開門
一秒一秒、いつもと何も変わらない生活が一人一人に与えられてゆく。
ある人は制服に身を包み青春を謳歌する。また、ある人は整えた髪を維持しながら駆け足で駅へと向かってゆく。
朝から公園のベンチでコンビニで買った酒を飲む者、純粋無垢な瞳で木の枝にいる雀を見る者もいる。
そして誰もが、緑に囲まれた上野の風景に安心を覚える。
皆、見慣れていたこの一日の始まりが――ずっと続くと思っていた。
突如として、ところどころ白く塗りつぶされ、間から澄んだ青が見えていたはずの空は、血に染めたかのように赤く、どす黒い空へと姿を変えた。
その刹那、大地は揺れ動き出した。かなり大きめの地震であった。中には転倒する者も多く、大の大人でも立っているのがやっとのものだった。
「きゃあああああああ!」
「うああああああああ!」
多くの人々の悲鳴と緊急地震速報の音が地震と呼応するように鳴り響いた――
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
どれほどの時がたったのだろうか、辺りには隆起した地面に倒れこむ人々と木々が私の目に入る。
立ち上がったその瞬間、まるでこっちに来いと言われたかのように私は国立西洋美術館へと赴く。
中にはすでに大勢の人々が集まっている。
見つめる先には、かのフランスの彫刻家、フランソワ=オーギュスト=ルネ・ロダンが設計した、死後彫刻「地獄の門」
重さ7トンにも及ぶその彫刻は
地面と擦れる音とともに――
開門した。
意味が分からなかった。何の前触れもなく地獄の門が開門したのだ、いったい何故…。
しかし、そんな思考を遮るように、開ききった地獄の門は禍々しい空気を放出し、私たちを硬直させた。
そんなただならぬ緊張から解き放たれたのは門の中から多量の影が見えた時であった。
徐々に人々のざわめきは広まる。影はどんどんと近づいてくる。
やがて門の外へと姿を現したその影は、私たちにとって未知なる何かであるはずなのに、なんとなく脳に浮かび上がったあの単語が一番自然に当てはまった。
「「魔物だ……」」
他にもそう感じたものがいたのだろうか、絶望したかのような声が私の周りでいくつか重なった。
未知との遭遇に人々は混乱し、再び硬直状態に陥っていた。
「…ー……ーー-・?」
この魔物の集団のリーダーらしき人型の魔物が声を発した瞬間、ざわっ、と人々は驚愕の表情を浮かべる。そして、何故だかはわからないが、先ほどからとてつもない畏怖の念が私たちに降りかかっている、そんな気がする。動物としての本能的な恐怖感に襲われている、とでも言えばいいのだろうか。
「グゥゥウルゥウラアアァァ!!」
唐突に、魔物の集団の先頭にいた狼らしき魔物が攻撃的な咆哮をあげたその時
「あああぁ、に、に、逃げろおおおぉぉ!!!!」
「うああぁぁぁああ!!」
「いやあぁぁぁああ!!」
ついに、圧倒的な恐怖に屈した私たちは、二度目の悲鳴とともに不安定な地面の上を無我夢中で、魔物から遠ざかるように走り逃げる。
パァンッ!
そんな中、私は近くの交番からやってきたのであろう若い警察官が異形な魔物の体へと銃弾を撃ち込んだ光景を見た。
思いのほかきいたのだろうか、その魔物は、言葉には変換できない奇妙な金切り声を上げ、絶命した。
「や、やった、俺だってやれr……」
「……・…ーー!!!」
バチュッ
聞いたこともない不快な音が広場によく響く。
ある人の足元には赤い液体が流れ、またある人は口を押さえ嗚咽を漏らす。
若い警察官は腹に突き刺さる魔物の腕を力のない目で見つめ、数秒後に眼の光は消えた。
人が死ぬ。殺される。
普段なら報道でしか聞かないような現象が私たちの目の前で勃発した。
「…・__ーー…、…ー」
謎の声を発しながら死体から血にまみれた腕を引っこ抜く人型の魔物。
その光景を見た人の中には、涙を流し、まるで終わりを悟ったような表情で走るのをやめた者もいた。
「?…ーー。…・ー=?。;…・。ーーー・・・。」
聞けば聞くほどに頭がおかしくなりそうな声を魔物は発し、同時に右手を上げ――
パチンッ
「…ー。」
淡々とした声と短い破裂音とともに、私たちに対して数多の魔物を放ってきた。
更に悲鳴は加速する。辺りを見回せば、未知なるものに震えた体を無理やりにでも動かして逃げる人々、絶望に打ちひしがれ棒立ちのまま他人、あるいは自分に対する魔物からの獰猛な攻撃を見つめる人々。
魔物が私たちに対して向けた、日常の強奪を意味するかのような目は、
人類の終焉を示唆している。そんな気がした。
許さない、ふざけるな、死にたくない、
そんな声が断末魔とともに私の耳に入ってくる。
しかし、あの人型の魔物に殺される前、私の耳に聞こえてきた最後の声は――
戦え
その一言だった。