18.モルモちゃん vs アニキ
「プイ〜」
元気いっぱいのモルモちゃんがローブのポケットから転び出た。
どうせこの場にいる誰にも、モルモちゃんを止めることは出来ないのだ。
遅かれ早かれこうなることは分かっていたのだし、まあ大勢の前でいきなりでなかっただけマシというものだろう。
モルモちゃんはテーブルの上に”トン……”と軽やかな音を立てて降り立った。
この場合の軽やかな音は、本当に軽いのであって、忍者とかがやるやつではない。
だがそこはさすがは神様とでも言えばいいのか、一般的なモルモット方とは身体能力からして違うのだろう、非常に優美な登場であった。
声高に一声鳴いたモルモちゃんは、出現場所がポケットだとは感じさせないようなスムーズな動きでシュバッと空中へ躍り出ると、美しい弧を描いたあと、スッと水泳飛び込みの選手のように短いお手てを下へ向け、足は揃えるように体の後ろに沿わせてキレイな着地フォームで以てテーブルへ降り立ってみせた。
そして、その際に発した音が、軽く響くような”トン……”である。
その者、白き衣をまといて木製のテーブルに降り立つべし。
なかなか芸術点の高い登場ではなかろうか。
さて、そんな現実逃避をしている間にも、この後のみなさんのリアクションが怖い。
「ニーナッ!! カウンターから出るな!!」
突然、大声を上げたのはレックスさんだった。
緊迫感を孕んだその声は、まるで警鐘のようだ。
私とモルモちゃんを含め、その場にいた全ての者がビクリと固まる。
レックスさんを取り巻く雰囲気が”ズッ”と重い物に変わった気さえする。
切迫したような、敵と相対した獣のような雰囲気になったレックスさんは、私が見ても「恐ろしい」と思ってしまうような形相で、机に降り立った存在を注視した。
「何者だ……」
まるで牙を見せつけるかのように歯を剥き出しにして言ったレックスさんの額には、尋常ではない量の汗が玉のように粒になり浮いている。
レックスさんは異変に気付いた際に咄嗟に両足に力を込め、椅子から腰を浮かしたのだろう。
その場を動けるような体勢にはなったものの、決してこの相手に隙を見せてはいけないとばかりに、机上のモルモちゃんの動きを注視したまま動かない。
「おい、お前ら。動けるなら逃げろ。俺が止める」
汗を浮かばせ、目線はモルモちゃんに据えたまま、告げたレックスさんの言葉は低く、重い。
待って。
なんでこんな、「油断している隙をつかれて間合いの中に入られてしまった、圧倒的強敵との戦闘」みたいな空気になってるの?
ほら見て、モルモちゃんも「キュ? キュ?」って完全に困っちゃって、私とレックスさん交互に見ながらオロオロしちゃってるじゃん。
「あの、レックスさ
「動けるなら逃げろ!! 守ってやれる余裕はない!!」
聞いて。
聞いてよ。
目の前にいるのは小動物よ。
「キュ、プイ〜?」
ああ、困ったモルモちゃんが、ついに伝家の宝刀の可愛こぶりっ子まで披露しちゃった。
モルモちゃん、困ったら可愛さで押し通そうとする癖よくないと思うよ。
しかも焦ったからか、顎に両手を当てて上目遣いなんていう安直なポーズで、素材の良さが死んじゃってるよ。
そんなんじゃレックスさんも落ち着いてなんてくれな───
「グハァッ!!」
なんで!? アニキなんで!? どうしてダメージ食らったの?
咄嗟に両腕をクロスさせ、目の前を塞いだものの、何かがそのガードで防ぎきれなかったようで、吹き飛ぶように後ろへ仰け反るレックスさん。
今レックスさんになにが起こっているの?
