共に王城にやってきて、現在に至る。
ガゼボに到着すると、警備で立っている騎士たちが私をぎょっとした目で見てきた。私が誰か分かってないのかもしれない。
ナイジェルに椅子を引かれて座っていると、やがて如何にも面倒くさそうにエリオット殿下がやってきた。ドカッと私の前に座ると、人の顔を見ずに「ハッ。今日はコブ付きでどうした心境の変化――、」と言いかけ、私の顔を見て止まった。
「……」
「……殿下、ご機嫌麗しゅう」
あまりに何も言わないので声をかけると、殿下が思い出したようにハッと息を吸い込む。息が止まるほど驚いていたらしい。
「な……なんだ! 少しはましな格好もできるじゃないか!」
「恐れ入ります」
ちら、ちら、とこちらを見ては首を傾げるのはやめてくれないかな。私は珍獣じゃない。
「ま……毎回これだったら、私だってもう少しは、」
するとその時、私の後ろに控えていたナイジェルがスッと箱を出してきた。私が正拳突きをして確保した唯一のクッキーが入った、例の箱だ。
笑顔のナイジェルが、殿下に尋ねた。
「殿下、発言をお許しいただいても?」
「ゆ、許す」
「それでは――クレアから聞いた話によりますと、クレア手ずから焼いたクッキーの味が美味しければ今後の対応をお考え直しいただけ、不味ければこちらの有責で婚約破棄をされるという内容でしたが、相違はございませんでしょうか」
「そ、そうだ! なんだ、何か不満でもあるというのか?」
冷酷王子が、馬鹿にしたような笑みを浮かべる。ナイジェルはあくまで穏やかに微笑んだ。
「いえ、ただの確認でございます。どうぞこのまま箱をお開け下さい」
「言われなくても開ける!」
エリオット殿下はテーブルの上に置かれた箱を乱暴に掴むと、リボンを雑に引っ張り蓋を開ける。中を覗き込むと――「フッ」と鼻で笑った。割れたクッキーを指で摘み、目の前に掲げて心底呆れたような笑みを浮かべる。
「これがクッキーだと? クロフトン家は王家をどこまで馬鹿にすれば気が済むんだ?」
「ば、馬鹿になど……!」
思わず声を上げた。私は一ヶ月、頑張ったのに。
「こんなもの、食えるか」
エリオット殿下はそう言い放つと、あろうことかクッキーを地面に投げ捨ててしまった。白く磨かれた地面の上に落ちたクッキーが、バラバラになる。
ふん、とふんぞり返りながら、エリオット殿下は続けた。
「――だがまあ、義姉様には劣るが、お前も磨けば多少は見られるじゃないか。だから次はもう少しマシな物を……」
と言いかけ、私の顔を見てギョッとする。
ぽた、ぽた、と水滴が、膝の上で握り締められた拳に落ちてきた。
エリオット殿下が慌て始める。
「お、おい!? どうしてこれくらいで泣く!? これまで何を言ってもお前は笑ってたじゃないか!」
「う……っ」
もう限界だった。努力しても、できないものはできない。仕方ないじゃないの。なのにこの王子ときたら、王女として育てられた王太子妃といつも比べてばかり。そんなに彼女がいいのなら、いっそのこと王太子と共有でもすればいいのに。
「おい……っ、泣くな!」
私に手を伸ばそうと、珍しく挙動不審になったエリオット殿下が立ち上がると、再び凍りつく。
「な、何が起きてるんだ!?」
周りの護衛の騎士たちも、殿下の元に駆け寄ってきて周囲を見渡し始めた。一体何にそんなに驚いているのかな、と泣き顔で私も周りを見渡してみると。
「――えっ?」
なんと、ガゼボを中心にして、周囲の草木がどんどん枯れてきている。ナイジェルも、唖然としていた。
すると、エリオット殿下が私を指差して怒鳴る。
「ま、魔女だ! この女がやってることだ!」
「で、殿下、お待ち下さ――、」
言いかけて、ハッと気付いた。ここのところの領地の作物の育成不良。まさかこれも、私の影響だったとしたら? だったら、殿下が言っていることは間違ってないのかも――。
「あ……」
言いかけていた言葉を引っ込めると、もうどうしていいか分からなくなって自分の両腕を抱き寄せ、小さくなった。
と、温かい手が私の両肩を優しく包む。
「それでは賭けの結果が出たということで、話を進めてもよろしいですか?」
ナイジェルだった。
騎士たちに庇われているエリオット殿下が、不可解そうな表情で返した。
「は? お前はこんな状況で何を」
それに関しては私も同感だった。ナイジェルは滅多なことでは動じないけど、これでも動じないって逆に大丈夫かな?
