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『二月』から皐月が個室に誘われることはよくある。逆もよくある。しかし今回は随分と招待されるまでに時間がかかり、皐月にはコーヒーのお代わりを持ってくる余裕があった。
待たされた理由は入室した瞬間にすぐに分かった。
【二月:いらっしゃーい、なに飲む?】
アリスにティーパーティー風に装飾された個室にげんなりし、ふりふりのエプロンをつけたメイド姿の『二月』にげんなりした。
【五月:ビール】
【二月:はーい♡イースター特製ストロベリーティーです】
苺の可愛い柄が描かれたティーカップを前に置かれてさらにゲンナリする。
【五月:バーとかなかったのか? なんなら場末のスナックでもいい】
【二月:場末のスナックは面白そうだけど、バーなんてつまらないわ。リアルなお付き合いで腐るほど行かなきゃいけないし~】
『二月』とは過去にいくつものゲームで一緒になり、互いにゲームの趣味が合うということでオンライン上でフレンドを続けている。ゲーム仲間とリアルで会う者もいるが、皐月にとってはオンラインでの友だちということに価値がある。リアルで会ってしまったら、“その先”が出てきてしまうかもしれない。異性だったら恋愛関係、同性でも仕事やらなんやらと。
同じ理由で『二月』もオンラインのみに拘っている。そういう点でも皐月は『二月』と気が合う。
(二月の場合はもう一つ理由があるけどな)
【五月:その限定コス、かわいいな。うさみみも似合ってる】
【二月:ありがとう、頑張って仕事した甲斐があったわ♡】
『二月』は男と女の境界線が曖昧だ。
皐月としてはそういう奴がいてもいいと思うし、そのためのバーチャル世界だと思っている。友だちに男女の差はない、これが本気で言えるのがバーチャル世界。だから皐月は「リアルでは男でなければいけない」という『二月』のために課金アイテムを褒めまくるようにしている。努力の成果を、願いを、認められて喜ばない奴はいない。
『二月』は可愛らしいお姫様風のアバターだけど、職業は近接戦を得意とする【暗殺者】。可愛いが好きだけど負けるのは嫌いという点も皐月としては好ましい。
(コンビとしてもいいんだよな。俺は魔導士だから……魔導士、魔法が使える……魔法……)
【五月:俺、ジョブチェンジしようかな、剣士とか】
【二月:どうしたの?】
【五月:姪に性生活の心配をされた】
【二月:あのしっかり者の姪っこちゃん。魔法使いって、ああ、アレね。で……そうなの?】
【五月:違う】
【二月:今度結婚する元カノが初めての相手?】
【五月:違う、初めては高校の先輩。彼女とはキスだけ】
【二月:なにそれ、甘酸っぱい! 最高! ごちそうさま!】
(……なぜ喜ぶ?)
【二月:女の恋の終わりはあっけないのよね。男は一段一段ゆっくりと恋のステージを下りていくけど、女は飛び降りて終わらせるからね。パッと飛んで、ドンッと着地。ハイ、終了☆……って感じ】
美月がパッと飛んで、ドンッと着地して、満足気にパンパンッと手を払う姿が皐月には簡単に想像できた。美月は合理的な考え方をするタイプ。いまみたいに日向と交流できていれば自分は用なしだという考えが皐月の脳内をグルグル回る。
(そもそも、俺に恋していたかどうかも怪しい……え、そこからか?)
【二月:プライベートついでに聞きたいんだけど、姪っ子と一緒に暮らす30代の男ってあまりいないわよね】
【五月:珍しいとは思う。俺の姪っ子も禁断の恋だとか学校でいろいろ言われたし。あまりに下世話で私立に転校させたし】
日向は可愛い。叔父の欲目をなくした皐月の目でも美少女で、皐月としては認めたくはないがあの兄の娘だなと思うくらい可愛い。
本人がそんな美少女で、養父の皐月はゲームヲタクであることを知らなければ金持ちの若いイケメン。
【二月:女のやっかみは面倒よね】
皐月は『まさに、それ』と納得する。
子どもたちからのやっかみでも厄介なのに、同じ保護者のはずの彼らの母親たちが「私ならなんとかできますよ?」という感じで関係を迫ってきた。皐月としては世も末。実家の名前と、彼自身が卒業生であることを利用して皐月は日向を私立小学校に転校させた。
【五月:俺が女ならそんな苦労はしなくてすんだんだけど】
【二月:なんで引き取ったの?】
【五月:俺の親が馬鹿だから。勝手に引き取っておきながら思い通りにならないという理由で育児放棄】
【二月:そんな複雑な経緯があったのね】
複雑だし、どこか『仕方ない』で始まった日向との生活。大事にしないと日向の家族である辰治や美月に申し訳ないという気持ちが最初はあったけれど、いまの皐月にとって日向は彼の大事な家族。
皐月は日向の存在に救われていて、自分の意志で大事にしている。
◇
(神様はそうとう俺のことがキライらしい)
天を仰いだ皐月は空にいるであろう神様を睨んだ。いや、恨めしげな目を向けるのがせいぜいだった。