「!? もしかして、モルモティフ様?」
「ニーナ!? 出てくるなと言っただ…………え? モルモティフ様?」
レックスさんの独壇場を止めてくれたのは、カウンターから恐る恐る覗き出てきた、ニーナさんの一言だった。
+ + +
突然始まったシリアス戦闘シーンに置いてけぼりだった私だが、レックスさんが落ち着いたことで、なんとか店内は話ができる状態になった。
私と全く同じ気持ちだったであろうロキさんとポポさんとザク君、三人が居てくれるというだけでも私としては非常に有り難い。
人は、パニックに巻き込まれたとき、同じ境遇にいる仲間の存在を酷く心強く感じるものだ。
そして、一番ほっとしているのはモルモちゃんで間違いないだろう。
流石に突然攻撃されることはなかったと思うが、かなり怖い思いをしたことだろう。
そう思えば、あの”可愛いでしょアピール”もモルモちゃんなりの自己防衛方法なのかもしれない。
「レックスさん、お話をさせていただいてもよろしいでしょうか」
先程、レックスさんが怖い顔をやめたところで、モルモちゃんはチュイチュイと不安そうな声で私を呼び、しゃがませると、覚束ない足取りでよじよじとポケットまでよじ登って、スポッと消えていった。
ポケットまで登っている間のモルモちゃんは「震えちゃったあ……」という雰囲気だったので、後でちゃんとフォローが必要だろう。
ニーナさんには悪いが、その時は改めて美味しい物を注文させてもらいたい。
モルモちゃんが入る際、モルモちゃんルームと化したポケットの中に、でかいクマさんのぬいぐるみが現れたのが見えたので、魔法さんのおもてなし心で少しは癒やされていてくれることを願う。
「今の方はモルモティフ様のお姿そっくりに見えたが、一体どういうことだ。なぜヨウのローブのポケットへ入っていった?」
「あたしにも、そう見えた……」
先程までの緊迫した空気は鳴りを潜めたものの、まだ状況が飲み込めないとばかりにやや肩を張ったままのレックスさん。
その隣、同じテーブルにはニーナさんも座ってもらっている。
彼女は血の気が引いたような様子で、混乱しているようだ。
説明しないわけにはいかないだろう。
話始めようとした私を軽く手で制したポポさんが、説明役を引き受けてくれる。
「レックスさんに相談したかったんは、そのことやねん。まず始めに、ヨウにもモルモティフ様にも敵意は一切ないよ」
レックスさんは、ポポさんの真意を探るように、じっとその目を見ている。
「間違ってもボクらは、ボクは、レックスさんにこんな大事なことで嘘吐くなんて有り得へん」
ポポさんも真っ直ぐ見返して、言う。
数瞬の後。
「はあああ〜分かった。分かったよ。じゃあ説明してくれ。あれはなんなんだ? 俺はメチャクチャ怖かったぞ?」
ぶはあ、と息を吐いて、椅子に座ったまま天を仰ぐように脱力し、背もたれに全体重を預けたレックスさんは砕けた口調になった。
張り詰めていたその場の空気も霧散する。
「あ、あの、あたしも聞いてていいのかい? 外そうか?」
今度はニーナさんがオロオロとし出した。
確かに、離脱するなら今だろう。
しかし、居合わせてしまったからには巻き込ませてもらう。
彼女(の料理)は、モルモちゃんを慰める際の鍵を握っている。
そしてそれは、モルモちゃんを怖がらせてしまったことで訪れるであろう”モンスターペアレント”ならぬ”モンスター飼い主”への抑止力にもなり得るのだ。
レックスさんは、去ろうと席を立ちかけたニーナさんの腕を、背もたれにもたれ天井を仰いだままパシッと掴み、彼女に留まるよう示す。
「お前も聞け」
「うぅ。分かったよ」
「よし。話せ」
レックスさんがガバリと体を正面に起こし、ニーナさんは席に座り直した。
二人が聞く姿勢になったことで、ポポさんが話を再開させた。
「一から説明させてもらいますわ」
そうしてポポさんは、私に世話になったこと、私とザク君をポポさん達三人が各採集地へ案内することになったこと、ヤサイへ行き、聖樹の林でモルモちゃんが降臨したことを掻い摘んでレックスさん達へ説明した。
「まあ、そこまでは百歩譲って分かったとしよう。俺も前回の顕現の報は記憶にある」
本題はそこじゃないとばかりにレックスさんは言う。
「なぜ神様なんて存在が”この店”に現れた?」