にこにこしたままのナイジェルが、穏やかに頷く。
「賭けは賭けですからね。――それでは、殿下はクッキーを味わうことなく捨てたということで、賭けを自ら降りた殿下の有責でこちらから婚約破棄を申し込ませていただきますね」
「はっ!?」
エリオット殿下が目を剥いた。ちなみに私もだ。
ナイジェルは淡々と続ける。
「これまでのクレアに対する婚約者とは思えない扱いについても、度々陛下を通し改善を求めていましたが一度も改善はされないままでした。今回が最後の機会だと、陛下には事前にお伝えしております」
「ち、父上にだと!?」
「ええ。今回の一方的な賭けの内容についても、ちゃんと把握されておりますよ」
「はっ!?」
エリオット殿下が訳が分からないとばかりに一歩踏み出してきた。ナイジェルはぐるりと茶色に変色してしまった庭園を見渡す。
「殿下もよくご存知の通り、我がクロフトン伯爵家は代々聖女を輩出する一族です。聖女の資質を保有するクレアに対する長年の人とも思わぬ扱いにより、ご覧の通りクレアの心は深く傷ついております」
「く……っ」
憐れむような眼差しを私に向けるナイジェル。エリオット殿下は、身に覚えがあるだけに即座に言い返せなかったみたいだ。
それでも絞り出してきた。
「そっ、そもそも、みすぼらしい格好で毎回訪れるクレアに責があるだろう!? 仮にも婚約者ならば、もっと気を使うべきではないか!」
「こちらも同意見ですよ、エリオット殿下」
「はっ!? 認めたな! そうだろう――、」
冷え冷えとした声色で、ナイジェルが返す。
「クロフトン家の内情は、陛下はご存知でした。親戚に騙され、衣装など買う余裕などないことも。ですから陛下は毎月ドレスを手配されておりましたが、エリオット殿下は何かされましたか?」
「……っ」
「食事を抜いて食費を浮かせてでも、月に一回冷たい言葉だけを投げかける殿下と会う為に己を磨けと?」
殿下のいかり肩が、緩やかに落ちていく。
「婚約者に美しくあって欲しいのなら、殿下が気遣えばよかったのではないですか? 下々を憐れみ施すのも、頂点に立つ王族の責任ではないのですか」
「う……っ」
ナイジェルの厳しい指摘は止まらない。
「殿下は知ろうとなさらなかった。だが、毎回殿下とお会いした後のクレアは悲しみに打ちひしがれ、私たちは幾度も援助金打ち切りでいいのでこの婚約をなかったことにしてほしいと陛下に訴えました」
「えっ!?」
私と殿下が、同時に顔を上げてナイジェルを見た。そうだったの? だってそんなこと、これまで一度も――。
「ですが、陛下からは殿下に人を思う心を学んでもらう最後の機会だと思っている、と」
そうだったんだ。そういうことだったんだ。私の知らないところで、みんな沢山心を砕いていたんだ。
悲しみで占められていた心に、温かみが戻ってくる。
「懸命に身を粉にして働く人間の美しさを理解しないまま国政に携わることはさせられない、とも仰っていました」
「父上が……そんなことを……」
愕然とした様子のエリオット殿下に、ナイジェルが頷いてみせる。
「お分かりでないようですのでご説明しますと、我がクロフトン領のここ最近の不作の原因は、殿下の人を人とも思わない態度が根底にあります。もうこれ以上は、我が領も耐えられない。殿下のご対応に改善が見られない以上、もう先はないのです」
「な、何を偉そうに……!」
ナイジェルが、ゆっくりと首を横に振った。
「我々に利益をもたらさないのであれば、この婚約は我々にとって意味がないものなのですよ。今回殿下が心を入れ替えなかったことで、今後クレアを王家の都合で振り回さないという誓約を交わすことが決定しました」
「ど、どういうことだ……?」
エリオット殿下の問いに、ナイジェルは冷たく言い放つ。
「つまり、クロフトンの聖女は王家を見限ったということです」
「な……たかが伯爵家が偉そうに何を!」
噛みつくように言ってきたエリオットに一瞥をくれると、ナイジェルはスッと私の横に跪き私の手を握ってきた。
「クレア。これで無事に婚約破棄できたね。だから――僕が成人したら、僕と結婚してくれませんか」
「へ?」
突然の義弟からのプロポーズに、素っ頓狂な声が出る。
「け、け、結婚……?」
ナイジェルが、頬を赤らめながら、優しい笑みを浮かべた。
「はい。貴女はとても生命力に溢れ、誰よりも美しい。僕は貴女をひと目見て、心を奪われました。養子に迎えられた僕にも、無償の愛を注いでくれました。僕はもう、貴女なしには生きていけない」
「えっ!? ええっ!?」
え? 待って、ナイジェルはもしかして私のことを好きでいてくれたの? だからいつも傍にいて私を励まして助けてくれて、隣で笑っていてくれた――?
