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59 弱点


 空が白み始めた頃、明かりの落された店内は不気味なほど静まり返っている。

 我慢できずにダンが欠伸をすると、隣から大きなため息が漏れ聞こえる。


「まったく……」


 額を押さえて少し項垂れていたタンバがやっと発した言葉がそれだ。


 彼女が頭を悩ませる事柄はいくつかあるが、その多くは店の経営に関することや、華女の不始末、一向に解決しない人手不足問題などがほとんどだろう。

 とは言っても、それらばかりでもない。

 今の彼女を悩ませているのは飾り師のシュンだ。


 一度気に入った相手にはとことん世話を焼くタンバの基準は、何か一つでも光る部分があること。

 お眼鏡に叶えば、多少の問題があろうと関係ない。


 中でも二人の付き合いはかなり古いらしく、タンバがまだ現役の華女として橋街に名を轟かせ、シュンは弟子の頃からだと聞く。

 職人と客の関係とは少し違い、手の焼ける弟か息子と言った方がしっくりくるだろう。


 見習いとは名ばかりで、何一つ技術わ教授せず雑用を言い渡してくるだけの師を持ってしまったシュンは、こっそり自分の作ったものを売って小遣い稼ぎをした。

 シュンの客の一人がタンバの客でもあったらしく、事情を知って人脈を使って別の職人に紹介したこと。

 敵を作りやすいのはこの頃からだったようで、前の職人との揉め事や兄弟子達からの嫌がらせ問題も、タンバが裏で働きかけたおかげで片付いた話も有名だ。


 今の立場になってからは、人気のある華女の装飾品として使い、多くの人の目に触れるようにして、自身は特注の煙管をいつも愛用している。


「顧客と揉めようと、同業者に邪魔されようと、大した問題ではないのよ、どうにか出来るならね」


 愉快そうな笑みに、軽快な口調ではあるが、タンバが相当参っている事がダンにも察することができた。

 それほどまでにシュンの置かれた状況は、最悪という事だろう。


「気にしている暇はないわ、あなたにはやってもらうことがあるのよ」


 振り返ると、そこにはどこか弱々しく、陰のある笑みをたたえるタンバが、ふうと煙を吐き出していた。



 ダンはその二日後、橋街にある茶屋の窓辺の個室で、手持ち無沙汰に外の景色を眺めていた。


 陸から飛び出るような造りの窓辺から外を覗けば、まるで川の上に浮いているような景色が楽しめる。

 川に面した場所にある建物は民家も同じ様な造りをしており、住民達には見慣れている景色も、観光客など他所から来た人々には受けが良い。

 ただ、肌寒くなるこの季節には向かず、そのためか見える限りの席は空いていた。


 川の水面が照り返す日の光は、寝不足のダンには刺激が強い。

 絞るように目をつむる。

 一瞬の睡魔に身体が浮くような感覚がして視界が赤黒くなり、次に瞼を開けた時には、向かいの席で腕を組むシユの姿があった。


 瞼を伏せてはいるものの、ダンとは違い眠っているわけではないらしい。

 欠伸を噛み殺しながら、危うくまた意識を手放してしまいそうになる。


「失礼致しました」


 眠気を覚まそうと新しい茶を頼み、一気に半分ほど流し込んだ。


「構わない、随分と疲れているように見えるが、急に呼び立ててすまなかった」


 伝えられたのは時間と場所のみ。

 トキとのやりとりがあった後なのだから、勘繰るなといいうほうが無理な話で、十中八九シュンに関わる話に違いないだろう。


 世間話もなく、しばしの沈黙が流れる。

 その間も、重い眠気が意識を誘おうとして、抗うように湯呑みの残りを飲み下し、ふうと息を吐いた。


「あの飾り師は酒が飲めないらしいな」


 おっ……と?