「それは、信じてもらう他ないんやけど、”それ”のせいかなあ……」
ポポさんは言いづらそうにし、視線を左隣に座っていた私に向かって逸しながら、その手はテーブルの上の料理を指す。
「美味しそうだったので……」
私も視線を左隣に座るザク君に流す。
「仕方ないよなあ。ね、ロキ兄」
最後にその左隣に座っていたロキさんは「俺?」と少し嫌そうな顔をして、憮然として言い放つ。
「こんなに美味しいのが悪くない?」
レックスさんは完全に困り顔で「んん〜?」と首を傾げている。
その隣のニーナさんは、褒められているのか、巻き込まれているのか、責められているのか分からない様子で「なん、え、え〜?」と混乱されている。申し訳ない。
パンッ
軽くて高い破裂音。
私達が音の方へ目を向けると、ロキさんが両手を合わせて音を出したようだ。
「まとめるね。ヨウちゃんも、モルモちゃん様も、悪い子じゃない。モルモちゃん様はとっても可愛い。びっくりするくらい、可愛い。レックスさんはその可愛さにびっくりしちゃった。ニーナさんの飯はポッケに隠れてた神様も飛び出てきちゃうくらい美味しい。以上!」
「お前な……」
レックスさんは呆れ顔だ。ニーナさんは目をまんまるにしている。
「で、でも、本当にその通りなんです」
勇気をだして私も言葉を発する。
「私もモルモちゃんも驚かそうとか、このお店を脅かすような気は全く無くて、モルモちゃんは美味しいものが食べたくて、私はそのお手伝いをしているというか。あの、説明が難しいんですけど、本当にニーナさんの料理があまりに美味しそうだったので出てきちゃっただけだと思うんです」
レックスさんは私の言葉を聞くとため息を吐き、テーブルに突っ伏すように俯いた。
そしてガシガシと首の後ろを擦るようにすると顔を上げた。
見えた顔は”弱った”というような表情だ。
「おい、それが本当だとすると、俺は神様にビビって敵意向けて、逆にあんな可愛い神を怖がらせた大馬鹿野郎じゃないか。どうすりゃいい」
私達は答えに窮するのだった。
「な、なあ。この兄ちゃんは大丈夫なのかい?」
ニーナさんが聞いて良いものなのかと、誰もが触れなかった事に触れる。
もちろん、茫然自失状態に陥ったケビンさんだ。
二度目だろうが、突然の登場は刺激が強かったらしい。
またもや微動だにしない彫像と化していた。
一日に耐えられる可愛いのキャパシティーを超えてしまったのだろう、白目を剥いている気がする。
私達はケビンさんのことは一旦棚に上げることにして、ひとまず事態の改善へ注力することにするのだった。
+ + +
「アニキ、アニキかっこよかったですよ!」
「俺、アニキにかばってもらえて嬉しかったです」
「臨戦態勢になったレックスさんって雰囲気あったよなあ〜」
「ほんまほんま」
口々に私達がレックスさんを称えるのは、彼のモチベーションを取り戻させるためでもあるが、もちろん本音でもある。
神とは分からないでも、人知を超えた力を感じて、それでも咄嗟に私達を庇い逃がそうとしてくれた。
こんなに格好いいことはない。
「最初のニーナさんへの呼びかけも格好良かったです! 守るって感じがして」
「ああ? そんなの当たり前だろう。ていうかお前らやめろやめろ。分かったから。まあ、とんでもない覇気食らって取り乱しちまったのは確かだ。バケモンだとは思ったが、まさか神様だなんて思わねえもんよ」
その隣でニーナさんは「ま、守…!? 当たり前ってあんた」と顔を赤くしている。
私は「ははーん」の顔をした。
ロキさんとポポさんも「ははーん」の顔をした。
レックスさんは清潔に見える短い髪を乱すように頭を掻くと、まだ苦い顔をしていたものの、一つ小さく息を吐くと続ける。
「神と相対して惚けるようでなかっただけ、俺の勘も悪くなってなかったと思って納得しておく。それより、神罰なんて下らねえだろうなあ……」
レックスさんは私のポケットの辺りを見て、ブルリと悪寒に震えるようにした。
「神罰は、たぶん大丈夫だとは思いますが、モルモちゃんが脅えてしまったのは可愛そうです。申し訳ありませんが、説明してあげてくれますか? それから、できればニーナさんの料理が食べられたらモルモちゃんも元気が出ると思うので、注文させていただけませんか?」
「そりゃあ、そんな機会をもらえるのならきちんと謝罪させてくれ」