「クレア――」
愛おしそうに、私を見つめながら微笑むナイジェル。
どうしてかな。どうして私はこんなにも泣けてくるんだろう。
婚約の相手が殿下ではなくナイジェルだったら、と密かに願った記憶。叶わない夢だと最初から諦めていたのに、まさかこんなことがあるなんて。
ナイジェルの手が私の黒髪に伸びて掴むと、唇で触れた。上目遣いで私を見ると、少し照れくさそうに目を細めて微笑む。
「その涙は、『はい』って意味だと思っていい?」
「うえ……っ、ひっく、」
返事をしたくても、嗚咽しか出てこなかった。代わりに、こくこくと何度も頷く。
可愛くて優しくて頼り甲斐があって、最初からナイジェルのことが大好きだった。でも私はどうしたって義姉でしかなくて殿下という婚約者がいるんだからと、必死で自分を抑え込んでいた。
なのにまさかナイジェルも同じ気持ちでいてくれたなんて、これは夢なんじゃないかな。
ナイジェルが、嬉しそうに言った。
「愛してるよ、クレア」
「ナイジェル……!」
ナイジェルの胸に飛び込む。もう涙は止まらなかった。ボタ、ボタ、と地面に落ちていく。
「ナイジェル、ナイジェル……!」
と、私を抱き締めて背中を撫でてくれていたナイジェルがホウ、と溜息を吐いた。
「クレア、見て。凄い景色だよ」
「え?」
微笑むナイジェルに見守られながら、恐る恐る先ほどまで茶色く枯れていた庭園に視線を向けると。
なんと目の前には、色とりどりに咲き乱れる花畑が広がっているじゃないか。むせ返るような花の香りが、涼やかな風に乗って香ってくる。
それまで唖然として私たちの様子をただ眺めていたエリオット殿下が、よろ、とこちらに寄ってきた。
「ま、待て……! 私は婚約の解消を認めた訳では、」
……この力の効果を見て、惜しくなったのかな。だったらやっぱりこの人とは、きっとどうやっても心を通じ合わせることはできなかっただろうな。
私が何も返さないでいると、ナイジェルがサッと私と殿下の間に身体を挟んだ。
「こちらから破棄したのです、殿下。誤解なきよう」
鋭い口調で即座にナイジェルに返された殿下は。
「……ああ、私は……」
地面に膝を突くと、ガックリと項垂れたのだった。
◇
後にナイジェルに、クロフトンの聖女の力は大地に力を与えるものだと聞かされた。
疫病が流行ると聖女が大地に祈りを捧げ、病を退けられる薬の素となる植物を生み出す。それが聖女の真の力だった。
この聖女の血はクロフトン家とこの土地があって初めて開花するものだそうで、これまで王家に嫁いだ聖女から生まれた娘が力を発揮した例はないらしい。
ちなみに、私のクリーチャー生成はかなり規格外の力だそうだ。私から漏れ出した生命力がクリーチャーを生み出したのでは、というのがナイジェルたちの推測だった。
なお、最近のクリーチャーが凶暴化していたのは、私の予想通り殿下に会いたくないな~という気持ちが滲み出していたものらしい。正拳突きで割ってごめんね。
ちなみに食べるとちょっとした怪我は治り元気になるそうだ。ナイジェルが激務の中これまで元気に頑張って来られたのにも、この力が関係していると思うよ? と言われた。ちっとも知らなかった。道理で躊躇なくクリーチャーを齧る筈だ。
代々王位を継ぐ者にだけ、クロフトンの聖女の力の秘密は伝えられていた。ナイジェルは、これまでのお父様を操っての陛下とのやり取りで、その事実を知った。
秘匿されていた理由は、悪用されない為だった。どの時代にも、私服を肥やすことばかり考える悪い奴らはいる。ろくに事情を知らないままクロフトンの聖女を利用しようとしたら、下手をすると国が滅びる可能性もあった。
