（３）
プロジェクトが始まって3ヶ月が終わろうとした頃、『命に関わる緊急事態』という特例で日本からの連絡を受けとった。
皐月は辰治のことだと思った。
日本を発つ前に会った辰治は体のあちこちに管をつけていて、本人は笑っていたが「そろそろだろう」という言葉は重かった。
しかし電話は母親から。
兄に続いて父親もかなんて、辰治でなくてよかったなんて薄情なことを思いながら電話に出たが、その内容に吃驚した。ハンストの日向をどうにかしろと母親は言うのだ。
なぜ日向が篠ノ井家にいるのか。
辰治や美月はどうしたのか。
母親の説明ではわけが分からないし、ヒステリックな声には頭痛がする。理解以前の問題だと皐月は電話を切り、プロジェクトで皐月のやるパートは終わっていたこともあり日本に帰る許可をとった。
日本に帰国すると俺は自宅マンションには帰らず篠ノ井本家に直行した。
連絡しておいた磯村が手はずを整えてくれていたので、皐月は母親たちに会うことなく日向のもとに直行できた。日向は『日向の部屋』というところで眠り、腕には点滴のチューブが刺さっていた。子どもとは思えない痩せ方に、皐月は何があったのかと磯村を問い質した。
磯村の言い訳じみた説明を聞いていたら、皐月の声に気づいた日向が目を開けた。
「……叔父さんのバカ！」
それが日向の第一声だった。もしあのとき日向が皐月に手を伸ばさなかったら、罪悪感で皐月は押し潰されていただろう。
皐月の両親は、皐月が日本を出ると同時に日向の親権を家庭裁判所に請求。
入院中とはいえ親権者である辰治がいるというのに、両親は実質日向の養育者だった美月を「日向の養育者として不適切」という理由で訴え出た。姪の日向をダシにして、篠ノ井の後継者である皐月に不適切な関係を強要しているという驚きの内容だった。
皐月と美月が過ごした日々が、悪意を持って切り抜かれて証拠として提出された。美月の『お友だち』という男たちがどんどん現れて、美月は複数の男と同時に関係を持つだらしない女というレッテルが貼られていた。
美月はほぼ何もできない状態で、辰治も入院中で対応できず、日向の親権は篠ノ井家に奪われた。気が強いといってもまだ20歳、美月の恐怖と当惑と想像して皐月は初めて両親に殺意を覚えた。
日向の親権はいずれ篠ノ井の者になると分かっていたのに、両親は美月たちが「せめて」と願った残りの時間を残虐な形で奪った。家族三人で穏やかに迎えるはずだった最後はめちゃくちゃにされた。
（俺が希望を与えたから、美月はより深くショックを受けてしまった）
二人で日向を育てよう。そんな皐月の約束は両親によって『嘘』にされた。そのこともショックだったが、希望の籠った約束を反故にされた美月のことを思うと皐月は今すぐにでも美月のもとにいきたかったが日向の体調を戻すのが先だった。
日本に帰国して一週間、「短い時間なら」と日向の外出許可をもぎ取った皐月が美月の家の旅館にいくと、美月の叔母という女性が対応した。そして彼女に辰治が亡くなったこと、そして美月は姿を消したことを聞いた。
美月がいなくなったことに落ち込む皐月を、さらに衝撃が襲う。両親が日向を皐月に引き取れと言ってきたのだ。
「あんなことをして無理矢理引き取ったくせに？」
「だって、言うことも聞いてくれないんだもの。よく見れば誠一ちゃんに似ていないし、本当に誠一ちゃんの子かしら。全然可愛くないわ」
日向と美月を散々傷つけてこの言い草。こんなモンスターと同じ空気を吸うのは耐えられなかったし、もちろん日向を預けるなんてとんでもなくて、両親の言葉に従うようで癪ではあったが皐月は日向を連れて自分のマンションに戻った。
あの日からずっと、皐月は日向とこのマンションで暮らしている。
日向も中学生なのでもう少し広いマンションに引っ越すことも考えてはいるが、実行できずにいるのはこのマンションのことしか美月は知らないから。
（いや、いまでは連絡がとれているんだから引っ越しても構わないのだけれど……）
皐月と日向の生活がなんとか形になってきたころ、このマンションのポストにフランスからのエアメールが届いた。このとき皐月はようやくマンションの住所を美月に教えていたことを思い出した。
封筒の中にはまた封筒が入っていて、あて名は日向になっていた。その中にはメールアドレスが書かれた便箋が一枚。その警戒の仕方に篠ノ井が美月につけた傷の深さを感じ、それでも自分に手紙を送ってきたことに多少の信用は残っていると皐月は感じることができた。
皐月は日向のためにパソコンを買い、日向はあの日から美月とメールで連絡を取り合っている。いつの頃からか、二人はどこかで待ち合わせをして会っているようだった。
それは皐月が望んだ形ではなかったが、美月と日向の交流が続いていることについては皐月は素直に良かったと思っている。
「ごちそうさま。さっくんも早く食べたら？保科さんが迎えにきちゃうよ？」
リビングに置いてあった鞄に向かう日向をジッと見る。ランドセルを背負っていた子どもが中学生。皐月の目にはその成長の象徴と言えるセーラー服が眩しかった。
「え、なにその目、オッサンっぽい。イケメン無罪としても、それはヤバい。さっくんまだ35歳なんだからさ。オッサン化したらもてなくなるよ」
「俺はもともともてないよ。ヲタクの需要は低い、顔の完成度や貯金額に勝る」
「言っていることがヤバすぎ……」
日向が呆れたように、でも楽しそうに笑う。屈託のない笑顔は美月によく似ていると皐月は思う。
「そういえば、来月のパーティーなんだけど」
「ん？ あ、ああ……日向も参加するって、あれね……」
「そのパーティー、みっちゃんも参加するよ」
「え？ なに、もう一回」
「だから、みっちゃんも参加するよ、婚約者さんと一緒に」
「は？」
もう一回って言ったら、同じことを言えばいいだけ。なにさらっと爆弾を追加してんだと皐月は呆れたくなった。確実に現実逃避。
「え、ちょっと待って。婚約者？」
「そう」
「……日向、俺、今日、会社休む」
「はーい、保科さんには言っておくね。ゲームに逃げてもいいけど、ご飯はちゃんと食べてね。いってきまーす」
（……できた子だ。心置きなく逃避しよう）
◇
『フォーチュン・タイド』と書かれたオープニング画面を皐月はぼんやり見ていた。
一年ほど前から皐月が嵌っているゲームで、毎日こなすタスクのようにあれやこれやとやっていたら時間が溶けた。そろそろ昼食かと画面から顔をあげたとき、メッセージが届いた。
フレンド登録している『二月』からだった。
【二月：どうしたの？仕事は？】
【五月：今日は自主休暇】
【二月：イベントでもないのに珍しいね。何かあった？】
【五月：好きな女が結婚するんだ】
パンパカパーンと結婚協奏曲のあのオープニングが流れる。
（なんだ？ 結婚ってフレーズに反応するわけ？ 振られ男には痛いだけなんだけど！ ロックを流せよ、ロックを！）
【二月：やだ☆恋バナ？】
【五月：恋バナではない。フラれただけ】
【二月：流す涙も、愚痴も、相手への復讐計画も全て恋バナよ】
（恋バナの範囲、すごいな）
【二月：個室に行きましょ♪ スッキリさせてあ・げ・る♡】
－二月さんから招待されました－
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