「あたしの料理で良いのかい?」
レックスさんも快諾してくれ、ニーナさんも恐縮した様子ながら嫌ではなさそうなのでお願いする。
「では」
私はポケットをペロリと開き、中のご様子うかがいをするのであった。
+ + +
幸いモルモちゃんルームは天岩戸にはなっておらず、モルモティフ大御神様もご顕在のようだった。
「モルモちゃ〜ん…」
ご機嫌を伺うようにそろっと声をかける。
「キュ!」
ゴキゲンナナメだ。
ふわふわのピンクの床の上に大きなクマさんのぬいぐるみを仰向けに転がし、その上に抱かれるように丸まっている我らが神様、モルモちゃん。
ぷいっと怒って顔をそらす仕草すらプリティだが、なんとか出てきて弁解の機会をいただかねばならぬ。
「ザ、ザク君、チャレンジしてみてくれない?」
「俺!?」
私からの突然の指名に驚き、声を発したザク君だが、モルモちゃんの話を聞いてやれるのが自分だけだったのを思い出した彼はコクンと神妙に頷いて見せた。
ザク君はかなりの癒やし系なのだ。
私は彼にモンスター飼い主回避の唯一の伝手を託した。
「モルモティフ様、お声が聞こえますでしょうか」
「プイ?」
私ではない者から語りかけられたのが意外だったのか、単に気を抜いていたのか、モルモちゃんは簡単にお返事してくれた。
ザク君は私の隣へ椅子を付けて座ると、覗き込むようにしてポケットの中へと話しかけている。
「私はザクと言います。もし叶うのであれば、直答することをお許しください」
「プ、プイプイ」
なんとなく大仰に扱われて満更でもなさそうにしているのが、モルモちゃんの声から分かる。
ポケットから漏れ聞こえてくるモルモちゃんの声に耳を傾け、やり取りの行方を固唾を呑んで見守る私達。
ザク君は不慣れそうに敬語を使いながらも、一生懸命モルモちゃんに話しかけてくれている。
「ありがとうございます」
「プイィ? ププププ……」
「はい。もうこちらはなんともありません。これからニーナさんが、また新たにモルモティフ様に腕をふるってくださることになっています」
「プイ!? プイプイプイ? プププイ?」
「そうですね。ピリ辛? ですか? きっと作ってくださると思いますよ」
明らかに食いつくモルモちゃん。リクエストまで来た。よし。
ニーナさんに目配せると、調理場へ向かってくれる。
「プイプイ、キュー………プイ?」
「いえそれは。彼は私達を守ろうとしただけです。モルモティフ様のご威光は凄まじいですから。心の準備の無い者では、ああなってしまうのも仕方のないことかと思うのですが。お気を悪くさせてしまったらすみません」
「プイプイ、プイプイ。プイ、プイプイ〜? プイプイプイプイ」
「そんな、ご謙遜を。私もモルモティフ様の神々しさに当てられた一人ですから」
「プイプイ! キュップイ」
おお、なんだかもう行けそうだぞ。
その時、さすが手際の良いニーナさんが香ばしい香りの漂う一皿をこちらに持ってきてくれた。
中華風の炒めものといった雰囲気だ。
私は、その牛肉とピーマンと唐辛子を炒めた料理を受け取ると、香りが分かるように近づけ、モルモちゃんへ声をかけた。
「お話中ごめんね、モルモちゃん。レックスさん達がこれを食べながら仲直りをしませんかって言ってくださってるんだけど、どうかな?」
「キュウ…………」
やや長い沈黙の後。
「プイプイ!」
元気なモルモちゃんがポケットから顔を出したのだった。
可愛い上に扱いやすい神様で、大変助かる。
その後はザク君の取り成しもあって、モルモちゃんとレックスさんの仲直りは無事、成功したのだった。
モルモちゃんは「び、びびらせやがってぇ」とでも言うようにキュキュと文句を口に出しながら、テーブルに付くほど頭を下げるレックスさんのところまでよちよち歩くと、下げられた頭の髪をファサッと触り「プイ」と鳴いた。
「『ナイスガッツ』だそうです」
ザク君の通訳にレックスさんは「光栄だ」と顔をほころばせた。
もちろん私達は一皿丸々と先ほどの残りの料理をモルモちゃんへ献上したのだが、全部どうぞと伝えると、モルモちゃんは「マジ? ホントに? みんないい人たちだね!」とでもいうように私達を嬉しそうな瞳で見つめながら見回し、「可愛すぎる」と全員を撃沈させたのだった。
やはり素のモルモちゃんが一番攻撃力が高いのだ。