聖女が力を発揮するには、とある条件が必要だったからだ。
それは――聖女自身が幸福を感じていること。
聖女が悲しめば、領地や王家の庭園に起きたように、全てが枯れていく。反対に聖女が幸福であれば、大地は潤い栄えていく。
聖女を捕らえて不幸にしたが最後、国土は枯れ果てる。その為、王家は代々そっとクロフトン家を見守り、必要があれば介入して王家に招き入れ、保護していた。
今回の婚約でクロフトンの血が途絶えない為に、エリオット殿下と私の間に娘が生まれたらその子をクロフトン家に……とまで考えていたらしい。
陛下は私とエリオット殿下の婚約話が立ち消えたことをとても残念がってくれたけど、最後には「そなたが幸せならそれでよい」と仰ってくれた。願わくは、陛下の半分でいいから他者に対する思いやりの心がエリオット殿下にも備わらんことを。
先日、ナイジェルが無事に成人を迎えた。即日ナイジェルはお父様から後を継ぎ、陛下の許可の元、私とナイジェルは結婚した。
領民と一緒に開いた結婚披露宴は、みんなで農産物をこれでもかと振る舞い合った楽しいものになった。実に私たちらしい内容だったと思う。エリオット殿下が見たら、「田舎臭い」って顔をしかめたかもしれないけど、別にもう構わない。私にはこれが幸せなんだから。
それから、長年苦しめられていた資金繰りについて。
陛下から支払われた膨大な慰謝料と祝い金、それにナイジェルが秘密裏にじわじわと追い詰めて親戚に掠め取られていた利権も全て取り戻した結果、クロフトン領は徐々に貧困から回復の兆しを見せ始めた。
お父様は肩の荷が下りたんだろう。大好きだった絵筆を手に取り、「早く孫の絵を描きたいなあ」と毎日にこにこしている。気が早いなあと笑うと、ナイジェルが「まだ二人の時間を過ごしたいので、お父様は長生きしてお待ち下さい」と笑顔で返すのも、毎度のことになりつつあった。
お母様はすっかり商売が楽しくなったらしくて、今日も元気に新規事業の打ち合わせであちこちを駆け回っている。
なお、私が生成したクリーチャーを役立てないかということで検討した結果、現在は街道に立ってもらい、山賊を追い払うのに一役買ってもらっている。私のへんてこな力すらも役立ててしまうなんて、やっぱりナイジェルはよくできた義弟――いや、今はもう夫だ。えへ。
バルコニーに立ち、領地を覆う青々とした大地を見下ろす。
私の腰を抱き、一緒に領地を見下ろしているナイジェルを見上げた。
金色の髪が風になびき、大好きな青い優しい瞳が穏やかに弧を描く。
「クレアが少しでも悲くなったら、すぐに教えてね?」
「言わなくてもバレちゃうけどね」
私が幸せなら、大地は潤う。クロフトン領の未来は、私と、そしてナイジェルの手に委ねられていると言っても過言じゃない。
今回のことで、私は身に沁みて分かった。
ただ我慢していたって、幸せなんてやってこないんだって。
幸せは、自分から掴みにいくもの。相手を思いやらずして、愛してもらえると思うな。エリオット殿下を見て、心から思った。
――だから私は。
「全身全霊でナイジェルを愛していくから、覚悟しておいてね」
目をパチクリさせたナイジェルが、破顔する。
「勿論受けて立つよ、僕の愛しい聖女様」
私たちは見つめ合うと、笑顔のままどちらからともなく顔を近付け、唇を重ね合わせたのだった。
―fin―
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