(1)
オフホワイトのウエディングドレスを身に纏う美しい花嫁。シンプルなドレスに飾り気のないただ下ろしただけの髪型だが、スラリと背の高い彼女によく似合う。
真っ白な世界で唯一の色、赤い唇がゆっくり動く。
『永遠の誓いを あなたと』
白い手袋をはめた男の手に花嫁の手が重なって―――。
「みっちゃんが出るって言ってた結婚式場のCMってこれだったんだ……さっくん、フライパンからすっごく煙が出てるよ」
テレビ画面に見入っていた皐月は日向の声にハッとして、慌てて手元を見た。目玉焼きと一緒に焼いていたベーコンはカリカリをこえて真っ黒だった。
「……悪い。少し冷めてるけどテーブルにあるほうを食ってくれ」
「はーい」
仕方がないとでも言うように日向は肩を竦めると、冷蔵庫から野菜ジュースのペットボトルを持って席に着く。
「いっただきまーす」
元気よく食べ始める日向のいつもの姿に、元カノのウエディングドレス姿を見た衝撃が少しずつ治まってきた。
(まあ、食べられないことはない)
黒くなったベーコンをフライ返しで削りながらフライパンから剥がし、皐月はボロボロのベーコンエッグを皿にのせた。朝食を作りながら飲んでいたコーヒーとそれを一緒に持って皐月がテーブルについたときには、日向はすでにパンを半分ほど食べ終えていた。
「CMのこと、知っていたのか?」
「うん、この前のオンラインお茶会のときに聞いた」
日向の言葉に、皐月は先日このリビングで日向が楽しそうにパソコン画面に向かって話していたことを思い出す。
「あのでっかい独り言」
「独り言じゃないよ、ちゃんと会話。みっちゃんの日本での仕事が決まったこととか、校内テストで3位だった話とか、パリは寒いとか、日本はそこそことか、しばらくパリと東京を行き来したら日本に拠点を移すって話とか」
(……ちょっと待て)
「そういうことは言えよ」
「言おうか悩んだんだけどさ、みっちゃんの個人情報を勝手に喋ったらいけないでしょ?」
「……まあ、そうだな」
「私は二人と親戚だけどさっくんたちは他人だし」
日向が呼んでいる『みっちゃん』こと倉持美月は日向の母親の妹。『さっくん』こと篠ノ井皐月は日向の生物学上の父親の弟。
日向の母親と生物学上の父親は結婚していないため、美月と皐月に間に姻戚関係もない。
◇
日向の母親、倉持 美陽と美月は歳の離れた姉妹で、体が弱かった美陽は日向を産んだあと日向が1歳になる前に亡くなった。美陽と美月の父親である辰治が日向の保護者となり、美月は辰治と一緒に日向を育ててきた。
倉持家が経営している旅館は旅行誌にも取り上げられる老舗旅館で、美月が学校に行っている間は仲居が交代で日向の世話をしていた。日向がおおらかに、伸び伸びとした性格に育ったのはそんな環境だったからに違いないと皐月は思っている。
日向が7歳になり、皐月と美月は出会った。
―― 運、悪すぎ。
それが初対面に対する美月の感想。運が悪い。確かにそうかもしれない。7歳の日向が篠ノ井家に見つかってしまったのと、辰治に悪性の癌が見つかったのはほぼ同時期だった。
皐月が次男として生まれた篠ノ井家は結構な名家である。
本家の当主夫妻、皐月の両親には三人の子どもがいる。長女・優花、長男・誠一、そして次男の皐月。日向の生物学上の父親はこの誠一で、彼は日向が生まれる少し前に亡くなっている。
皐月にとって年の離れた兄の誠一は『”誠”の字が裸足で逃げ出すほどのクソ人間』。
良いところとは容姿だけで、殺人以外のありとあらゆる悪いことをしているような男だったが、そんな誠一を当主夫妻は溺愛した。盲目的なこの謎な溺愛を、姉の優花は『長男マジック』だとわずか3歳の皐月に説いて聞かせた。
そんな姉は皐月にとって唯一まともな家族。
優花に対して「女では誠一のスペアにもならない」と言った両親に彼女は早々に見切りをつけ、「私は政略結婚すればお役御免。あなたよりかなり楽よ」と皐月に同情しながら嫁いでいった。
優花の結婚は、本人の人柄か、努力か、力技かは不明だが恋愛もある政略結婚になった。幸せそうでなにより。それが皐月の姉に対して抱く感情である。
