8.アニキキャラは妹を甘やかしがち
宿に泊まった翌朝は意外とすっきりと起きられた。
これまで仕事へ行く日の朝は毎日ぎりぎりまで寝ていた。
あと五分早く起きれば走らなくても電車に間に合うのに、という生活を送っていた私だが、今日はパッチリ目覚めることができた。
清々しい朝である。
昨日は異世界に転生して、ザク君と出会ってあちこち回ってと、本業とは違ったところで奔走してしまったが、疲れは残っていない。
ぐっすり&パッチリだ。
宿では朝ごはんがついているとのことだったので部屋を出てロビーへ行くと、ちらほら人が出入りしていた。
早朝というほどでもないし、みなさんそろそろ起き始める時間のようだ。
受付にいためちゃくちゃ眠そうな女性から、面倒くさそうに朝食を渡され、部屋へと持って帰る。
あの女性、昨日部屋をおさえるときに快活に受付してくれた美人のお姉さんだと思うのだが、別人かと思うほど朝が弱そうだ。
寝癖もすごかった。
ふと、思い返して、部屋に据え置かれた姿見のところまで行き、寝癖を直す。
人のことが言えない。
そういえば、私の姿はやはり前世のままだった。
この町の人々は西洋寄りの顔立ちに骨格なので私のことは外国人に見えるだろう。
日本人は幼く見えるともいうし、それがいいほうに作用すればいいのだが。
あまり目立つのもどうかと思うが、幸い、この町の人達の髪や瞳の色は前世で見慣れたものばかりだ。
ケビンさんのように、黒髪黒目の人もよく見かける。
まあ、遠くから来た旅人としてはそこまで違和感のある姿ではない、と思いたい。
念の為、自分の立場がはっきりするまでは、やはりフードをかぶって生活しておこうと思う。
朝食は、昨日パン屋さんで見たうちの、平たくて白いパンと塩をかけたサラダとゆで卵だった。
パンは甘さの無いナンみたいな味だ。
サラダは新鮮で美味しい。
この世界の野菜はとても美味しい。
さすがモルモちゃんの世界……。
日本では、毎日ぎりぎりまで寝て、身支度と最低限の化粧をして出社していたので、朝ごはんを食べない日が多かった。
いい生活になったもんだと早くも噛み締めた。
こうやって思い返すと、普通に生きていたつもりだったが、ろくでもない生活をしていた気がしてきた。
よし、深く考えるのはよそう。
朝食も終わったことだし、昼まで時間がある。
健康な生活で睡眠、食事ときたら運動だろう。
体を動かしがてら周辺を散歩することにした。
宿から出る際通りがかった受付では、お姉さんがカウンターに突っ伏して夢の世界へ旅立っていた。
+ + +
朝の空気はなんだか澄んでいる気がする。
特に休日の朝なんかに感じる。
今の私は仕事中ということになるのだろうが、前職とは心持ちが違う。
人生の休日である。
(勤務態度に問題ありとセツさんに怒られるかもしれない)
昨日町を歩いていたときと比べると行き交う人は随分少なく、その毛色も違う。
旅人はほとんどおらず、開店の準備で、運んできたのであろう店横に停めた荷車から荷降ろしをしている人がいる。
近所に住んでいるのであろう老夫婦が、どこかへ出かけるのか散歩か、ゆっくりと歩いている。
新婚さんだろうか、家の前で若い女性が軒先の草花に水をやっており、それを室内から男性がなにか声をかけているのも見える。
時折、朝食中なのか食器の音が漏れ聞こえる家もある。
静かで、時間がゆっくりと流れているようだ。
一日が始まるぞという雰囲気だ。
これはいい。
とてもいいぞ。
異世界にはデトックス効果がありそうだ。
一通り町を見て回った私は、開き始めた店でこまごまと買い物をしたり、貸本屋で立ち読みをしたりして時間を潰し、そろそろかなと集合場所へ向かうことにした。
+ + +
集合場所が見えるところまで行くと、すでに三人とザク君が居るのが見えた。
待たせてしまったか、と早足で近づき声をかけようとしたところで、三人に向かって行く男に気がついた。
「ケビン!すまない、アンジェを見かけなかったか」
男は随分焦った様子で、肩で息をして膝に手を置いて息を整えている。
手に何か紙が握りしめられているのが見えた。
男は茶髪に吊り目で引き締まった体をしており、ケビンさんの知り合いのようだ。
ケビンさんより一回りは上に見える。
