佳作『げらげら』選評
最後に、この度「佳作」に選出致しました、月島 真昼 様の『げらげら』の選評となります。
一言で表すなら、思春期のリビドーと加虐と煩悶が真に迫ってくる、非常にエッジの効いた作品です。
主人公は高校生の男子。
クラスのイジめられっ子である内気な女の子と密かに契っている関係ですが、表向きは他のクラスメイトと同様に、大して意味も無く彼もまた彼女をイジメます。
かと思えば、彼女自身の真の危険にはなりふり構わず体を張って止めに行く主人公の歪さ。
その一方で、二人きりのときはセックス以外にも本の貸し借りを通じて彼女のことを知ろうとしますが、ひょんなことから彼女と同じ文学好きの級友が現れたことで共依存のような関係が際立つ結果に収束していく辺り、安っぽいメロドラマを鼻で嗤うようなニヒリズムが見て取れ、一筋縄ではいかない作品となっています。
しかしながら、そこに主人公と友人以上恋人未満ともいうべき幼馴染が差し挟まれることで、この作品が単なるデカダン風の文学擬きの作品とは一線を画すものであることを指し示しています。
それについては是非本文を確認して頂きたいのでここでは多くを語りませんが、結末で彼女がそれまでの退廃的な空気を一言で吹き飛ばして『げらげら』笑う様子は痛快さすら感じられます。
淡々としているようで真に迫るような、正しく高校生の少年が目の前で独白しているような文章も相まって、造り物らしさを感じさせない作品としても魅力的でした。
一方で、個人的に気になるところとしては、この痛快ともいえる幕引きに違和感を覚えてしまってもいたことです。
主人公の、彼女への憐憫にも似た愛情に反して、クラスのヒエラルキーに追従したイジメの描写。
この相反する行いに主人公自体も葛藤するのですが、これを先述の通り主人公の幼馴染が『げらげら』と一笑に付す、それでいいのか? と、読んでいて喉に魚の小骨が引っかかるような思いに囚われたのです。
その展開自体にケチを付けるというより、これで終わらせてしまっていいのか、という疑問になりますが、彼女の背景として長年に渡る内外のイジメで心身共に疲弊し切っている所為もあって、最終的には加害者を赦してゆくのですが、それに単純にほいほい乗っかってゆく主人公でいいのか、という歯痒さ。
なまじリアリティのある作品なだけに、この始末の付け方には納得出来ない方も恐らく私以外にも居るのではと思います。
作風自体を否定している訳ではなく、主人公が自らの背徳感について超克するにしろ受容するにしろ、もっと深掘りしてほしかったというのが私の所感です。
それにより、この作品で表現したかったことが薄ぼんやりとした靄がかかってしまったような印象も見受けられ、読後の余韻として変に引きずってしまったところでもあります。
いずれにせよ、短編として完成度が高く、文学性も感じられた作品ではありますが、もっと言いますと、作品の深層に潜む「テーマ性」が伝わり難かったのが大賞にあと一歩及ばなかった要因でした。
難解な作品でもあり、回転寿司のウニ軍艦並に詰まってない私の脳味噌では読解出来なかった所為でもあるかもしれませんので、読者の皆様の感想も是非聞いてみたい作品でもあります。
作者様の尖った作風は稀有なものだと思いますので、今後の作品次第では一気に世に出て来る可能性を感じさせた佳作でした。