「優花さんとの食事って来週だったよね?」
「ん?」
姉のことを思い出していた皐月は、日向が姉の名前を出したためビクッとした。反射だ。皐月ももう30代半ばだが母代わりでもある優花には頭が上がらない。一生あがる気がしないと思っている。
そんな優花なのに、日向は皐月が意外に思うほど優花に懐いている。皐月からしてみれば、日向と優花の出会いは日向が優花を好きになる要素のない出会いだったのだが。
◇
「あんたに隠し子を作る甲斐性があったなんて。姉さん、感激」
そんな失礼なことを言いながら優花が皐月の家にきたのは、皐月が日向と暮しはじめて二日目の昼だった。皐月が自分の隠し子ではないことを、これまでの経緯を含めて説明すると――。
「こりゃまた最大の汚物を……」
優花が汚物扱いをしたのは誠一が生前やらかしたクソみたいなことなのだが、それは皐月だから分かるのであって初対面で小学生の日向に分かるわけがない。案の定「おぶつ?」と日向は首を傾げていた。
優花……皐月の姉兄は名前と性格が本当に合っていない。
しかしそれも今となっては昔の話。日向は優花にとても懐いているし――。
「私の生物学上の父親の汚物ってまだあちこちにあるんでしょう?」
伯母にならって日向は実の父親を汚物製造機のように扱っている。間違ってはいないので皐月は止めてはいないが……。
「会社に『篠ノ井誠一の息子』を連れてきた女がいたって聞いたよ」
「……よく知ってるな。誰に聞いた?」
「受付のお姉さん。『パパの息子だっていう人がきたって本当ですか?』って目を潤ませながら聞いたら色々話してくれた。会社の情報セキュリティが不安になっちゃった」
日向は自分の容姿が年上受けする可愛らしさだと理解している上に、それを利用することに戸惑いも躊躇もない。惜しげもなく活用し、大人を都合よく使っていると皐月は思う。
「連れてくる子どもも10代では難しいよね。名優の子どもが演戯上手いわけではないんだし。さっくんの息子っていうなら0歳から可能なのにね」
「それが保護者の俺に言うことか?」
皐月は大きな溜め息を吐く。
「そんな乱れた生活は送っていなっつーの」
「知ってるよ。毎日会社と家の往復だけ。さっくんの生活ってスッカスカで完全に枯れてるよね。優花さんも心配していたよ、『このさき皐月は一生独り身なのかしら、困るわよね』って」
皐月は首を傾げる。
「別に姉貴が困ることは……」
「さっくんの遺産争いで、絶対に両親ともめるって言ってた」
「なんで俺が両親より先に死ぬんだ?」
「疲れているから? 世話をさせて悪いわねって、ヤングケアラーだって訴えないでねって最近よく優花さんに言われる」
「世話をさせてって……いや、世話をさせるときはあるな」
「イベントのときとかね。さっくん、寝食忘れてパソコン画面にかじりついているし」
自覚がある分、皐月には申しわけなさしかなかった。
「この家に誰かを連れこんであれこれされてもイヤだけどさ」
「するか、そんなこと」
うーん、と日向が悩む。
「さっくんもいい年齢だしなあ……あれ、もしかしてさっくんてアレ? 魔法が使えるようになっちゃうやつだったりする?」
「は? なんだ魔法って……あ、30歳までアレだったら魔法使いになれるってやつか。そんなわけあるか」
「そうだよね……乱れているのも嫌だけど、何もないのまね……」
(これ朝から中学生の姪と話すことか? 『朝から』も『姪と』も間違っている気がする)
「冗談。さっくんはあの家から私を助け出してくれた私の王子様だもん」
「……もっと早く助けるべきだったけどな」
アレではないけれど魔法が使えればよかったな、と皐月は思った。
魔法が使えれば、もっと早く日向を助けることができただろうし、そもそもあんな目には合わせなかっただろうしと、あれやこれやが皐月の頭に浮かぶ
(7年前……いや、8年前にもっと俺が……)
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