 口火を切ったのはシユだった。


「報告はしないから安心しろ。なにより、その話がしたくて呼んだのではない」


 報告する程のことでもなかったというよりは、ダンとの会話内容を知って尚、報告していないと聞こえるのは気のせいではないはず。

 ダンの知るシユならば、鎌かけを知れば敬愛する上官を馬鹿にする行為だと憤慨しそうなものだが。


 先程まで後を引いていた眠気も覚め、そのお陰か視界が鮮明になる。

 そして、今までどうして気が付かなかったのだろうと自分でも驚いた。


 少ないなりにいたはずの客は皆帰ったのだろうか、どこも空席で、いつの間にか給仕の姿が消えている。

 人の気配がなくなった店内に、ダンとシユの二人だけが残されていた。


「人払いはしてある」


 不穏な言葉にダンは耳を疑う。


「ユウォンという名に聞き覚えがあるか」


 次いで投げかけられた言葉に、さほど間もなくダンは頷いた。


 おそらく多くの者がこの名を聞いて同じ人物を思い浮かべるだろう。

 この国の大臣の一人。

 本人の才覚もさることながら、強大な軍事力を持ちあわせた高位の人物であるという噂くらいならダンでも知っていた。


 唐突に出た噂の人物の名に、一抹の不安が過ぎる。

 シユはダンを一瞥してから、周囲に人が居ないにも関わらず声を顰めて言った。


「ユウォン殿が飾り師を捉えている」


 はあ……と、ため息とも取れるような相槌を打つダンに、重ねてシユは二の句を告げる。


「弟子を殺した罪で投獄したと言った方が正しい」


「そうですか」


 シュンが人を殺さない絶対的な確信など存在しないが、にわかに信じがたい話だった。

 しかし事実がどうであれ、殺人の罪で捕えられてしまっては、解放される望みは薄い。

 大臣が犯人として拘束たのであれば、相当な事情がない限り覆るものでもないだろう。


 最悪、二度と戻って来られないとは考えていたが、一層その可能性が高まっただけにすぎなかった。


 流石のダンも、椅子の背に体重を預けて、気を紛らわせるように窓から外を臨んだ。

 その向かいで、いつになく真剣な表情をしたシユが口を開く。


「本人は否定している。何より、俺自身も飾り師ではないと思っていてな」


 その言葉に期待できればどれだけよかっただろうか。


「根拠はなんですか」


「なんだと?」


 思った反応ではなかったようで、わかりやすく眉間に皺を深く刻んだ。


「根拠があったとしても、何が出来るというのです?」


 あからさまに嫌悪感を抱かれたことに、ダンは気付きながらも続けた。

 自分でも嫌な性格をしていると自覚している。


「どうしようもないでしょう」


 どうしようもないのなら、どうもしない方がいいのだ。

 だが世の中には、それがどうにかできてしまう人間がいて、それとは別に諦めが悪い者もいる。

 この目の前の男がそうであるように。


「簡単に諦めるんだな」


 強いながらも、いつになく落ち着いた口調で告げるシユに、何も言い返せなくなる。

 全くもってその通り、しかし、足掻いたところで何ができようか。


「お前の問いに答えよう。根拠は川に落ち掛けていた男の骸だ、覚えているだろ」


 最後にシュンと言葉を交わしたあの日に見た光景は忘れもしない。

 妊婦のように腹の膨らんだ男の骸、しかし、一体それがなんの関係がある。


「あの男が飾り師の弟子だった、しかしそれ以前の記録が何一つ残っていない。わかるか? 何一つだ」


 シユの言葉を咀嚼し、飲み込めばその違和感ははっきりする。

 どんなに人目を忍んでいても、この都に居て記録が残らないということなどあるはずがない。

 誰かが意図的に消したとすれば、それはある種の証明のようなもの。

 つまりそんなことができる人物がいるとすれば、権力と影響力をも持っているはずだ、とシユは言いたいのだろう。


「ユウォン殿が何かしら関与していることは間違いない」


 そこから続けるように、宮中での出来事を話し始めた。


 川から引き上げられた男は、トキの指揮のもと、宮中へと運び込まれた。

 通常、貴き地位の人物の死以外に詳しい調査など行われないものだが、骸の状態を知った宮廷の医者達の関心を引いた。

 その過程で身元についての調査を始めようとしたところ、その前にユウォンに指揮権が移ったのである。


 怪事件だからこそ、その功績も上がるというもの。

 手柄を横取りされることなど珍しくもない、だが、それだけの理由では説明できない違和感が残った。


 死因については内臓の負傷が原因であるものの、事故の可能性ないとは言えず、犯人の特定に至るような確証もない。

 しかも、おかしなことにその報告のほとんどが「不明」とされ、唯一の情報はシュンの弟子であったことだけ。

 いくら大臣とも言えど、そのような状況で犯人の特定し、ましてや拘束するなどあり得ない。


 憂さ晴らしなのか、一息に言い切ると、ふんすと鼻を鳴らす。


「中官様の手柄を奪われたことが、そこまで尺に触りましたか」


「怒りがないとは言わん。しかしな、その感情を抜きにして、我々は無能ではない、そんなことがまかり通るようでは…」


 悲しきかな。

 罷り通ってしまうのだ。


 シユも十分に理解していて、正確上それでも許せないと思ってしまうらしい。


「すまない、聞かなかったことにしてくれ」


 ダンからの視線を絶つように、手のひらを掲げた。

 理想を語るだけなら「ただ」でもできる。

 彼が、理想を掲げながらも、一方では冷静な判断ができる事は知っていた。

 納得しているようには見えないものの、感情的に行動をした結果、責を負うのが誰なのか考えれば冷静になれるのだろう。


「…この後の予定は?」


 しばらくの沈黙の後、投げかけられた問いに首を傾げなから答える。


「今日はもう休みです」


「では少し付き合ってくれ」


 不気味なほどにしおらしいシユは、おもむろに立ち上がると、ダンが質問をする間もなく出口へと向かって行く。

 

 困ったことに、しおらしくお願いされることに弱いダンは、渋々その後を追った。

 


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