それもそのはず――。
「なあ、もう一晩だけいいだろう?」
これは皐月の知らない男の声。
「いやよ、昨日だって一晩中だったじゃない。少しは寝かせてもらわないと、私の体がもたないわ」
これが美月の声。音源は皐月のいる席の隣のテーブル。
美月が結婚すると日向に聞いて、失恋のヤケ酒だと皐月はホテルのバーにきた。日向はいまホテルの部屋で『今夜はセレブ』を満喫中。泡風呂に入り、このあとはスイーツをルームサービスで注文するらしい。
(大人しく俺も部屋にいればよかった……いや、そもそも何でこのホテルに来た、俺)
ここは美月が出ていたCMが撮影されたホテル。もしかしたら美月に会えるかもしれないと期待していなかったら嘘になる。しかし予定通り美月に会えたものの、知らない男との登場からのこの会話に皐月は項垂れていた。
「ちょっとだけ、一回だけで満足するから」
「一回で終わったことは一度もないじゃないでしょ?」
(本気で泣きたい。なんで惚れた女の他の男との性生活を聞かなきゃならないのか)
いっそのこと泣き喚きながらこのバーを飛び出て、高級感を売りにしているこのホテルに醜聞を作ってやろうかと皐月は思った。
このバーは他人の目を気にしないですむように椅子やテーブルが計算されて配置されているが、それでも少し姿勢を変えれば皐月の目に後ろのテーブル席につく二人の顔は見える。美月と、その隣にいるのは懇願するような甘ったるい視線を美月に向ける男だった。
その男を皐月は知っていた。
青柳 朋生。
青柳財閥の後継者。
淡い栗毛の柔らかくカールした髪、祖母がフランス人だとかで若葉を思わせる柔らかい緑の瞳が特徴をした美形。さっきは思わず自分の真っ黒な硬い髪に触れる。
(美月、ああいう王子様みたいのがタイプだったのか……俺とは真逆だな)
皐月とて、確かに朋生とはタイプが違うが、自他ともに認めるヲタク故に『王子様』と誰かに言われたこともないが、イケメンではある。性格と見せている顔が違うせいで『似ている』とは言われないが、笑顔を見ただけで妊娠しそうと女性をキュンキュンさせる父親と兄に顔のパーツと配置はよく似ているのだ。
(……駄目だ、マジで泣き出す5秒前)
帰ろうと皐月が席を立った瞬間、カウンターの中のバーテンダーがグラスと落として割った。パリーンッという音がバーに響く。
高級ホテルにあるまじき失態に店内の視線がカウンターに集まる。そして「失礼しました」と謝るバーテンダーは皐月のすぐ目の前にいて……。
「……皐月さん?」
(何で? この状況で美月に気づかれちゃったぞ。俺が何かしたって言うのか、神様!)
「ど、どうしてここに?」
(気まずいのは分かる。俺だって気まずい。でも、どうして婚約者の後ろに隠れる?)
別にここにいてもおかしくない服装じゃないか、と皐月は美月を見る。
(もしかして疲れが滲んだその顔を隠したいのか? ……疲れてんな……そりゃ、一晩中だしな……一晩中、この男と?)
「美月?」
その男は自分に隠れる美月に首を傾げていた。 『美月』と親し気に呼ぶ声が皐月に刺さる。
「篠ノ井皐月さん」
「……篠ノ井?」
「あの、日向の……父親の弟の……」
「ああ、例の……日向ちゃんの叔父さん……」
(日向とも面識があるってわけか……)
皐月は大事な二人を朋生に取られる感じがして、思わず朋生に向ける視線に剣呑なものが宿った。
「俺が知っている篠ノ井皐月さんとは別人のようですが、こっちが素ですか?」
朋生は人好きするような笑顔を皐月に向けた。
「そういう気分なので……青柳朋生さん、ですよね?」
「はい。嬉しいな、まさか私のことをご存知だとか」
「起業家にとって銀行家は神様、ご実家には私もお世話になっていますからね。あなたは神様というより王子様でしょうね。ホテル業界の新星、『まるで王子様』と人気な結婚したい社長ランキング第1位の青柳朋生さん」
美月の婚約者と聞いて調べたことを披露した皐月。
(さっそく役に立ったな、全く嬉しくないけど!)
「……朋生」
朋生のスーツの袖を美月が引く。名前を呼ぶ声も、その仕草も、とても親しげだった。さらに美月は気まずそうに皐月のほうを見ながら、美月は朋生の耳に唇を寄せて何かを囁く。
(……内緒話?)
朋生は美月の内緒話に口元を緩めると、『分かったよ』とでも言うように美月の頭をポンポンと叩いた。皐月の胸の奥がジリッと音を立てて焦げた。
「せっかくお会いできたのに残念ですが、外せない用事がありまして」
「そうでしたか」
そつのない言葉だが明らかに嘘。皐月の胸の奥がどんどん熱くなり、焦げて黒くなりはじめる。体の奥からドロドロと黒いものが溶け出ていくのを皐月は感じた。
「楽しい夜を」
皐月は心にもないことを言って、逃げるようにバーを出た。
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