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6 抱擁と動揺



 残った仕事を片付ける為にタンバが部屋を出て行った後、部屋に残された二人はただ向かい合う。

 体が向かい合っていても、目が合う事はなかった。


 本当に何か知っている気がするダンは、トキから聞かされた話を何度も反復し、少しでも思い当たる節が無いかと考える。


「門兵達と仲が良いんだったな」


「顔見知り程度です」


 本当に仲が良いのは数人だけで、他は挨拶を交わす程度。それを都合よく解釈されるのは少し迷惑だ。


「門兵に聞けばわからないか?」


 何をだ、と聞く事はしない。それが夫を指しているのはわかる。


「何か、特徴的な部分ありますか?」


「普通の男だ。背は高いが目立つ程じゃない」


 それなら無理だ。

 日に数え切れない程の人や荷馬車の通行がある、たとえ警備のためにそれを見ていても彼等が誰かを記憶している事は少ない。

 人が怯えるほどの人相か、異国の美しい踊り子か、牛のような大男か。何か記憶に残る特徴が無い限り聞いても無駄だろう。


 可能性が無いわけじゃないが、もし聞いたら彼等は興味を持ってその理由を知りたがるに決まってる。

 警備兵から逃げていたんだ、大事にしなくないのだろう。だとすれば、この話を彼等にするわけにはいかない。


 どうしたものかと茶器に手を伸ばす。


「そういや、いつも夕刻の三の鐘が鳴る頃来ているな」


 その手が茶器を倒しそうになり、咄嗟に掴んだ。


 まさか……いや、でも。


 自分の中で出た答えが不思議なくらいしっくりきた。

 そんな馬鹿なと否定する為に、考えれば考えるほど辻褄があってく。

 それが合っている根拠はないが、間違ってるとも言えない。


 カツン、と床を打つ音が近付く。その音に気付いたトキが隠れる為に席を立った時、戻って来たタンバが部屋を覗いた。


「やっぱり、まだここにいらしたのね」


 ダンバは戻ってくるや否やトキの腕を引いて部屋を出て行くと、ダンは部屋に一人残された。

 窓を開けてみれば、もう空が白み始めている。

 日の出が近いと感じた途端、強い睡魔が押し寄る。


 仕事は全部終わってる、もう寝よう。


 確信が持てないなら確認すればいい。



○ーーーーー○ーーーーー○



 二人は橋の欄干らんかんを背に門を眺めていた。


 夕方、部屋に訪ねて来たダンに言われるまま店を抜け出し、門の前で一体どれくらいこうしているだろう。


 時折隣のダンに目を向けるが、酷い顔色をして座っているだけだった。


 その理由は、明け方眠りについたダンを程なくしてタンバに叩き起こしたためだ。

 酒屋が持って来た大量の酒の確認と記録、これはダンに任された仕事。こればかりはタンバも他にはやらせない。

 タンバはいいと言ったが、続けて届いた食材も運んだ後、眠気など無くなったダンはいつもと同じように働いた。

 だからほとんど寝ていない。


 傾いた陽はダンの白い肌を朱に染める。

 その西陽は寝不足の目には刺激が強く、染みるような痛みに、目を擦りたくなるのをグッと堪えた。


「眠いのか?」


 ダンの顔を高い位置から覗き込むトキは十分に眠れたようで、顔色もよく昨夜と大して変わりない。

 顔を隠していた布はダンに言われて外している。


 確認がしたい。


 そう言われてここに連れて来られたはいいが、一体何を確認するつもりなのだろう。

 こうして門を眺めているだけで何かをする様子もない。

 見ていれば何かがわかるのか。腰を下ろし膝を抱えてうずくまるダンは、何かが起きるのを待っているようだ。


「何を待ってる?」


 しゃがみ込み視線を近付けてもダンは門を向いたまま、トキはその横顔を眺めた。

 寝不足のせいか昨夜より瞼が重そうだ。


「門は通るが、橋にはいない」


 ふいにダンが独り言のように呟いた。

 どう言う意味かと問う前に、またダンの口が開く。


「なら門にいると言うことです」


 答えを教えてくれているのはわかるが、トキにはそれを理解することが出来なかった。

 これなら本当に見た方が早いと思い、門に視線を向ける。


 老若男女、人種まで異なる人々で溢れている。これなら見失っても仕方ないと自分に言い訳して、ダンと同じようにしばらく門を眺めた。


「……いた」

 

