佳作『ウーアの住む駅』選評
続いては、佳作『ウーアの住む駅』 竹尾 修治様の選評となります。
社会派サスペンスホラーで、現代社会でも問題となっている「障碍者支援」について、一切の道徳的なお題目を排除して露悪的に描き切った作品です。
九州の片田舎を舞台にして、田舎特有の閉塞感と小心者の主人公の煩悶をスパイスとして、障碍者を取り巻く問題の闇の部分を炙り出すというある種意欲的な短編であったと思います。
主人公は都会に憧れ、田舎特有のムラ社会に辟易としていながらも、それに抗うだけの勇気もないので、取り敢えず流されるままに日々を送っている主人公。
ムラの旧時代的な慣習に反発を覚えながらもそこからはみ出すことを嫌い、その象徴ともいえる障碍を持った弟を疎ましく思うという小市民的な性格は普通は好まれませんが、今回の題材には上手くマッチしていたと思います。
ホラーとしても罪を犯した主人公達が追い詰められ、次第に「祟り」という前時代的な妄執に囚われていく様も俗習に縛られる田舎特有の空気を良く顕していました。
また、主人公の独善的な言動から障碍者に対する嫌悪感、ひいては「差別」を読者に提示することで我々自身も抱いたことのあるどす黒い感情を改めて自覚させるような向きもあり、強烈な読後感を覚えさせるものとなっていました。
話の構成もよく纏まっており、タイトルに起因する失語気味のホームレスの不気味さがおどろおどろしく描かれていたことやショッキングな結末できちんと話を落としていたことからも、スリラーとしても完成度の高さが伺える作品でした。
ですが、大賞には一歩及ばなかった点として、 話が少々短絡的なところは気になりました。
主人公達は高校生ということもあり幼稚な行動に走るのにも納得がいきますが、周囲の大人達、特に主人公の母親辺りをもっと介入させ、「本音」と「建前」という人間の別の汚い部分を露呈させても面白かったとは思います。
しかしながら、短編として無駄な部分は一切なく完成されている作品ではあるので難しいところではありますが。
また、非常に完成度の高い作品なのですが、もう一つ申し上げるなら、この作品は万人受けしない、もっと言うと、あらぬ方向から批判が飛んでくるような危険性を秘めているのではないかという点は懸念されます。
元々センシティブなテーマかつひたすら露悪的な作品なので、日の目を浴びるのは中々難しい作品と言わざるを得ません。
しかも昨今は多様性が重要視され、障碍者の社会参加、差別の撤廃が叫ばれて久しいこの現代においては、下手をすれば作者様の人格すら非難される恐れが出てきます。
それ即ち、作品として良く出来ていると言えなくもないのですが、他の反道徳的なテイストの作品と違って身近な問題ゆえに、大っぴらに褒めることすら憚られそうな作品になってしまっています。
特にラストの展開はそういう意味では最悪といえ、私も選出しておいて何ですが、その理由でも大賞には選べなかった作品です。
web小説のアングラ的な匂いを久々に嗅ぎとれた作品でしたし、web小説であるからこそギリギリ許される作品でもあるのかなと思います。
読者の皆様におかれましても、秋の夜長にこっそりと読みに行かれれば、その後味の悪さと己にも潜んでいるかもしれない排他的な差別意識に思わずギョッとすること間違いなしの佳作となっておりました。