三十代半ばくらいだろうか。
「見ていないが、どうした」
そこでザク君がすぐそばまで来ていた私に気付いて、「ヨウが来た」と言った。
その声に気付いた男もこちらを見る。
しかし、それどころではないようで、すぐもう一度ケビンさんに向き直ると、
「アンジェがいなくなった」
悲壮感を乗せた声で言った。
+ + +
その後ポポさんが「とりあえず落ち着きぃ」と彼に水を飲ませ、「ヨウさんちょっと先にこっちの話ええかな?」と聞いてきたので頷いた。
外そうかと思っていると、男が真剣な顔でこちらを見てきた。
「ケビンの知り合いか? アンジェを見なかったか?」
「ヨウちゃんはそもそもアンジェリーナちゃんのこと知らないでしょうが」
ロキさんが呆れたように言う。
それはそうだ。私も頷く。
「ああ、そうか。……すまない」
そこで男は言葉を切り、もう一口水を飲んでから続ける。
「俺はレックスという。冒険者だ。アンジェ、アンジェリーナは俺の妹だ。一緒に住んでいるんだが、昨夜遅くになっても帰って来ず、部屋へ行くとこれが……」
レックスさんが、握りしめてグシャグシャになってしまっていた紙を伸ばして私たちに見せる。
【しばらく帰らないので心配しないでね アンジェ】
丸い可愛らしい字で書かれたメッセージだ。
アンジェリーナさんのサインの後ろには可愛らしいハートマークが書かれている。
「家出か?」
「友達の家にお泊りやないですか?」
「彼氏かもよ?」
ケビンさん達は書き置きを見て一気に気が抜けたようで、勝手なことを言い始めた。
私もそんなところだろうと思う。
レックスさんだけは「今までこんなこと一度も無かったんだ」と悲痛な声を上げた。
「心当たりは無い、ですか?」
ザク君の敬語だ。
初対面なのかもしれない。
可愛い。
「わからない。友達の家かもしれないと思って、日が昇ってからアンジェと仲の良い友だちを訪ねて回っているんだが、みんな言葉を濁して何も教えてくれないんだ……」
彼氏だな。
レックスさん以外の心の声が揃った。
ロキさんだけは「アンジェリーナちゃん……」とちょっと残念そうな声を出していたので、気になる相手だったのかもしれない。
「頼む、一緒に探してくれ」とケビンさんに食い下がるレックスさんに、ポポさんがそっと私の近くへ来て教えてくれた。
レックスさんは貧困層出身ではない冒険者で、結構活躍している人だそうだ。
貧困層出身の冒険者は、海藻の採集地の前の集落に家を構えていることから「海のやつら」と呼ばれ、彼らだけでまとまって採集をしていることやその境遇から、それ以外の冒険者からは一線を引かれることが多いらしい。
そんな中でもレックスさんは他と全く区別なく接してくる冒険者で、ベテランといえる彼には随分お世話になっているとのことだ。
昨日怪我をした仲間を助けてくれたのも、レックスさんに関係のある冒険者だったとのこと。
「普段お世話になってるからね。断りづらいんよ。事件って可能性も無いとは言えんくて心配やしね。手伝ってもええかな?」
私が構いませんよ、と答えると横に並んでいたポポさんはにっこり笑って「ヨウはええ子やね」とフード越しに私の頭にぽんと一度触れた。
私と身長の変わらない彼はどうやら私の頭をなでてくれたらしい。
「ケビン、少しだけでも手伝ってあげようや。人手があったほうが情報も集まるやろ」
ケビンさんは、ポポさんが私に了承を取ったようだと察すると、「ああ」と頷き、レックスさんが「助かる」とケビンさんの手を握手のように握った。
ケビンさんも、先に約束していた私に遠慮して答えに窮していたようだ。
律儀な人だ。
先ほどのポポさんは私に判断を委ねながらも、たとえ私が断ったとしても角が立たないよう泥を被ってくれるような言い回しだった。
聞いてくるのもこっそりとだったし、「お世話になっているから断りづらい」なんて言い方をしていたが、私が嫌な思いをしないように、断ってもいいという空気を作ってくれたのだろう。
私はポポさんの気遣い力の高さと、スマートな振る舞いに、この人モテそうだな、と感心していた。
横で、私とポポさんのやり取りを見ていたザク君が「ポポ兄…」とショックを受けたような顔をしていたことには気付かなかった。