 溢れるような人混みの中で一人、門を抜けず他とは違う方向に向かう男。その行く先は、門の警備をする兵の詰所だった。


 行き交う人の間から男が詰所の扉を叩き、出てきた兵と親しく話しているのが見える。

 楽しげに話していた男は、中から出てきた別の兵と一緒に詰所の裏へと消えて行った。


「どう言うことだ」


 困惑するトキの横で、ダンは我慢できずに目を擦る。


「行けばわかりますよ」


「そうだな」


 ダンを一人残して、トキは男と兵が消えた詰所の裏に走る。

 建物の陰から覗き込むと、二人は何か言い争っていた。

 男は兵の肩を掴み何かを訴えているようだが、周囲の雑踏音が邪魔をして会話の内容が聞こえない。

 なんとかして聞こえないものかと、少し身を乗り出した時。


「……」


 トキは目にしたものに身を固め、その場に蹲み込んだ。

 あれほど煩かった雑踏音が一瞬遠のいたかと思えば、今度は頭の中で鳴り響き、遠くの方で鐘の音が聞こえた。

 混乱して思考が上手く纏まらない、今起きたことを頭が否定している。


「抱き合ってる」


 突然頭上から降ってきた声に見上げると、ダンが同じように覗き込んでいた。

 視線の先には抱き合う二人の男、それを見ても動揺する素振りはない。


「なんでだ」


「知りません」


 さも当たり前のように話すダンが、不思議そうに首を傾げる。

 まだわからないのかとでも言いたげな表情で、地べたに座るトキを見下ろしていた。


 動揺する様子のないダンを見て、自分がおかしいのかと考えるが、そうでは無い。


 この時ダンは、間が悪かったなと少し後悔した。

 この哀れな男は、自分の()に無いことが目の前で起こって酷く動揺している。


 冷静にアレを見れば違うとすぐにわかるはずだが、今のトキには無理そうだ。

 それならと建物の陰から出て二人に近付いた。


 知らないなら知れば良い。


「大丈夫ですか」


 二人は弾かれたように離れ、声をかけたダンを見る。


 振り返った兵はダンの姿を見て表情を明るくし、何事もなかったかのように歩み寄る。


「よう、こんな時間に珍しいな。またお使いか?」


「今は違う」


 親しげに兵と話していると、残された男も二人に近付いて行く。

 男二人がダンに近付いたおかげで、さっきより聞き取りやすくなったはずだ。


 ただ、今から始まるであろう修羅場を想像したトキは、自分が出て行くべきか悩む。


「ダン、紹介するよ」


 兵が男の肩を掴み引き寄せ、近くに並んだ二人の顔はよく似ている。


「いつも話してる兄貴。全然諦めてくれないんだ、お前からも言ってやってくれよ」


 兄と紹介された男は小さく会釈すると、困ったように笑ってみせる。

 同じように会釈をしたダンは、背後のトキが二人には気づかれていない事を確認した。


「人の厚意は無下にするものじゃないよ」


「お前までそんなこと言うのかよ」


「一人でどうにかできることでもないと思う」


 同意してくれると思っていたのか兵は不満を口にして、一方で兄は意外そうにダンを見ていた。


「本人も色々考えているんです」


 その続きは言わなくても伝わったようで、兄は困ったように笑ってみせた。なるほど、とダンは納得する。


 最初奥さんが信じようとした理由がわかった気がした。

 この人は浮気しない、根拠のない自信だがダンにはそう思える。


 確認もできてここに長居する必要もない、せっかくの兄弟水入らずだ。


「帰る」


「おう、気を付けて帰れよ」


 見送る兄弟に手を振り建物の裏を出ると、仁王立ちのトキが腕を組んでいた。


「説明。してくれるだろ」


 不満げにそっぽを向くと返事を待たずに歩き出す様子は、怒ってはいないが気に入らないらしい。


 なんとも面倒な男だと呆れながら、先に行ってしまったトキを追いかけた。




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